買い物の釣銭の払方について、引き算をしない根拠を纏めてみた。ケーキ屋で、€3,78の買い物をしたとしよう、そして €5,00が手元にあったとしよう。それを店員に渡すと、包みのケーキを真ん中において、釣銭を2セントそして20セントさらに€1,00と商品の傍らに置いていくだろう。引き算の必要は無い。
何故ならば、元来商品価値に対して代価を支払うわけで、これは物々交換もしくはそれに相当する価値の金品と交換することであるからだ。引き算は、その物品との差異を埋めるために行われる。どちらの価値が多いか計る事が先決である。
(商品価値+補益)= (支払額)
差額の釣銭を計算する事は、二義的なことである。支払う側が商品価値相当の金品が無い時に商品に「等価」が補益される。これが釣銭でもあり得る。釣銭が無い時は、売買契約不成立になるかもしれない。
ベニスの商人を見るまでも無く、等価交換が基本なので商習慣において釣銭を計算すると言うのは本末顛倒のような気がする。欧州各国でレジスターが無い限り引き算がなされないのはこれが理由だろう。だから普段の生活で引き算をする機会は、掛け算や割り算や比較の不等式に較べて殆んどない。それではなぜ「引き算」が必要なのだろうかとの疑問が生じた。以下の三通りの場合、一番上が加算で、二番目が減算となる。
8 + 5 = 13
13 - 5 = 8
8 + ( ) = 13
三番目のような練習問題式を使えば、二番目の減算の等式は概念としてあまり意味が無いようだ。さらに引き算もしくは減算の最大の問題点は、所謂交換法則が成り立たない事である。
13 - 5 = 8
5 - 13 = -8
二つの式は、等しくない。これを等しく扱っていくためには、負の概念が必要になってくる。その基準となるゼロの概念はインドで使われて、後に十進法を持ってアラビア経由で欧州に遣って来ている。後にラテン語ではN、ニヒルとして扱われる。
しかし減算の概念を英語圏のネットで見ると、初めから線分でベクトル表示してあって、これによって負の方向へと矢印の方向を変えることが意図されている。だから定まる負の領域は、自然数の概念を食み出さない。これは、同時にゼロにおいて肯定と否定が平衡や均衡すると定義されることを意味している。商業的に、借り方、貸し方のバランスシートが使われる所以である。
また数学的な概念において、減法は不等式とともにその差異から新しい空間を定義して行く事が出来る。そのような空間を以って初めてアインシュタインなどの相対的な視野が可能となる。
ゼロや負の数の概念に較べると、これら差異の比較から始まる不等式は演繹的もしくは還元法的な思考に馴染む。メソポタミア文明の負の計量のシステムからバビロニア文化での60進法の発展に並び、スニヤとしてサンスクリット語でのゼロの概念から十進数の表記法が出来上がり、そこで仏教が発展した事と、一方ユダヤ・キリスト教世界では不等式や否定形が発達したことは無関係ではないだろう。抽象的な概念と文化的な記号の意味の審査は、扱うと限がなさそうだが非常に面白い。
参照:否定の中で-モーゼとアロン(1) [ 文学・思想 ] / 2005-05-02
何故ならば、元来商品価値に対して代価を支払うわけで、これは物々交換もしくはそれに相当する価値の金品と交換することであるからだ。引き算は、その物品との差異を埋めるために行われる。どちらの価値が多いか計る事が先決である。
(商品価値+補益)= (支払額)
差額の釣銭を計算する事は、二義的なことである。支払う側が商品価値相当の金品が無い時に商品に「等価」が補益される。これが釣銭でもあり得る。釣銭が無い時は、売買契約不成立になるかもしれない。
ベニスの商人を見るまでも無く、等価交換が基本なので商習慣において釣銭を計算すると言うのは本末顛倒のような気がする。欧州各国でレジスターが無い限り引き算がなされないのはこれが理由だろう。だから普段の生活で引き算をする機会は、掛け算や割り算や比較の不等式に較べて殆んどない。それではなぜ「引き算」が必要なのだろうかとの疑問が生じた。以下の三通りの場合、一番上が加算で、二番目が減算となる。
8 + 5 = 13
13 - 5 = 8
8 + ( ) = 13
三番目のような練習問題式を使えば、二番目の減算の等式は概念としてあまり意味が無いようだ。さらに引き算もしくは減算の最大の問題点は、所謂交換法則が成り立たない事である。
13 - 5 = 8
5 - 13 = -8
二つの式は、等しくない。これを等しく扱っていくためには、負の概念が必要になってくる。その基準となるゼロの概念はインドで使われて、後に十進法を持ってアラビア経由で欧州に遣って来ている。後にラテン語ではN、ニヒルとして扱われる。
しかし減算の概念を英語圏のネットで見ると、初めから線分でベクトル表示してあって、これによって負の方向へと矢印の方向を変えることが意図されている。だから定まる負の領域は、自然数の概念を食み出さない。これは、同時にゼロにおいて肯定と否定が平衡や均衡すると定義されることを意味している。商業的に、借り方、貸し方のバランスシートが使われる所以である。
また数学的な概念において、減法は不等式とともにその差異から新しい空間を定義して行く事が出来る。そのような空間を以って初めてアインシュタインなどの相対的な視野が可能となる。
ゼロや負の数の概念に較べると、これら差異の比較から始まる不等式は演繹的もしくは還元法的な思考に馴染む。メソポタミア文明の負の計量のシステムからバビロニア文化での60進法の発展に並び、スニヤとしてサンスクリット語でのゼロの概念から十進数の表記法が出来上がり、そこで仏教が発展した事と、一方ユダヤ・キリスト教世界では不等式や否定形が発達したことは無関係ではないだろう。抽象的な概念と文化的な記号の意味の審査は、扱うと限がなさそうだが非常に面白い。
参照:否定の中で-モーゼとアロン(1) [ 文学・思想 ] / 2005-05-02
数楽者ですさん、コメント有難うございました。同じような式を同じような日に書いていて偶然でしたね。