Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ラトルが語るその辞任の真意

2013-03-16 | 文化一般
サイモン・ラトルが、フィルハーモニカーの監督辞任を公にしてから、はじめてその心境を語っている。ベネディクト16世の辞任劇と前後して並び称されるが、お互いに電話で連絡しあった事実は全くないと誓う。そこに英国人らしいジョークも並ぶが、なによりもレトリックが面白くて、その人格や人間性をじっくり味合わせてくれて、彼が若い頃に身近に醸し出していたその雰囲気と全く変わらない。その彼も契約が切れるときには64歳となるのだ。

ジャネット・ベーカーと最晩年に共演した際に、リハーサルでは押さえることしか出来なかった例を挙げて、彼は「ベルリンは最晩年の自らのエポックではない」と悟り、五年の猶予期間を与えて辞任するその心境を明かす。個人的にも若い家族の将来などを考えたようであるが、我々読者にとってはやはり芸術的な決断に興味がある。

そこで婉曲的な表現で、あまり長く居座ると敵を作るだけだという芸術とはあまり関係ない政治的な話題として語りだす。その代表例にジョージ・セル死去直後のクリーブランドの管弦楽団の様子を回顧して、故人に禁止されていたひげを伸ばし続けていたコンサートマイスターの状況から「狂っている」と斬る ― この発言は文化的な行間を読むととても意味深い。つまり髭を生やすというのは恐らくオーソドックスユダヤ人を指す訳で、ユダヤ人として辛酸を舐めた指揮者がそれを禁じていて、その反発がこうして表れたとしても、その指揮者がアメリカの工業都市で芸術的に行おうとしたことなどの裏の意味がそこに見え隠れするのではないか。

間髪をいれずにインタヴューアーは、そうした「権威と芸術の質の関係は一概に言えない」としてもと、「ベルリンにもカラヤンの亡霊がいて」と振ってくる。それに対して、「昼飯に誘ってくる」と冗談で切り替えしてから、政治と同じで民主的な解決法しかないことを再確認する。

その後の将来の計画に関しては未定としながら、バーミンガムで18年、ベルリンで16年となるので、その決算を尋ねられるが、最後の五年間を含めての出来たこと出来ないことへの具体例を挙げるが、それ以上は辞めていく人に語らせても詮無いことであろう。

辞任表明後の最後のステップへの始まりとして、バーデン・バーデンでの復活祭音楽祭開幕への思惑を質問する。一言で表わすと、ザルツブルクからバーデン・バーデンへの移動での政治的な渦もさることながら、実際的に良い歌手の確保という点でモーツァルトが残された選択だったとして、やりたくてもヴァークナーは不可能だったことを明かす。

その上で、ブルーノ・ヴァルターの言葉を引用して、ルーティンになるような上演ならやるべきではないとして、アンドレアス・メルヒツェブハウザーが見つけた演出家との協調で具体化したと明かす。そしてフィルハーモニカーとしてはトーマス・ビッチャム指揮の録音などの歴史があっても現在に活きているとはせずに、寧ろ最も成功していた上演としてグライボーンでのハイティンクの指揮だと挙げるのだ。

最初の一瞬から変えるその音楽に言及して、「イドメネオ」などのオペラセリアではバロック様式の事前の歴史があったにも拘らず、「魔笛」は新機軸であり全く新しい芸術的な境地へ向かっていた作曲家に是非細かな部分を直接尋ねて見たいと打ち明ける。その意味から、地獄的な「コシファンテュッテ」のフィナーレから、全てが開かれたままの男女の姿を「魔笛」に追い求める。

こうして交響楽団活動を社会の中の芸術活動として実践する。その中で、歴史的記念物となったシャローンのフィルハーモニーを響きの場としてラウムクラングプロジェクトとして活用する。こうした活動こそ、過去の遺物である管弦楽団の現代的な意味であることに間違いないのである。



参照:
Das dunkelste C-Dur, das je komponiert wurde, Eleonore Büning, FAZ vom 14.3,2013
文化の「博物館化」 2004-11-13 | 文化一般
ラトルの投げやりな響き 2007-07-03 | 文化一般
詩的な問いかけにみる 2007-07-09 | 文化一般
復活祭への少しの思い入れ 2012-03-16 | 暦
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町中に鐘が鳴り響く

2013-03-15 | 
町中に鐘が鳴り渡った。シーズン49日目の練習を終えて車に載ると、ラディオが臨時放送を流し続けていた。コンクラーヴェの結果が出て、新法王が選出されたと分かった。前回の時は殆ど記憶にない。

車がワイン街道に戻ってくると新法王のバルコンからの挨拶が流されて、アルゼンティンからの移民の子なのでイタリア語が上手だとかあったが、スペイン訛りに聞こえたのは私の間違いではなかろう ― 後程詳しく読むと、お爺さんはバルベラワインで有名なアスティの水飲み百姓で、アルゼンティンへ移民して、親父さんが鉄道員で、この移民三世はピエモンテのあの農民たちの粘り強さのようなものを持っているという話だ。なるほど、声の調子もやさしく、前任者とは異なり、性犯罪などの長が権威を誇れる筈がないので、皆と一緒に協力して解決していこうとする立場は仕方ないであろう。

そうなると、ある意味ラッティンガ―教授との二人三脚であった前任者の立場がとても興味深い。いずれにしても、権威の教会などと言うものが君臨することはないので組織としては弱体化の一方でしかないだろう。

朝パン屋によって森へと車を走らすと零下四度にまでなっていた。道は解けた雪で氷化している。車道も歩道も状況は全く変わらないので、川沿いの道を駈けた。轍の出来るだけ雪の解けている場所を選んで走るが滑る。慎重にゆっくりと走ると、それはそれなりに快適で気持ちが良い。片道9分はかかり過ぎだが、復路と合わせて20分も走れたのはある意味良かった。苦しまずに楽しく走るというのも良いものだ。手は冷たくてかなわなかったが。

2010年産のリースリングをいろいろと試している。今回はミュラーカトワール醸造所のマンデルガルテンである。PC級のリースリングにしては立派なコルクと瓶であり、それだけの価値はあった。最初の試飲の時から尋常ならない鋭い酸とマンデルガルテンのたっぷりした雑食砂岩の果実風味が魅力だった。それが二年ほどたって熟れてくるのを待っていたのである。まだ若干若すぎたかもしれないが、十分に酸は綺麗になっていて、尚且つ鋭さも残っているのでとても良いバランスとなっていた。こうしたまとまり方は重心の低いクリストマン醸造所のグランクリュのマンデルガルテンでは期待できない。その意味から価格とも大変優れたワインで、もう少し買っておくべきだったかもしれない。



参照:
クリスマスの第一祝日 2012-12-25 | 暦
摂氏零下の小夏日和 2012-03-07 | 暦
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最も著名なブロガーの人格

2013-03-14 | SNS・BLOG研究
先日ラディオ番組でドイツで最も成功しているブロッガーが出演していた。日本などでは衰退が激しいようだが、フェースブックへの拒絶反応があり、そもそも短いツイッターを中途半端と思う向きには今でも根付いているに違いない。

興味深く思ったのは、我々と同じようになにも実名を隠すでもなくブログ上のキャラクターとして存在することの意味を語っていることだった。例えば政治的意見などに対しても、職業や社会的な立場を持った実名の発言ではあまりにその影響が大き過ぎたり、ネットでの発言がそのまま公式な発言として受けとめられる危険性を指摘していた。

これはとても大切な視点であって、社会的な枠組みで発言できないようなことを書き綴れるからこその意味がブログにはあって、もし実名ならばとても慎重にならざるを得ないのは誰にとってもそれほど変わらないであろう。

反面、ポストプライヴァシー社会と言う概念で、ほとんど性的なライフスタイルまでをあからさまにしていくことは、まさしく情報管理された社会におけるネットの活用の重要な意味合いを持ち得るのは明らかなのである。

少し考えてみればわかることであるが、個人情報を一部の為政者に握られたり、フェースブックに代表されるように権力掌握として握られたりするよりも、自らの日常としての情報を公にすることで、そうした個人情報との釣り合いをとる行為となるのだろうか?

その実際例が、公式見解としては出せないような感興や想いなども、そうした管理されて個人情報像を補うどころかそれを超越する人格の全体像ともなりえる訳である。こうして書き綴っていることも、例え社会的な影響などは殆ど無くとも、公式な見解としてならば何一つとして提示できないのであるが、様々な分野において重要な視点を含有しているのみならず、人格像として普段対面している人に示すよりも多くのことを語り掛けていることも自覚しているのである。



参照:
心を揺さぶる貴く強い振る舞い 2011-05-11 | 雑感
環境の一部である全人格的な行い 2011-01-16 | 文化一般
ライカ社のエルンスト二世 2007-03-12 | 雑感
天皇陛下のための硫黄島 2007-02-23 | マスメディア批評
ワイン街道浮世床-ミーム談義 2005-05-25 | 文化一般
敬語の形式 2005-01-27 | 文学・思想
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滑るに滑る春の雪

2013-03-13 | 
春の雪だ。それにしても気温が零下三度にもなると道路状況は悪く湿った雪なだけに滑りやすく、ABSやESBが活躍する。雪の量は少ないので積もった感じはあまりしないが、滑りに滑る。

前日が雨だったために朝起きして走るつもりだったが、屋根積雪に目覚める塩梅であった。それでも着替えて銀行により、パン屋に行くが降雪量が比較的多くて、濡れると風邪をひきそうなので家へと引き返した。

どこかで小澤征爾と見かけたので日本のYAHOOなどに入れると死亡と出る。そんなことは無い筈だと思ったが、如何に多くの人が死亡のニュースを気にしているかが分かるのである。二月までは完全休養の予定であったようで、NHKをはじめORFなどで二月の声明が短報として伝えられている。

先日バッサーマン・ヨルダン醸造所の2010年産アウフデアマウアーを開けた。天然酵母を使った商品で、今年からブルゴーニュの等級システムに全面改変した醸造所でもリストアップされている。購入理由は酸の強さと天然酵母の酵母臭さがいづれ綺麗に瓶熟成するとしたものである。

結果は予想通りで瓶詰め後二年を迎える前に十分に練れていた。酸も十分に角が取れていて上質であり、酵母臭は消えていて、それでも十分な広がりがあったので、昨今のこの醸造所のものとしては秀逸であった。もはや新酒試飲会にも行く気の失せた過去の朽ちた醸造所であるが、ブルゴーニュシステムで十分なテロワールの表出が叶うかどうか真に危ういところでもある。

兎に角、厳選はしていても過去の付き合いから行きつけの醸造所や送られてくる案内が増える一方で、購入や試飲のためにはより一層厳しい基準を設けていかなければ対応できない。名門と呼ばれるところはその価格も実力不相応に高くなってきておいり、古い顧客層に愛想を尽かされたこの醸造所の価格はその質とはかけ離れる一方であろう。

雪は降り続く。春の雪らしく大雪になるのだろうか?ジャパンイムポートと称するCDシリーズから、エラートの1986年録音のボストン交響楽団との小澤の悲愴交響曲に窓の雪を視野に入れながら耳を傾ける。それにしても見事な演奏であり、十万ヴォルトの指揮者全盛期の感もある。

小澤指揮のLPはいくらか持っていてもCDは二枚しかないようだ。ベルリンの管弦楽団との安売りのプロコフィエフ全集も断念したのはやはりそこの重い弦の響きよりもボストンなどの瀟洒なそれの方がこの指揮者の演奏実践には合うような印象は矢張り正しいだろうか。もう一つのラフマニノフの協奏曲集もサロン風と呼ばれるように軽やかで良いが、ピアニストのジメルマンがやろうとしていることに耳を傾けるとまた面白い。ある意味、欧州的な感覚でいくとなかなかラフマニノフ的感興も一筋縄ではいかないことも当然であろう。北米的な合理主義の限界や再構成された文化の姿が浮き彫りになるのかもしれない。

今晩の夕食は若ニシンにジャガイモの塩ゆでか。



参照:
既視感と焦燥感の恍惚 2007-12-03 | 文学・思想
天候不順の自立神経失調 2011-08-16 | 生活
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足を通してみてドキドキ

2013-03-12 | アウトドーア・環境
注文していたブルージーンズが届いた。ちょっとドキドキしながら足を通してみた。太ももの収まりも悪くなく、ウエストは高めなのでベルトの必要があるぐらいで強く押されることもない。長さも聞いていたように決して長目とはならず、今までと変わらないどころか、幅にとられるのかそれほど長目ではない。寧ろ、もうワンサイズ下でも履けそうであったが、間違いなく股ずれ状態の傷みが早く来そうである。長さは更にもう少し改善されてジャストフィットになるかもしれないが。

いづれにしても、ストレートフィットのジーンズが体に合うようになってきたのは、たとえその体作りの副産物としても、望外の喜びである。前回購入したものよりもカッティングもデザインも間違いなく十五年ほど若作りでもある。

なるほど前回購入の時も初めてのネットショッピングであったので無難なものを選んだだけに過ぎなく、店頭で購入していたらもっと挑戦的なものであったかもしれない。それでも体型からするとこの一年ほどの締まり方は大分違うのだ。偶々ネットで一年前ほどの写真を見ると、今のように締まっていない。

フクシマから二年と言うことで世界各地で抗議行動が続いている。その反面、東京の安倍内閣は「早期帰還・定住プラン」などととんでもない計画を掲げているという。てっきり津波被害の地方が対象だと読み違えたのかと思った。その上に燃料サイクルの継続を強調しているというから、気が振れているか何かにつかれているのではないかと思うほどだ。その一方未だに食料品などに関して、「風評被害」などと実際の汚染が広がっていないかのような言葉を使う人達もいて驚く。無知蒙昧とは哀れなことであるとともに、悪なのである。



参照:
積極的な心理の青い表徴 2013-03-08 | 雑感
諸悪の根源ジャーナリズム不在 2013-01-21 | マスメディア批評
フクシマ宣言、原子力村の逆襲 2013-01-13 | マスメディア批評
さよなら原発 (散歩絵 : spazierbilder)
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間違ったヴェクトルの矯正

2013-03-11 | 生活
とても良い練習方法を考えてクライミングに出かけた。それは二通りの意味合いがあって、来シーズンにグレードアップする方法と足で立てない相棒のために迫る夏のシーズンへの準備となることに気が付いたものだ。

前者のトレーニングとは具体的には体幹を鍛え腹筋などを強化していくことで七級より上を目指すときに基礎となる体作りとなる。その方法はそのまま外の壁で登る場合に初心者や室内のスポーツクライマーが陥りやすい上へと手掛かりを求めるために体が伸びきってしまい上体の重視のための足場不足を補うための体勢作りになるときが付いたのである。

要するに、オヴァーハングでもしっかりと上体を自由に壁から離して登る練習でもあるので、同時に足場の荷重のヴェクトルが壁の内側へともたらすことが出来て、確りとAフォームで立てないクライマーのために何よりもの練習となる。

残念ながらこれを十分に相棒は出来なかったらしく、とんでもない思い違いに陥っているようで、48日目は散々な結果になったかもしれない。後四日も通えるかどうかの時点でのこの落ち度は甚だしく、折角47日目に七級マイナスで見せた可能性を一挙に萎めてしまった。核心部こそは十分でなかったにもかかわらずその前の登りが本格的なスポーツクライマーになっていたので、それを外壁へと移行することが出来たなら六級マイナスか5cぐらいは熟せると見積もったのだった。

なんというか、あまりに考え方が軽薄過ぎて呆れてしまったが、外に出て結局は酷い目に合うと一年を棒に振ってしまう可能性もあり、どうしても室内で習得して貰わなければいけなかったのだが、とても危うい。

あまりに馬鹿らしいので、私自身は七級の垂壁に挑んだが、ことごとくザイルを掛けるポジションが出来なかった。正直なにも手掛かりが無いところで宙で片手を操作するのは困難である。結局カラビナを掴んで、ザイルを掛けることになるが、七級マイナスとは異なって繰り返してもクリアーしそうにない。だからこそ、宙でも体勢を固められるような体幹が大事なのだ。

実は冬シーズンの始まり時点ではそれが勝負どころと思って練習に入ったのだが、それ以前に手掛かりや足掛かりとの按配で体勢の取り方などが出来ていないことに気が付いたのでシーズンを通してそれを身に着けることに専念したのであった。



参照:
理由も無く不安な気持ち 2013-03-09 | アウトドーア・環境
宗教改革の日に始める 2012-11-02 | 暦
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匙ならず賽を投げたその時

2013-03-10 | 
彼女の面皰は綺麗に消えていた。そして目の下の隈も。それ以上は女性の生理も分からなければ、その日に出会うことは分かっていたのだからファンデーションで隠すこともできるのだろう。

全ては彼女の意思に任せることにした。既に記したように夏以降まで云々言っているようではもはや先を考える必要のないことは確かであり、こちらもいろいろと忙しいのだ。初めての彼女との間で小さなエゴのぶつかり合いがあった。もう少しのところで匙を投げだしそうになったが、「そりゃ寂しいな」と言うと、彼女のお友達の失笑の反応もあり、流石にこちらが賽を投げる形になったのである。

それにしても彼女の本当に最初の意思表示はあの強い熱い眼差しであったことを思い出した。碧眼のどこまでも底のない重力感のない目の輝きではなくて、東欧系の女性の特徴のそれのようなものに改めて驚かされた。こちらから目をそらさない限り、気が振れそうだ。殆ど理性を失ってしまいそうになった。

さて彼女の対応や、考え得る「何とかスキー」などの父親からの姓の表示も興味深いが、やはり彼女の考え方や表現が問われている。それは彼女自身の気質だけでなく、家庭環境やひいては両親などの文化的な背景に関係するからである。

日本滞在中の買い物について尋ねると、彼女は直ぐに衣料を挙げた。

「ミニスカートとハイヒールしかなくて」、「私には体が合わなくて、私デブ過ぎるのよね」と言って両腕で自らの胸元を抱いた。

勿論ドイツ人としては肩幅も分厚さも標準以下であり、その華麗な肉体は、小柄ながらも殆どのモードを着こなせる。それどころか着物を着せても可成り違和感が無いような感じで、華奢ではなくとも万人以上である。しかし、日本人の感覚からすれば170CMはないのでドイツではハイヒールを履いてモデル並みの井達が可能なのだが、ミニはともかくハイヒールのモードにも違和感を感じたのが面白い。

繰り返すが賽は投げられた。もはやすべては彼女の判断に授けられた。そして彼女の最大の武器であるあの熱い眼差しには抵抗できるのは猛々しい性でしかないのである。三年ほど前のあの時に十分に対応できなかった仕返しのようなものを今こうして感じている。勿論彼女もこちらの大人の配慮も分かっている筈だが、こちらにもそれを受け止めるだけの男性としての力も自信も無かったのも事実であろう。

トーマス・マンの「魔の山」の件のロシア女性のモデルには、実はユダヤ人のカティヤ・プリングスハイムがあるのではないかとふと思った。ヴァルキューレようなもしくはアウシュヴィッツのドイツ女性監視のような彼女のお友達の表情を見ているととても不思議な気持ちになる。いろいろな人種や民族の表情や目を覗き込んできたが、彼女と彼女のお友達の二人のそれは私にとってはあまり遭遇していないものだ。軟な男を全く寄せ付けない彼女たち、なるようになれと言うしかないのである。男らしい?



参照:
積極的な心理の青い表徴 2013-03-08 | 雑感
想われ面皰も笑窪の純情 2013-03-03 | 女
プリングスハイムバイロイト詣で 2013-02-25 | 文化一般
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理由も無く不安な気持ち

2013-03-09 | アウトドーア・環境
気温が摂氏二桁も中盤へと差し掛かる。その反面陽射しが無くなって、雲が空を覆うとなると、殆ど絶望的な気持ちになる。バイオウェザーは最悪で、これほど不安な気持ちになったのもここ数年は無かったことである。理由の無い不安であり、正しくグスタフ・マーラーの交響曲の中を泳いでいるようである。

それでも色々と考えることは復活祭までのことであり、なにかお手上げの感じになるのである。それが過ぎれば陽気も良くて全てが解決するように感じるのも不思議である。こうした悪い天候には必ず身体の節々の神経痛のような冬の間の疲れが伴うのである。ようやく風邪引きから復活してと思うと、方々で花粉症状のような空気が押し寄せるのだからたまらない。それでも、なんら理由の無い不平なのである。要するに急に昼が長くなって、時差以上に身体の調子が狂って、眠かったりして仕方ないのである。

バーミンガムでピチピチの女学生が刺されたとかで、ガーディアンのような新聞でも匿名で無く扱っている。実名報道には断固として反対な理由はまた明白になる。要するに通学のバスで刺された女の子が可愛かろうが如何であろうが、事件の質も犯罪行為も全く変わらないのである。それでも一般大衆は私も含めて、「どんなに可愛い子で、犯人はむごたらしいことをするな」と気になるのだ。正しく実名報道の狙いはそこにあって、醜い嫌われ者の爺さんが刺されても、自業自得としか思わせないところにあり、新聞を読む必要も無くなる。商業主義である。しかし性犯罪で無い限り犯罪の質や意味は民事的な保証を除いて、全くその意味するところは変わらない。助平根性でクリスティーナの残されたツイッターを読んで、写真を観て、更に人それぞれに印象が変わるようなことはやはり間違いであると、まともな人間ならば理解出来るはずだ。

シーズンも残り精々六日ほどになってきた。第46日目は若い指導員に見せるためにも、課題を残した六級プラスを再登攀した。前回問題となった庇の下でのロープのクリッピングは身体を硬くしてひきつけた形で克服した。それは若い競技者達の視線を集めたようだ。一件は間接的に聞くところによると旨く以下なったら下まで落ちていたという批判と、その他は表情からすると「良くやるな」といった按配だった。要するに競技者にとっては次の手掛かりまで飛びつくのが手順なのだろうが、我々の安全登山からすると先に勝負してしまうのである。庇の上の手掛かりに飛びつくのは知っているルートでしか出来ないからである。我々にとっては殆ど全ては処女岩壁なのである。しかし上部はロープを掛け損なってカラビナを握ってしまった。まあ、二回目のご愛嬌だろうか。

その余勢を駆って左隣の七級マイナスを試す。これも庇の乗り越しがキーポイントであったが、手掛かりが悪いものの腕力は先のものより要らない。なんとかロープを先にかけたりして登り終えたが、一回目でこなせる実力は今はない。よって、来シーズンへの課題もぼんやりながら見えてきた。恐らく、ロープをクリッピングするときの今シーズンの課題であった手掛かりの方向だけではなくて、足場を含めたポジション取り時の体幹の保持であるようだ。しかし、これは先の若い競技者達の視線とは逆方向にあって、このヴェクトルの相違が室内競技者と我々岩壁組みとの相違であるのかもしれない。するとなると、やはり体幹を鍛えぬくしかないのだろうか?



参照:
古臭いオジサンの世知話 2013-03-04 | 女
積極的に加速し続ける合理 2013-01-03 | アウトドーア・環境
口無し死人に安倍の人でなし 2013-01-24 | マスメディア批評
Christina Edkins: police appeal for witnesses to stabbing of teenager (the guardian)
ChristinaEdkins (twitter)
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積極的な心理の青い表徴

2013-03-08 | 雑感
ジーンズを注文した。レーヴァイスの501である。ウエストサイズを2006年購入のサイズに戻した。理由は、現在使っている2009年の暮れに購入したものがだぶだぶな感じになったからである。ウエストは一つ下げればそれで良いのだが、太ももが2009年、2008年購入の双方ともだぶだぶで気になって仕方が無い。ネット情報によると2008年に新規のカッティングになっているので、その影響のようだ。

そして今回購入したのはストレートフィットとなっているから、太ももが絞られていることは想像つく。そもそも私自身は太ももが太過ぎて中々ズボンが合わないのであるが、ここ一年ほどの走り込みで大分引き締まってきており、それが太ももにフィット感を求めるようになった理由かもしれない。

今までよりも縫い代が狭いので小さくなっているとかの記載もあるので、実際に届いてみて履いてみないと何とも言えないが、今までと異なるのは余分な脂肪が無い分、大抵はウエストも太ももの押し込んでしまえる自信があることで、生地さえしっかりしていれば、使える筈だ。

そのような些かストイックでスポーツマインドで履き熟すつもりなので、前回はブルーの暗めのものを選んだが、今回は明るめの色落ち風のブルージーンズにした。若い女の子と付き合うために若作りしようという気はさらさらないが、そうしたフィッティングでそのようなデザインのものを着こなせることは、少なくとも心理的な積極性の表れに違いない。



参照:
三年振り新調のジーンズ 2006-12-29 | 生活
ジーンズの裾の綻び 2008-10-29 | 生活
締まりの良いストレートな買物 2009-12-22 | 雑感
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春らしい貝の観察

2013-03-07 | 料理
春らしくなってきた。朝晩の冷えはまだまだ真冬であるが、昼間の強い陽射しは日光浴に適する。それでも裸になって外で寝そべる気持ちなどは毛頭ない。一月の間に全てが進行する。

懸案の事案もようやく片付いたようで、心理的にも氷解である。事務処理などには追われそうであるが、ここから夏時間になるまでの三週間ほどを精一杯謳歌したいものだ。

そろそろ相棒の医者から石切り場へ行こうなどと言う声が掛かるかと落ち着かないが、冬時間の平日は夕方の出かけても意味はなく、精々昼前後の時間のみである。予定は月末の復活祭の週に暖かいところで試してみるぐらいだ。それまでの移行期間に腕の調子や体調などを整えて、室内から室外へと継ぎ目なく進めたいのである。

昨晩開けた祝杯のフォン・ブール醸造所のシャンパーニュ風ゼクトは、予想通り2011年のデゴルジュ直後からすると大分新鮮さは落ちていた。それでもボンゴレに合わせたリースリングゼクトとしては十分であった。なによりも2007年産ペッヒシュタインのミネラルをふんだんに感じせながら、グローセスゲヴェックスよりは大分安い。手回しでこの価格でこれほどの葡萄を使っている例は外国ではありえないだろう。本格的な商品であるよりも、ファン向きの商品のようなものだ。最後の二本を買い占めたものである。

四旬節中はやり残したことをじっくりと腰を落ち着けて片づけてしまって、本格的な春から初夏へと一挙に開花したいものである。昨日の散髪は改めて落ち着いてくると問題のMフォームも和らいで、鏡を見て満足している。女性に聞くと今までと違うことは一目瞭然で、もう少しサイドを刈り上げてもよいのではないかと言う評価だった。しかしそうなると気が横に立ちやすいので逆にヴォルューム感が出てしまう。

購入した買いはいつもの北海産のオランダからのそれであるが、初めて塩水につけると生きているのが確認できた。先週金曜日ぐらいの包装であるので、真空状態でじっと生きていたことになる。流石に砂を吐き出すようなことはしないが、空気を出したり、重心を変えて貝の向きが変わったり、毛を吐き出すなどの状況が観察できた。流石に新鮮な味がした。



参照:
客観を装うあくのある「中立」 2011-12-05 | 料理
ストレス続きで次の一手 2013-02-22 | 生活
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快さを含めての算段

2013-03-06 | 生活
足の筋肉痛が一寸快い。やはり上体の凝りや張りなどに比べると元気が出るのだ。荷物の配達を待って、旨く床屋に駆け込んで、洗濯まで済ませてしまえると嬉しい。

陽射しが強くなって、いよいよ私も啓蟄の時である。冬篭り部屋を出て南からの陽射しを浴びて用事が出来るようになると、春である。夏も直ぐ其処になる。

四五件の用件が旨く行くためには時間通り進行しなければいけない。旨く行けば夕方にはすっきりした頭で一風呂浴びて、2007年産ペッヒシュタインのシャンパーニュで祝杯となる。

先日から2010年産を少しずつ試して行っている。飲み頃を迎えてきたPCクラスが主体である。その中でジンメルン醸造所のバイケンはそれほど悪くは無く、独特の花梨かなにかの味が快く熟成していた。惜しむらくは、減酸行程がそれほどではないので、二日目には残糖感の様な黄昏感が漂うことだろう。

逆に確信できたのはブリュクリン・ヴォルフ醸造所のような特別な減酸処理を行いつつも残糖値を落とさずに醸造したGCは偉大なドイツワインとして幻のリースリングとなることである。恐らく彼の年のキルヘンシュトュックは二十年後には世界で最も高価な白ワインとなるに違いない。兎に角出荷量が二千本ほどであり、他のGCも直ぐに売り切れた。さて私自身が頑張って買い込んだワインはどうなっているだろう。二十年も飲み干さずには待てそうにも無いが、一本ぐらいは残せるだろうか?

いつもの髪結い屋はどうも店じまいしたようである。理由は分らないが、親爺かおばさんの病気でなければ良いと思う。ここ暫くは女性客が減っていて、明らかに店を開けているだけの価値はなさそうだった。一時はばあさんも含めて女性の従業員もいたのだが、いつ頃からか親爺ひとりの店になった。奥さんは客の接待だけのマダムだった。

仕方が無いので地元に戻ってきて、いつもの通い道にある歩いていける場所の髪結い屋に入った。予想に反して小母さんがでてきた後は、親爺の客だけだった。価格はドライは今までの店よりも安かったのだが、ウェットカットを薦められたので若い女性に遣って貰った。気持ちよさの追求でマッサージをしてもらった後、ローションを掛けられてのカットである。バリカンを旨く使いながらの方法は異なるが、カットの感じは悪くは無い。さて、料金はチップを入れて22ユーロとなったので、8ユーロほど高価になった。価値があるかどうかは時間の経つごとの変化も見てだろう。

英国での80年代の最初のウェットカットの話もしたのだが、長らくそれをやっていなかったのだが、その時の印象よりも大分良い。なるほど彼女が言うように「只濡らすだけってのもあるでしょ」のその通りだったような気がする。少なくともマッサージは無かった。しかし、これで祝杯も挙げれそうであり、なによりも散髪のお陰でフレッシュに若い彼女たちの前に立てるのが嬉しい。



参照:
降誕祭前の髪結い風景 2012-12-20 | 暦
「先ずは心の準備」の価値 2012-09-27 | 生活
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大分マシの今日この頃

2013-03-05 | ワイン
久しぶりにパン屋の帰りに走った。僅か25分ほどであるが、いろいろと葛藤がある。先ずは陽が春らしくなってきたが、駐車場の温度は零下三点五度と寒く、乾いている。靴ひもを敢えて締めなかったので、坂道の途中で足に来た。折り返し点まで14分ととても遅い。そして下りは11分で降りてきているのが、現在の体調をよく表している。

先々週末はアイスクライミングだったので、二週間ぶりぐらいになるか。もう一つ体調が完璧でなく、気管支がぐずぐずするので気持ち悪い。そして腕の疲れは慢性化していて、久しぶりに走ると足腰もふらふらしてきた。林道の先に獣が表れたが、何時ものバムビに比べて大きく体格はよくても角は分からなかったので、雌鹿かもしれない。それにしても運動はしていてももう一つヴァイタルを感じないのはどうしたことか?殆どうつ状態なのである。数年ぶりの出来事だ。

昨日は断食期間中のステーキとした。赤ワインを開けた。ゼーガー醸造所の2010年物である。本来ならば飲み干していけなければいけないのだが、2010年の未成熟さの瓶熟成を待ったのである。結果は、意外にも良くなっていて、2010年の特徴を味わえるが、やはり先日のボーヌのプリュミエクリュと比べるとハイデルベルクのセメントは半額の価値である。それでもブリュゴーニュのACよりは大分ましである。

昨年事故の時に使っていた安全ベルトに加えて新しいものが欲しい。腹回りが痩せてきていて、腰で止めているのだが、もう少し締め込んだ感じと、スポーツクライミング専用の軽快さが欲しくなったからである。締めた感じが無いと頼りないだけではなく、最終的にすっぽけはしないかとの不安があるのだ。特にアクロバティックな動きが増えてくると頭から落ちたらどうしようと考えなくもない。それが昨年の自然落下直前の印象だ。

ペッツル社の金具無しのSAMAのLサイズを愛用していて、腰の保護にもなって快適なのだが、人のを借りてみて試してみた。先ずは現在使っているLでも十分に絞れるものもあれば、最新のHIRUNDUSなどではやはりMサイズでは小さすぎてLでなければいけないことも分かった。SAMAが色違いの赤い新モデルは30Gほど軽くなっているので、スポーツクライミング用のHIRUDUSもマイナーチェンジになるのではないだろうか?それを待つか、安売りになるのを待つかである。



参照:
熱を出して寝込んだ 2013-02-15 | 生活
子供錠剤の甘味料に注意 2013-03-01 | 生活
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古臭いオジサンの世知話

2013-03-04 | 
買い物に行った。気になっているプラチナブロンドの彼女がいないと思っていたら、暫くして出てきた。どうしたのかなと思って、ちらちらとみていたのだが、彼女の客の婆さんが釣り銭に手間取っているうちに、違う売り子が私のお相手をした。それは仕方ないなと思っていたら、その売り子が私の注文に応じてよそに行っている間に、「宜しいですか?」と声をかけてきた。これは間違いなく、声を掛けたくて知りながら声をかけてきたなと確信した。

肩からシュールを掛けたりして売り子の衣装としては少しお洒落で優雅な感じのあるブロンド娘である。名前は忘れてしまったが、目が小さめで、口元もしまっているので小作りな顔立ちなので ― これは肉付きが良くなると、目の切れ幅が短い分、おばさん顔が思い浮かぶ ―、どこか気になる娘である。その店では、ナーダャという子に恋文を渡したのだが、どうしてもそれ以上にアクションを起こせなかったので、なにか彼女のおじいさんやおばあさん辺りから間違い電話らしきが掛かったような経験がある。その店の研修学生はいつもタイプなのだが、彼女の細面の清楚さは特別だった。

それに比較すると、ブロンドの彼女はそこまでのお気に入りではないのだが、こうして若い娘からちょっかいがかかると平静ではいられなくなるのは健康な男性ならば当然のことだろう。但し、ああした店先において、ナーデャにしたような積極な行いは何度もできない。寅さんでも同じ場所で二回も違う娘にちょっかいは出していないのと同じである。

昔から、若い娘が妻に死別した中年男性に母性本能を感じるという話はよくあったが、買い物に出けていつも自らの食料を買い込む男性と言うのは同じように彼女らの関心を買うらしい。買い物客の独り者の中年男性にとっては、娘たちの心の動きを感じれるだけでも買い物以上の価値があるのかもしれない。だからと言って、彼女らと世間話をして喜んでいるようでは爺さんである。

シーズン44日、45日目はそれなりに価値があった。44日目はトップロープに専念して八級マイナスまで試みたが可能性は殆どなかった。それでもシーズン最後までの日程を考えて締めを考えると同時に、来シーズンへの狙いも定めることが出来た。45日目は夏に一緒にドロミテへと遠征する仲間が全員揃ったので、結構火花が散っていた。それでも実力は明白で、恐らく夏までは変わらないであろう。

その中でも私のライヴァルの彼と、奥さんを亡くした堅実なクライマーが、それなりの力を見せてくれて、危なげなく石灰の五級プラスまでは登れるだろうことを示した。眼鏡親方のVIDEO撮影をしたが、それを見て本人が何を気付くか、全体の成功に大きな影響を及ぼすであろう。

十八歳とボルダー選手権に出るような若い男が後を登っていたが、あまりに上半身に頼り過ぎていて、足を使えていないのは明白であった。全く異なった感覚で登っているので、彼らが大きな岩壁を登るには初めから意識改革をしないと難しいだろう。そもそも欧州の古臭いクライマーは同じような登り方をしていたので、決して新しいことではない。



参照:
想われ面皰も笑窪の純情 2013-03-03 | 女
老いも若きも春らしく 2006-04-26 | 生活
あの時の気立ての良い娘 2011-09-02 | 女
口説きの壁を越えられるか 2009-06-03 | 女
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想われ面皰も笑窪の純情

2013-03-03 | 
愛しの彼女にプレゼントを渡した。予定外ですれ違いになったので待っていなければいけなかったが、上手く渡せた。次の段階であるコンタクトアドレス交換まではいかなかったが、彼女にとっては寧ろそれぐらいの段階を踏む方が受け入れやすいだろう。

少し待っている間、少し胸の高鳴りを感じて、こちらまで三十年近く若くなった気持ちになったのには我ながら驚いた。これだけの純な気持ちになれたなら殊更誠実さの芝居をしてお友達に判断してもらう必要もない。それにしてもお友達の表情を見ていると、IQも130以上と高そうで彼女の家庭よりも質素で知的でプロテスタントな家庭であることが分かる。彼女の「厳格父親」がBASFの中堅マネージャークラスとすると、お友達の家庭は、法学関係だろうかプロフェッサータイトルぐらいを持っている父親であると感じた。そしてお友達自身は、長女もしくは兄一人の感じである。兎に角、若い女性にしては視線が恐ろしく厳しい。

「xxxxxxちゃん、君たちにプレゼントがあるよ」と立ち上がると不意を突かれたようで驚いていた。「食事に誘われるためにも練習してね。」と渡すと、「とてもご親切に」とまるで日本学の女学生のように少し申し訳のないような顔をして素敵な笑顔で礼を言う。

「ピーナッツでも右からから左へね」と、すると「練習ね」。

「日本から?」と訊ねられた。「ある日本人からもらってね」と答えておいた。

お友達のとても抑制のきいた笑顔をちっらとみて、そして彼女の顔の僅かな吹き出物のようなものに気が付いた。化粧気のないドイツの若い女性であるから、それほど不思議な感じはしなかったが、前回には気が付かなかった変化だった。勿論否定的な印象よりも彼女の若さを感じて、ちょっと嬉しかった。俗にいう、痘痕も笑窪とはよく言ったものである。

それにしても、ここまで首尾上々に進行していて、こちらも行動とともに徐々に昂ぶりを覚えるのだから、彼女の方も十分に気持ちが盛り上がってこないようではどうしようもないだろう。具体的にはお友達の判定や押しや協力が両親の判断以上に彼女自身の決定的な決断に繋がることは間違いなさそうである。さて、夏までぐらい納得の行くまでお付き合いすることになるだろうか?そこまで行かないようならば駄目だろう。



参照:
棒にも箸にもかかる? 2013-02-27 | 女
日本への値千金の愛の告白 2013-02-16 | 女
会えなくて、寂しかったよ! 2013-02-03 | 女
コメント (2)
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若年者への精神的影響

2013-03-02 | 歴史・時事
一昨日の新聞を見るとネットでの未成年者への性的接触のフォルムが摘発されたとある。三十件ほどが家宅捜査にあって、投稿の文章などが証拠として押収された。二十代から七十代までの男性が未成年者と知りながら性的な内容の交流をしたというのである。実際に出会った者もいたというのだが、容疑を認めているため逮捕者は出ていないという。

恐らく問題になるのはネットにおいて未成年者とどのように同定できたかだろう。しかし、写真とかではなくその文章による交流内容によって性的被害者として認定するのは問題ないであろう。侮辱罪とかと同じで、なにも物理的な被害が無くても被害は被害なのであろう。

日本のネットでルーマニア人少年の犯罪が目を引いた。いま欧州でも最大の問題となっているのがEU加盟のこのルーマニア人の扱いだろう。生活が出来ない、仕事が無いことからの生活難民を自由に動けるEU内で増やさないことが課題となる。

同じような状況は各々の東欧の国でもあるのだが、その状況がそこではとても悪いに違いない。スラヴ人とラテン系との交わりのルーマニアには南欧特有の気風もあるに違いない。それにヴァルシャワパケットの中でも悪質な独裁が敷かれていて独裁者家族が一気に処刑された経過でもその国の劣悪さが分かる。

欧州や東京だけでなく世界中に同じようなルーマニア人が生活を求めて散っているには違いない。盗癖は養育環境などにはよらないと思われるが、強盗殺傷となると可成り荒ぶれた家庭環境を想起させる。

外国の安い労働力を手軽に調達し続けているドイツにおいても ― 昨日も手に職を持った配管整備や看護師のような職種の外国人も高等教育を受けていなくとも人手不足で積極的に受け入れると発表された ―、そうした外国人のドイツの社会への統合が最も大きな課題となっていて、要するに吉祥寺で起こったような外国人を生まないことが重要なのである。

そしてこの事件から想像されるのは、表面上は厳しい島国日本の出入国管理もずさんであって、その後の外国人への目やバックアップ体制も疎かになっているという現実であろう。こうした事件の背後には、なにも軍属の米軍関係者だけでなく、数を数えられないほどの社会問題化している場合が存在していることは確かであるのだ。



参照:
張りぼて大男の大切な仕事 2009-06-30 | 生活
ノーパートナー・デモグラフ 2006-09-24 | 女
悪夢の特命潜入員 2005-09-01 | 雑感
ルーマニアのシャドネー 2004-11-22 | ワイン
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