Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

お話しにならない耳

2024-11-15 | マスメディア批評
車の保険を決断した。2500ユーロは自責事故の場合に自払いする。これで大分掛け金が落ちる。それでも数年間支払うと結構な額になって保険会社はある程度の事故の修理費がそれで賄える。

最初のオファーが自己負担が500ユーロだったのに比較して掛け金も4割近くになった。その毎年の差額で、駐車場でつけられるような細かな傷は直せる。もしくは二年分で可也のものも直せると思う。その差額で泣き寝入りして自分で修理しておけば掛け金も上がらない。

フランクフルトでの演奏会の評が二種類ネットに出ている。双方とも大した文章でも内容でもない。然し一つの方が明らかに先入観念で聴いていて、音楽を知らないのが分かった。

大まかにいうと、その耳は細かなところを表現すればするほど全体の大きな構成がそして音楽の核心が表現されないと思っている。こうした耳に最もあたる批判は「月を指す指を見る阿保」若しくは「木を見て森を見ない」である。

要するに正確に音化されることでこういう耳は細かなところに気が逸れてそれが全体でどのような意味を持っているかが再構成できないのだ。筆者に言わせると脱構造化するのがペトレンコの音楽らしい。

そのようなものを読む前にアルテオパーの支配人に感想を書いておいた。そこで書いてあることと全く正反対のことである。

「我々はそこで鎮静して心象風景を観照する ― 特に二楽章では、その他の楽章に並んで、ベルリナーフィルハーモニカーの伝統的なそして一心な演奏法を成就した。キリル・ペトレンコのスカラ座デビュー以降の より自由でより柔らかな拍打ちは、アルテオパーの音の行間により多くの音楽的な表現力をそして音色の多彩さを齎した。なんと素晴らしい!2015年11月がもう既に待ち遠しい。」

このように書いた。スカラ座まで行って聴いてきたのだなと思うだろうが、元ベルリナーフィルハーモニカーの芸術顧問にはその聴き方の違いは分かる筈だ。

もう一つの批評は、楽団をランク付けして、他方を貶めるようなことはしない中立であるという、これまたそのようなことと音楽の表現やその方法、そして伝統などが全く分かっていないことを吐露しているようなものである。

要するにこうした技術的に優れていることと音楽的な表現ということとの関係が全く分かっていない人はドイツでも物書きの中にも少なくないということだろう。端的にいうとブルックナーがどのようになにを創作して行ったかの過程に全く想像が及ばないということでしかない。それによって、こうしたブルックナーはバロック的な構築の精神を失って見難い巨大な建造物でしかないと表現するものだから、到底お話しにならない。



参照:
BERLINER PHILHARMONIKER – KIRILL PETRENKO. Eine Konzert-Sternstunde !, Gerhard Hoffmann, Merker vom 13.11.2024
Bruckner unter Hochspannung, Alexandra Richter, Bachtrack vom 14.11.2024
寂寥感溢れる心像風景 2024-11-14 | 文学・思想
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