ある年齢の自殺者が多いことは承知していた。その多くはホルモンなどの更年期障害とばかり思っていた。然しどうもそれはあまり正確でないと分かったのは最近のことである。要するにカマキリと同じような習性が人間にもあって、家族などの為に進んで食われるというのが全く分からなかったからである。特に公務員や会社員が懲戒などにされる前に退職金などを確保する為に喜んで自死するというは全く分かっていなかった。それゆえにキリスト教などでは十戒で諫めているのだろう。要するに最終的には経済的な自己犠牲である。
日曜日の就寝迄の時間を寛ごうかと思っていた。寝室のフィンにお湯を通した。煎茶を飲んで、暫くすると座っているのもつらくなって来た。急に熱が出てきたようで、口を濯いで転げる様にベットに入った。夜更けに急に熱が出たのは久しぶりで印象としては37度5分は越えていたと思う — 殆ど起きていられなかったので、今迄の経験から38度は出ていただろう。頭痛もするが、その他の症状は殆どなかった。
書き物を検索すると前回は二年程前に熱を出していた。それもコロナ禍以降初めてで、コロナ期間はそうした症状が出ないのが不思議なぐらいだった。恐らく今回もインフルエンザでスーパーかどっかでうつったのかも知れない。流石にこれでは走れないかもしれない。寒い中を走ると体力ともダメージがあるので、なんとも言えないのだが、新陳代謝は健康回復に一番早い。小水も黄色くなってきたので回復する筈だが、昨晩の様な床での苦しみは嫌である。病院のベットなどに寝ている人は大変だと思う。
今晩はニューヨークからの生中継がある。20時からなのでこちらでは26時になる。そこから一時間半は最も眠い時間帯である。熱心に聴くのは難しいが、録音だけはしっかり録っておきたい。オンデマンドよりもいい条件でということだ。一つはAACのm3u波で長めに録音しておこう。もう一つはPCで録音、未明3時半過ぎに終了させるようにタイマー作動か。
どちらにしても翌朝が辛くなる。特に熱でもあるとなるとぶり返す。なんとか投薬などで上手に体調を整えようと思うのだが難しい。
上の放送局WQXRに限らず合衆国からのストリーミングは音も精一杯の音量にしてあって、今回の様なブルックナー交響曲ならば前回のマーラー七番よりもよく鳴るのでさてどうなるか。カーネギーホール自体も舞台が枠に囲まれているので、収録もそこでの鳴り響きが強く、冒頭からのあれだけのダイナミックスがどのようにマイクに乗るだろうかと思う。
ブルックナーの交響曲五番変ロ長調の本質的なその創作意思を理解するのは南独の聴衆にとっても決して容易ではない。それどころか正しく演奏されることが殆どなくて、今日に至っている。合衆国においてはやはりここでも前回のマーラーと同じくショルティ指揮シカゴ交響楽団が得意に演奏していた。
ショルティ指揮は、それでもマーラーの時のよう正統的な演奏を示したわけではない。当然のことながらペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの演奏で、その記念年を祝福すべく、合衆国で漸く本物のブルックナーが鳴り響く筈である。
参照:
歴史上唯一無二の可能性 2024-11-18 | マスメディア批評
ニューヨークタイムスの耳 2022-11-14 | マスメディア批評
日曜日の就寝迄の時間を寛ごうかと思っていた。寝室のフィンにお湯を通した。煎茶を飲んで、暫くすると座っているのもつらくなって来た。急に熱が出てきたようで、口を濯いで転げる様にベットに入った。夜更けに急に熱が出たのは久しぶりで印象としては37度5分は越えていたと思う — 殆ど起きていられなかったので、今迄の経験から38度は出ていただろう。頭痛もするが、その他の症状は殆どなかった。
書き物を検索すると前回は二年程前に熱を出していた。それもコロナ禍以降初めてで、コロナ期間はそうした症状が出ないのが不思議なぐらいだった。恐らく今回もインフルエンザでスーパーかどっかでうつったのかも知れない。流石にこれでは走れないかもしれない。寒い中を走ると体力ともダメージがあるので、なんとも言えないのだが、新陳代謝は健康回復に一番早い。小水も黄色くなってきたので回復する筈だが、昨晩の様な床での苦しみは嫌である。病院のベットなどに寝ている人は大変だと思う。
今晩はニューヨークからの生中継がある。20時からなのでこちらでは26時になる。そこから一時間半は最も眠い時間帯である。熱心に聴くのは難しいが、録音だけはしっかり録っておきたい。オンデマンドよりもいい条件でということだ。一つはAACのm3u波で長めに録音しておこう。もう一つはPCで録音、未明3時半過ぎに終了させるようにタイマー作動か。
どちらにしても翌朝が辛くなる。特に熱でもあるとなるとぶり返す。なんとか投薬などで上手に体調を整えようと思うのだが難しい。
上の放送局WQXRに限らず合衆国からのストリーミングは音も精一杯の音量にしてあって、今回の様なブルックナー交響曲ならば前回のマーラー七番よりもよく鳴るのでさてどうなるか。カーネギーホール自体も舞台が枠に囲まれているので、収録もそこでの鳴り響きが強く、冒頭からのあれだけのダイナミックスがどのようにマイクに乗るだろうかと思う。
ブルックナーの交響曲五番変ロ長調の本質的なその創作意思を理解するのは南独の聴衆にとっても決して容易ではない。それどころか正しく演奏されることが殆どなくて、今日に至っている。合衆国においてはやはりここでも前回のマーラーと同じくショルティ指揮シカゴ交響楽団が得意に演奏していた。
ショルティ指揮は、それでもマーラーの時のよう正統的な演奏を示したわけではない。当然のことながらペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの演奏で、その記念年を祝福すべく、合衆国で漸く本物のブルックナーが鳴り響く筈である。
参照:
歴史上唯一無二の可能性 2024-11-18 | マスメディア批評
ニューヨークタイムスの耳 2022-11-14 | マスメディア批評
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