Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

詳説必要な舞台背景

2024-11-16 | マスメディア批評
土曜日の早朝は摂氏1度になる予報だ。既に温度は下がってきている。夕方に日没と競争で一っ走りした。気象状況は気圧が上がって来ているようで湿気が飛んで、より乾いた空気が感じられた。土曜日には4時間だけの日照が期待される。洗濯日和であるが、午後の一二時間だけでも狙いたい。その為には午前早くから準備をしておかないといけない。今迄はヒーターのフィンを一つしか使っていなかったが、二つ目を開ける。目覚めが少しでもよくなると嬉しい。

序に車の燃料を10リットルほど入れた。短い距離を走るだけでやはりガタが来ているのが分かる。エンジンとその足元が一緒になってふらふらするのである。漸く二十九万五千キロメートルを越えた程度であるのだが、本当に足腰が弱ってきている。使用年間からすれば満足したが、距離としては一寸残念だ。年間一万二千八百キロメートル程度の走行になる。新車の最初の数年はそれ以下しか乗らないと5年で六万キロぐらいか。十年ぐらいは殆ど修理費無しで過したい。

先月の「ばらの騎士」の日本からの批評がネットで出て来た。短い旅行評であるが、興味深い感想があった。リンクを張るので引用はしないが、新たな視点がある。先ず、ザルツブルクでの共同制作でその舞台美術に苦情している。その背景への違和感ということらしい。

今回はミュンヘンからの隣のおばさんと同様に先ず初日ではそのようなことを考えずに席を選んで、指揮がしっかり見える天井桟敷の捨てても勿体なくないを席を取っていた。だから、背景なども殆ど観ていない。然し、それゆえに歌手のグロイスベェックの乗った車の横で駐車場で再終幕のヴィデオを観ていた。

そしてここで筆者は、その違和感をして、背後にプロジェクターで映される映像が密度もあって質は高いが、舞台に比べてどんどん大きくなったからだとも読み取れる。

ペトレンコ指揮の精密画の様に作り込まれている音楽に対して耳が傾いているとその背景が説得力を持つようになっているというのだ。

個人的には舞台のドラマと音楽つまり言葉から歌そして演技による迫真性・劇性にしか興味はなく背景に関しては補助的な環境設定でしかないと感じる面があるので、そこまでの印象を得たことは殆どない。それでも素晴らしい舞台美術賞は何時も推薦している。そして今回のクッパ―のヴィデオもミュンヘンでの「レディーマクベス」の舞台美術にも印象は残っている。バイロイトでのシュリンゲンジーフ演出「パルジファル」のデューラーのウサギもその通りだ。

それでも音楽と舞台に美術が特にプロジェクターがというのは、最近では「アシジの聖フランチェスコ」に合わせたエンゲル指揮の合唱と音楽ぐらいだったかもしれない。プロジェクターが盛んに使われ出したころには批判が多かった。なぜならば映画的になってしまうからだが、今こうしてそれと音楽とを同等に観察するような視点があることに気が付いた。勿論背後の縮尺やその効果に関しては感想ではなく詳説が必要ではないか。美術館ナヴィというサイトでの執筆である。
Saint François d’Assise - cf. 58m28s



参照:
すべてが異次元に洗練されていた! キリル・ペトレンコが指揮したミラノ・スカラ座の《ばらの騎士》, 香原斗志, 美術館ナビ 2024年11月16日
時とは不思議なもの 2024-11-03 | 音
ブロブの720種類の性差 2023-06-25 | 歴史・時事
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