Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

反反理性への感情的高揚

2015-06-16 | 歴史・時事
巷でのTTIP議論が本格的になってきた。公共放送は両方ともこの問題を最大規模に扱っている。新聞には、米民主党の反対で苦難するオバマ政権については大見出しになっていたが、G7に伴って行われたATTACなどの反グローバリズム運動とこの問題を関係付けられていなかった。しかし、ガルミッシュ・パルテンキルヘンでの反対運動はTTIPに向けて入れられていたことが徐々に報道されるようになってきた。

EUは、裁定権を与えるISDS条項 "Investor-to-State Dispute Settlement"を受け入れないことを表明して、現行のTTIPは受け入れ難いことを明確にしている。公共放送の報道姿勢から、一般的にその問題点が広く知られるようになってきたようである。新聞が今後どのように伝えるようになっていくかが注目される。ISDS条項のような裁定権無しにはこうした条約も成立しないが、反対派は「TTIPは反民主的」と絶対受け入れない姿勢を示しているので、この秘密交渉による条約は成立しないに違いない。

そろそろ、また日本の話題が世界で語られるようになるだろう。沖縄問題に続き、どこかでは聞いていても十分に認知していなかった砂川裁判というものが語られるようになったとき、現在の安倍とその一味の米国追従路線とその民族主義的な修正主義の矛盾を明らかにしてくるからである。戦後レジームを打破とか主張しながら、同時に1959年に顕著になった米国占領の関係を根拠に、追従を強化しようとしているのが集団安全保障法案である。

日本国民で、この砂川判決の歴史的状況を、今新たに受け入れる国民はいないであろう。そしてその先には名誉の死の靖国への合祀が予定されているということで、おどろおどろしい未来が近づいているということである。歴史修正主義というのは、自己正当化へのコムプレクッスからの反発だと思っていたが、まさか本気でそれを再び繰り返す魂胆だたっとは恥ずかしながら気がつかなかった。つまり反理性主義そのものだったのだ。

冷戦終了後に世界各地で沸き起こったのと同じように、そうした日本の動きを利用して、合衆国の世界戦略を推し進めようとしているワシントンであるが、EUとの関係をみても、その影響力は低下しているのは明らかなのだ。それゆえに形振り構わずの合衆国の戦略があまりにもあからさまになってきていることで、同盟国といわれる国々の市民の目が厳しくなってきているのである。

連邦共和国においてもシュレーダー政権時のイラク侵攻への反発やその後の合衆国への距離感などはとても自然な理性的な反応だったのだが、日本においても十年ほど遅れてそのような契機が訪れたようである。先ずは沖縄問題で、県外の日本国民は客観的にそれを自身の米国従属の姿として映し鏡のように重ね合わせ、そして憲法問題の論議の露払いとしての今回の集団自衛権問題で、とても感情的な高揚を迎えているようだ。世論が変われば官僚組織は直ぐに偏向する。

そもそも日本から連邦共和国への移住を決意したのはこうした日本の将来を想像していたからであり、短波放送の海外放送を聞くうちにあまりにも日本での情報が毎日のように対米経済や合衆国のトレンドのみに限られていたことに気が付いたからだった。連邦共和国においてもハイデルベルクやマンハイムなどの米軍の居住地を避けて住みたいと思ったのもそれに関係していたかもしれない。当時は東西ドイツがあり、徴兵制があったが、少なくとも従軍するなら日本軍よりは連邦共和国軍の方が良心に背かないと考えたのだった。しかしそれがどうだろう、今は連邦共和国から徴兵制がなくなり、日本にそれが生まれようとしている。飛躍しているように映るかもしれないが、靖国が準備されている以上時間の問題だ。それも経済弱者徴兵制として大日本帝国軍よりも醜い形としてである。



参照:
異常なI’m not Abeな事態 2015-04-30 | マスメディア批評
部分否定即ち全否定の阿呆 2014-09-19 | マスメディア批評
見苦しい日本国大使の反論 2014-01-22 | 歴史・時事
奥崎、安倍晋三を撃て! 2013-12-28 | 歴史・時事
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ヴァージョンアップ準備完了

2015-06-15 | テクニック
コンセプトの明確なWIN8.0を喜んで使ってきたが、その後WIN8.1にアップデートをした。その後一度初期化して今度はCDROMには独版ではなく英語版しかなかったWIN8.0を新たにインストールして、頑なに8.1へのアップデートを拒んできた ― コンセプトが中途半端だったからだ。そして一年以上になる。しかし、電源を入れたままにしておいたらいつの間にかアップデートが始まっていた。

古い8.0のアーカイヴを作ったりされるのでハードディスクが足りなくなって、途中で停止するのではないかと危惧していた。しかしアップデートが終わると意外なことに、以前よりも空き容量が大幅に増えていた。これはどうも自分でアーカイヴを他所に移したりしている内にそれ以上にアーカイヴが見えないところで増えていたようだった。これで五週間以内に再びWIN10に乗り換える準備が整った。

下品でどうしようもないスレート土壌感のトニー・ヨースト醸造所で購入した本命は、グランクリュのバッハラッハーハーンの地所の左右の場所から採れたもので、グローセスゲヴェックスの葡萄を囲む葡萄からのPCリースリングである。先のデーフォンのしつこさにヘキヘキしたが、流石にこれは大分違う。下品ではなく、しつこくないのだ。これならば杯がすすむ。土壌も違うのだろうが、葡萄の質も違う。

それでもミッテルライン特有の強烈なスレート感は変わらない。だから食事には合わせ難い。それでも揚げ物とか日本食の強い味に負けないだけのリースリングで、こうしたリースリングは欧州には他にないだろう。先代の奥さんに言わせても食事の推薦を考えていたが、天然素材の味のドイツの食事には難しいと思った。やはり味の強いアジア飯に合う。

醸造している人に大きな影響を与えてしまうだけに、試飲の時に不用意な感想は述べられないが、それでも試飲の時には判断できないこともあるのは正直な告白である。幾ら腕を磨いてもやはり食前・中・後とじっくりと味わって判断を下せることもある。さらには他の人の意見を参考にすることも必要なのだ。そこでデーノッフ醸造所のグーツリースリングを家で吟味した。

そして一番似ている醸造所が分かった。意外なことに嘗てのビュルクリン・ヴォルフ醸造所のリースリングだ。共通点としてアルコールの出方と独特の香味であるが、これは培養酵母の選定だけでなくその醸造法に共通点があるからだろう。基本的にはクリアーでフルーティーなリースリングということである。ビュルクリン・ヴォルフの方は天然酵母の自然発酵になってしまったので、そこには嘘がないのだが、デーノッフ醸造所の方は特にこのグーツリースリングにおいては地所も悪く味気がないというしかない。更に雑食砂岩の地所を保有していることからどうしてもプファルツのそれに似てくるのだろうか。

しかし、食事に合わせるにはニュートラルで使いやすいが、2014年に関しては焦点が定まらないワインになってしまっている。これならば同じナーヘでも地所の優れたシェーンレーバー醸造所のグーツリースリング方が良かったに違いない。それでも三つのグランクリュの多彩さとテロワーの出し方は流石だと感じたのだった。

こうして集中的にスレート土壌のリースリングを試してくると、シェーンレーバー醸造所の青系のスレートの偉大さはあるとしても瓶熟成などを考えると手軽なものとはならずにそれだから特別な土壌にもならないということである。やはりザールの細やかなスレート土壌感に勝るものはないと感じた。その意味からは千枚岩のラインガウで天然酵母による綺麗な発酵をロベルト・ヴァイル醸造所がはじめることになれば、なかなか太刀打ちできないようになるであろう。



参照:
WIN8.1より優れたWIN8 2014-04-15 | テクニック
クリーンインストールをする 2014-05-07 | テクニック
石橋を叩いての樽試飲 2015-06-08 | 試飲百景
桃の味の正体である酵母 2015-05-31 | ワイン
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アルベリヒは南仏に消えて、

2015-06-14 | 雑感
ジェームス・ラストの死が昨日の新聞に載っていた。そのサウンドや曲は思い浮かばなくても、ポール・モーリアなどと並べて、ドイツを代表する世界的有名人には違いなかった。

アムステルダムでの「ルル」上演の新聞評を読んだ。奈落のコンセルトヘボー管弦楽団と指揮のツェグロセクが大きな成果をあげていたのは当然だろう。それはあの交響楽団の織物のような弦楽部のアンサムブルとそれに絡む管楽器などの絶妙さを知っている者ならば、そこでのマーラーの最晩年の交響曲の演奏実践を知っている者ならば、アルバン・ベルクのここでの書法にはこうしたアンサムブルが欠かせないことが分かるだろう。当然ながら「モーゼとアロン」でのザルツブルクでの演奏も素晴らしかったが、それ以上にその「音調の妙」がそこで示されたことだろう。しかし、ミュンヘンでの先輩女流評論家と同じくここでも女性評論家はそうした音楽的な構造には触れないで、正確とか、透明感とか形容するがそれ以上には演出しか批判しない。しかし一箇所だけ「時間の経過に関して造形芸術は音楽とは全く違う」と本質に繋がる点を指摘して ― そこで作曲家がどのような構成を導いたかが肝心なのだ ―、視覚的に多い情報量を聴衆が目で追うことで音楽の邪魔になったとする批判にしている。

楽匠リヒャルトの孫ヴィーラントの娘のニケ・ヴァークナーの七十歳誕生日に前後して、バイロイトの陰謀が話題となっている。この時期になって、八月一杯で袂を分かつ、先の勝ち組ヴォルフガングの娘パスクエ女史が劇場から締め出しを食らうことで、内紛が明らかになってきた。ヴォルフガングの秘書の娘カタリーナがその就任条件のようになっていた母親違いの姉を締め出すことで、その仲違いの理由が理解されるようになってきたからである。

一部の新聞報道によると指揮者ティーレマンの陰謀としていて、なるほど一昨年・昨年のキリル・ペトレンコの大成功がその一味にとって脅威になってきたことが分かるのだ。今回も声明を出したベルリンのバレンボイムやミュンヘンのペトレンコがそのものパスクエ女史のアーティストアドヴァイザーとしての人的関係に深く結びついているようで、彼女が劇場をうろうろすることで今後の人事にも影響を与えると恐れたのだろう。

面白いと思うのは、ペトレンコがパスキエ女史がそこにいることを出演の条件としていることと、ジークフリート役のライアンを追い出したことを問題としていることだろう。これを読むとやはりパスキエ女史がその後も秋からアドヴァイザーとしての契約を結ぶことになっていて、盛んに動いていた風は想像される。そもそもティーレマンとの関係もペトレンコの成功で劣悪になっていたに違いない。要するにパスクエ女史がいなければ、ペトレンコのバイロイト登場はなかったことが、これではっきりする ― そもそも牛耳ろうとしている指揮者が自分を脅かすほどの指揮者に舞台を与えることなど全く考えられないからだ。

そして同じぐらい話題となっているのが券が余っていることで、四月ごろに気がついていたが、若干の色気があったのでここでは書かなかった。どうもバイロイトの券が公平に配給されることで今まではブラックマーケットや関係者に渡っていた券がだぶつくようになってきたらしい。そもそも東ドイツが併合されたとしても90年代から益々券の入手が難しくなっていたのには疑惑があった。音楽劇場の券は、ミュンヘンでもバーデン・バーデンでも同じようにそれほど需要がないのが事実で、多くはサークルなどの行事としての定期会員への販売として処理されていて、一般売りの発券数が少ないから券がだぶつくようなことを避けているに過ぎない。

そうした状況の中で、三年目の「指輪」が録画されるということになって、焦ったのか今年の初日であるカタリーナ演出の「トリスタン」も中継されることになったようだ。しかし流石に初日の生中継ではなくて八月七日に中継されるとある。ティーレマン・カタリーナ一味が追い込まれた状況がよく表れている。

ニケ・ヴァークナーによると、ヴィーラントの死後に、弟のヴォルフガングがその「財産」を引き継ぐと同時に、ヴィーラントの家族は駆逐されたとある。そして法人化の中での締め出しが確定していく状況は、「指輪」の世界そのもののソープオペラなのだが、そのヴォルフガング体制を批判している。女史に言わせると「ヴィーラントの革新的な劇場は、ヴォルフガングによってフランケンのビーダーマイヤー風になり、現在のカタリーナ体勢で古臭く、くすんだものになってしまっている」と撃破する。それでもカタリーナ体制は長続きしないだろうと、長くても2020年までと考えていて、最後の機会を掴みたいようだ。



参照:
「大指揮者」の十八番演奏 2014-03-18 | 音
ヴァークナー熱狂の典型的な例 2014-07-26 | 音
はん旗が掲げられる日々 2015-03-27 | 雑感
百年後の現在の社会の構造 2015-06-04 | 音
アトリエのビッグシスター 2007-07-26 | 女
下馬評に至難な金科玉条 2007-09-30 | 文化一般
迫る清金曜日の音楽 2008-08-27 | 文化一般
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残された不思議な感覚

2015-06-13 | 雑感
日曜日の山登りに続いて、いつもの沢沿いで走った。初めて心拍数を綺麗に測れた。体調は普通であったが、ベットで安静心拍数(57)を測ってから一時間も経っていないので、限界はあった。走り出しはいつものように押さえることなく、先ず中距離的に上げてみた。設定したゾーンの上限は分168拍なので直ぐに鳴った。なると同時に呼吸法を考えて、押さえて更に走り続けると、警告が鳴ったり止んだりの168前後をキープしたつもりだ。

勿論そのペースで走り続ければいつもよりも早い記録が出ることは知っていた。しかし、後半薄い登りとなってくると、ペースが落ちると同時に心拍数も170を越るようになる。これはグラフを見ると明らかだ。要するに時速10KMが保てなくなると同時に心拍数も下がり難くなる。

なるほど前回までよりはGPS捕捉が出来ているようだが、完全には捉えられていない。標高にも疑問があったのだが、往路と復路が同じ値を出しているところは恐らく正しいのだろう。そうすると高度差が全体で最大50m近くあるが、走っている感じでは全く感じない。やはりおかしい。距離も若干短く出ているようで、それによるともう少し速度はあったかもしれない。

数字だけを見ると往路が10分50秒台、復路が11分30秒台なので記録かもしれない。しかし不満は既に書いたように往路後半での速度低下と復路の落ち方である。最後のスパートはよいとしても、もう少し時速10KM台を維持できないと駄目だろう。同時に最高速度をせめて12KM以上にしたい。

爪先走りは身について腕の振りも強く大きくなったが、よほど調子がよくなければまだまだ空を飛ぶような感じにはならない。早く走る練習を取り込まないといけないだろう。ピッチももう少し伸ばすことは出来ると思うが、腕の振りが更に大きくなると身体のバランスをとるのが更に難しくなる。そして結構筋力がいるのだ。

ブログ「NEXT DREAM 記憶と記録」にて白馬村の話題を読んでいて、そこに別荘を購入した山の仲間のことを思い出して電話した。先ごろ地震が起きたときに連絡を試みたのだが、電話が通じなく心配していたからだ。こうした機会がないと忘れてしまって機会を逃すので、神戸の自宅の方へと電話した。本人が出てきて、三十分ほど話が出来た。

地震で下敷きにでもなったかと思ったが麓の方はなんともなく不在中のペットボトルが倒れていたぐらいだったということだ。古い家を建て直したようでそれもよかったのかもしれない。現地の写真を見てその話をしながら、訪問によい時期などを話していたが、身辺の話になった。

先日当時の一人の仲間が亡くなったようだ。一年前に急性白血病で入院したようだが、帰らぬ人になったということである。故人のことは十代の時の思い出として鮮烈に焼きついている。それは、最初の本格的なクライミングを錫杖岳で行ったときのパートナーだったからだ。確か前衛壁の左方カンテから本峰の方へ回ってビヴァークを余儀なくされたときのことだ。本峰まで足を伸ばすつもりはなかったのだが、降り口が分からなくなったのは経験がない者としては仕方がないだろう。我々の仲間のもう一パーティーも一緒に行動したのだが、壁の足元の横断路の真ん中辺りの庇の下で夜を明かすことになったのだった。更に明朝二パーティーが別れて降りるなど最初のしくじりとして忘れることの出来ない苦い思い出である。幸い両方とも各々二名は無事にベースへと降りてきたのだが、私の判断は未知の壁を懸垂下降することであり、昨年もアルプスで同じような状況に陥ったときに思い出してしまった。

懸垂下降するところは下部岩壁で傾斜も弱くいざとなればごぼうで登り返せると思ったからであるが、上から見えていたボルト一本が手掛かりだった。今から考えてみると40Mザイルで二回しか懸垂していないので大した距離ではなかったが、日本の岩場としては二回も懸垂下降するのは十分な大きさだった。そのときのパートナーで、後には仕事の関係で他所へと移って行ったが、いつもそのときの経験とともに忘れられないそ存在であった。

結婚後障害児を持つようになって、時間もなかったのかもしれないが殆ど会う機会がなくなった。そのようなことで、昨年もあのときのことを鮮烈に思い出す機会があったにも拘らずなんら連絡する方法もなかったのだった。どのような生活をしていたかはあまり分からないが、最後まであまり昔話をしているような気分ではなかったのだろう。聞くところによると享年62歳らしい。年上に関わらず、故人の人生の転機のようなものをつぶさに見る境遇があって、十代の私にはその決断のあり方などは十分に理解できなかったのだが、こうして逝ってしまうと、そこには運命というようなものしか感じさせない不思議な感覚だけが残されることになった。



参照:
仮眠後の不健康な運動 2015-06-09 | 生活
詳しく検証すべき記録 2015-06-07 | 雑感
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初めての三星商会製品

2015-06-12 | テクニック
発注していたマイクロSDカードが届いた。レノヴォのタブレット「ヨガ」で使うためだ。今まで使っていたのは32GBの大きさで、出かけるときにヴィデオなどをこのカードにデポしておくと、いつの間にか一杯になった。最近はネットで落としてくる映画等も4GBにもなるので、八本も入れると一杯になる。そこで64GBを購入することになった。

通常のSDカードならば、SDHCで128GBまであり、64GBの容量は一般的で実際にカメラなどにもそれを使っている。それでもミクロになるとSDXCしかないようで価格も高い。それよりも何よりもヨガに使えるかどうかが定かでなかった。ネットを調べると限界が32GBになっているようだが、フォーメーションをexFATで行えば可能ということでそれを試した。

そこで一番安い商品であるサムソンのEVOと称する廉価品を発注した。そしてちゃちな包装を開けて、WIN8にアダプターともども差し込むと、なんら問題なく読み込め、勿論64GBと認識する。既にフォーメーションしてある。そこでヨガに差し込むと、今度はカードを認識してフォーメーションの必要性を尋ねてきて、ここで初期化した。これでヨガのカードとなり、64GB近い値を掲示した。これで使用可能となった。同時にそれをPCにおいても読み込めた。

その後問題になったのは、今まで使っていたカードをPCで読み込むことが出来なくて、その内容を移植である。しかし最終的にはWIN8で認識して、中身をコピーして、新しいカードにコピーすることが容易になった。その前に問題となったのが、新しいカードでは、インストールしていたアンドロイドのアプリケーションが認識されなくなったものが多く、再びダウンロードして再インストール必要があった。

なにはともあれ使えることが分かったので、ここに記しておく。こうした非公式情報は本当に助かり、ネットのお陰なのだ。参考にする人もいるだろうから、恩恵を還元する必要がある。そしてこの如何にも廉価品らしい商品が初めて購入したサムソンの商品になるようだ。周りにはサムソンやヒュンダイが溢れまわっているのにも拘らず、直接には今まで一度もサムソンに金を払ったことがなかった。決して避けていた訳でもなく、サムソンの技術力もある程度は分かっているつもりだが、今まで購入の決断はサムソンに下ろされなかった。そういえば昨年増設した二枚のメモリーはサムソン製だったが、パーツならば車にもどこにもサムソンは入っている。 

今回同時に発注したメモリーは1GB二つが17ユーロで、差し込んであった500MBを抜いて、二つのスロットに入手した各々1GBを差し込んで、電源を入れると合計2GBのメモリーを読み込むと同時に立ち上がった。全く問題無しだった。使ってみると、XPを立ち上げて暫くは安定するまで待っていなければいけなかったのが、殆ど問題なく作業が出来るようになった。ヴィデオを流しても重さは感じられない。XPでこれだけの容量があると余裕がある。心なしか問題になっていた電源部の騒音が静かになったようだ。これで、他所から取ってきたPCに投資した額は150ユーロを超えたが、これはこれで使いようがあるので喜ばしい。ただしディスカウントPCなのでメモリーもNon-EECであり、安定度は高くないが、少なくともストレージとしては問題なさそうだ。

さて、その前日に発注したワークステーション用のECCのメモリーが届かない。これは価格が安かったこともあって、兎に角注文したのだが、販売店に下ろす業者がなかなか供給できないようで、発注時には納期が二三日、その後は三週間、そして今はサイトから消されてしまっている。入手できないならその旨を伝えてもらい、返金してもらえばよいのだが、業者が探しているのだろうか?その商品が予定通りの価格で入手できれば言うことはないのだ。1.5GBから2.0GBへのグレードアップだからそれほど期待はしていないのだが、この価格なら誰も文句は言うまい。



参照:
増設しなければいけないのは 2015-06-06 | テクニック
DAX企業法人税平均税率 2015-01-08 | マスメディア批評
ソフト面でのノウハウ 2013-11-21 | 雑感
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刃物要らずの親方殺し

2015-06-11 | 試飲百景
バッサーマン・ヨルダン醸造所の醸造親方兼取締役員に思いがけない所でであった。久しぶりだった。ナンタルチア・サンタルチアだ。よりによってナーヘのデーノッフ醸造所の試飲会で会うとは思わなかった。私がしばらく顔を出していないことは知ってるか知らぬかは知らないが、久しぶりだということになった。当然だろう。どうもそこでの試飲は初めてであったようで、私も同じだ。少し話しているうちに、話は木樽の方へと向かった。私自身はそれを話題にしようとは思わなかったのだが、親方の方が私の顔と木樽は強く結びついているようだった。まるでこのブログを訳して熱心に読んでいるかのような錯覚にこちらが陥るほど、私の考えていることが分かっている。流石に当事者であり、専門家だ。私は初期のころから、なにも彼の仕事振りに関してはそれほど厳しい判断を下していなかったのだが、親方の方は我々従来からの顧客に裁かれているような気持ちは持ち続けていたのだ。そしてしばらく顔を見せないとなると、こちら以上に気にしている感じ察せられた。

親方も友達らと来ているようであり酒も入っていて、私も入っているので、機械摘みの話はしなかった。すると喧嘩になる可能性があると感じたからであり、そこまで立ち入る気持ちもない。しかし、トニー・ヨースト醸造所で彼の同僚のハウク取締役の話が出たことなどをした。そのような醸造所に出入りしているのかとか思ったかどうかは分からない。そして、瓶の栓の話へと流れていく。全て木樽の酸化工程と繋がる所謂瓶熟成の奥義へと話が流れる。「うちは10%ぐらいしかいかない」と吐き捨てる。それは「あなたのワイン哲学だから」と彼の就任当時のことを思い出しながら一定の理解を示す。

その横には、ゲスト醸造所のキュンストラー醸造所の親仁がこちらを見ている。先ほど試飲しながら「お隣のヴェルナー醸造所の顧客で、お宅にも十年ほど前に出かけている。」と話すと、「ご近所の付き合いで、町全部が一体になるのが大事だから」とその醸造の協力体制の話をしてくれる。これも彼にとってみれば町の古い醸造所の顧客となると自分がどのように見られるかがとても気になるようだった。

そしてそこにおいてあるリースリングにカビネットと書いてあるのを見つけて質問すると「うちの顧客はどうしてもそれに拘る傾向があって」と説明するので、「私はワイン街道から来ているのでね」と言うと、「どういう意味か分かるよ」と答える。その後の親方との出会いと話だったのだ。

ここで冗談めかして書いているが、これではまるでそのままどこの醸造所に出かけても「会長私設の隠密」と思われても致し方あるまい。ワインコンサルタントでもなんでもない私の発言がとても重い意味を一流醸造所のオーナーや醸造親方に投げかけていることを改めて気がつくのだった。

醸造親方は、オーナーの死去と相続後の状況についても肯定的に説明していた。そして尋ねると、ウンゲホイヤーがよいのではないかとも話していた。それなら近々伺うよと話した。勿論そこまで親方直々に推薦されたなら飲まずには入れないだろう。たとえそこで機械摘みの証拠ヴィデオを写していたとしてもである。勿論事情を質す事も必要になろう。

そして話を終えて様子を伺っていると、キュンストラーの親仁のところに行ってドムデカナイを幾らだと譲ってもらっている。隠してあったリースリングだ。そして尋ねている、「木樽の比率は?」と親仁は「60%」と胸を張って答える。

その後、これはと思って私も購入しようとするとそれが最後だったようだ。結局他のものを貰おうとすると現金がないことに気がついた。「送金してくればよく、ドムデカナイも送ってあげる」と言うが、先ずは「また近々ホッホハイムに伺う」ということで三本だけ持ち帰った。

キュンストラーのワインに関しては改めるとして、バッサーマン・ヨルダンの親方が面白いことを漏らしていた。ワイン街道と比較して、ナーヘの摘み取りは難しいことを向けると、「果実の成熟が遅いので、それはそれで利点もある」と答えた。これはとても意外だった。つまり開花から何週間か時差があることで、秋を長く使えるということになる。つまり酸の分解に功を奏するというのだ。勿論それは貴腐の入った甘口のリースリングを醸造する場合は通説であろうが、天候によっては2012年のように健康な果実から息の長い辛口も醸造できるということにもなる。



参照:
現場を掴んだ証拠写真 2013-10-13 | ワイン
F・芸術家と名乗る醸造所 2008-10-04 | 試飲百景
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ロハスのスタイルとは一体

2015-06-10 | 文化一般
先日発注したアイロンは殆どそれまで使用していたものと同じだった。パワーアップの200Wが蒸気のエコモードでうまく調整されているようだ。なによりも人気の秘密はそこのコーティングにあるだろう。この滑りよさとアイロンの掛け心地はフランスの車以上だろう。デザインは底の枠の張りがアイロンかけの台の穴に入らないと批判もあるが、そもそもあそこに入れると底に傷をつける可能性があるので、私はそこに板を貼り付けることにしている。小さなアイロン台の上では安定して置けることも重要なのでその張り方はある程度納得できるのだ。メードインフランス、出来上がりはまずまずだが、ドイツで売れるのは当然のライフスタイル感も十分だ。

車中のラディオでロハスの話題が流れていて、ミュンヘンの雑誌の定期購読者の爆発的な発生のことが歴史として語られていた。ラディオでこれについて詳しく触れられているのははじめて聞いた。理由は分からないが、そもそもヘルスアンドサステンショナブリティーなライフスタイルを指す造語なので、関心が強くない限りはあまり使われることがなかったのだろう。

持続可能性に関しては、ワインを初めとする自然と関わる分野では当然の合言葉となっているが、健康に関してはやはり個人差が大きいのかもしれない。当然のことながらライフスタイルを語るのは高学歴、財政的に余裕のある層であり、ストレスの強い生活から距離を置くことになるので誰にでも出来ることではない。

それでも自分自身も以前と比較すると、あまり無駄なものには消費することを極度に制限しており、食品などにおいても出来る限り地元の生の素材しか買わなくなってきている。一言で言えば量より質へと進んできているので、自ずから不健康な暴飲暴食などはしなくなってきているのである。加工食料なども最低限便利で必要なものしか購入しなくなった。そうした生活に慣れてくるともはや調整された食品などは口が受け付けなくなってくるのだ。ワインも然りで、料理用のそれを除いては訳の分からぬものは口が受け付けなくなっている。

2014年産のリースリングは11ユーロから13ユーロの間の価格帯で大変熾烈な競争となっている。なにも各々の醸造所がその価格帯で勝負してきたのではないが、15ユーロ以上の価格帯でのそれは秋以降に持ち越されるとしても、新鮮な気楽なリースリングが出てこない2014年は熾烈なのだ。つまり10ユーロ以下ではまともな審議眼で満足することは難しく、妥協するしかないということであり、VDPの正式メンバーの醸造所では殆ど選べないというのに等しい。2013年の繊細さは求めようがないとしても、秋以前つまり下位のリースリングではとても厳しい様相を示している。

その中で、ラインガウのロベルト・ヴァイル醸造所のグーツリースリング「ラインガウワー」とザールのファン・フォルクセム醸造所の「ザールリースリング」を直接比較した。前者は2ユーロ近く高価だが同じ価格帯の商品としてよいだろう。この価格帯からするとビュルクリン・ヴォルフ醸造所のグーツリースリングや「ヴァッヘンハイマー」が安く思えるから不思議だ。しかし2014年の後者ははまだまだ飲めない。

ヴァイルのそれはステンレス百パーセントの培養酵母利用の清潔感が売り物のリースリングであるが、その香りとともにラインガウさのミネラル感はある。それでもその色が示すように可也うす造りというか、なるほどテロワーを示しているかもしれないが、木樽の天然酵母による自然発酵の濃くに慣れた我々の舌からすると、甘いだけで物足りない。勿論残糖感があるわけではなく、その辺りの腕の確かさはあるのだが、我々は何も高価な酵母やケミカルにお金を払うつもりはない。やはり割高だ。

さてザールのそれは、2014年産は手摘みの自作葡萄の味がとてもよい。色も濃く、長い後味も欠かせない。それでも2012年産以前のような残糖感が全くなく、酸化して行く過程がとてもよくなってきている。以前は還元法的な面があったのかもしれないが、瓶を開けて最初と時間が経ってからの酸化してからの変化が大きかった。要するにその「重さ」と呼ばれた性質は急激な酸化で不味くなる過程だった。しかし今は殆どの近代的な高級リースリング醸造所が行っているようなゆっくりした酸化を意図しているようである。これは瓶熟成の可能性を示すことになる ― トニー・ヨスト醸造所などが全く知らない世界の話なのである。



参照:
非常用の日常ワイン 2015-04-23 | ワイン
低脳化社会のライフスタイル 2014-11-30 | 生活 
排出零の節約ライフスタイル 2012-02-04 | アウトドーア・環境
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仮眠後の不健康な運動

2015-06-09 | 生活
眠れなかった。だから明け方仮眠しただけだ。七時前には陽が射しこんでいたが、前日までのようにそれほど強くはなかった。そして涼しい風が吹いている。そこで寝不足の興奮から七時過ぎにはパン屋に出かけ、折り返し、いつものコースとは異なる山登りへと車を走らせた。太陽が雲に隠れるほどではないが霞んだ感じが涼しいのだ。これならばと、初めて心拍計どころかGPS、そして新しい靴を下してはじめての山登りコースへと車を進める。夏時間となるとパン屋が日曜日に開いていることと合わせて、気温が上昇するのでそのコースを走る機会は少ない。しかしGPSを付けてどうしても走りたかったのだ。そして心拍数が気になる。理由は簡単である。この山登りの最初の坂が厳しく長いからである。歩いても登るのも億劫な急坂である。

結果からすると予想通り最初の坂の終わることには心拍数が160を超えて、それが頂上まで30分ほど続くことになる。これはいつもの峠往復の心拍数よりも8ほど高いようで、坂の質が違うのだろう。長く急なのだ。しかし、計算していた400M近い高度差は欠けるようで、330Mしかなさそうだ。しかし距離は5KMと見積もっていたが、7KM以上ありそうだ。正確に測れなかったのは、行程の半分ぐらいがGPSの陰になっていたからである。だから標高の計測にも失敗した。下りの山の形が実際に近いようだ。最後の頂上部を除いては一段目と二段目の坂を結ぶプラトー以外は同じような坂が続いていることになる。

さて肝心の心拍数であるが、前回ピークで出ていた200過ぎなどは全て胸のバンドをずり上げる時点で出ていたことを今回の実験で確認できたので、先ずは疑惑解消である。反面、早歩きの散歩時の坂登りの130などとは格段高い160を超えて、170まで達した。その時点で胸に圧迫感を感じて、それを続けると腹辺りまで押さえられる感じなので、これは避けるべき心拍数と直感した。そもそもその状態を長く続けることはできない。そこで、アラームを出す運動強度の限界心拍数をどのあたりに設定するか、要するに所謂ターゲットのハートレートモニターゾーンをHRMZをどこに設定するかが問われている。

そもそも今回のように寝不足の興奮状態で走ること自体が不健康なのだが、ランニングトレーニングと健康は全く関係がないと思っている。それでも心拍数170を超えるようなことを頻繁にしているといずれスポーツ死に結びつくと考える。これは避けるべきだろう。しかし160を上限としてしまうと坂道などは走れない。前回の峠道を見ると定常で168ぐらいまでは何とかなりそうなのでその辺りにすべきか。実際に今回の平均値も157となっており、そこに10を加えて167でどうだろう。実際に今回も汗が噴出し始める166から168を彷徨う場所があり、その状態ならあながち不健康とは呼べないだろう。これを負荷90%ぐらいとすると最高心拍数が186となる。これなら意識を失いそうである。一般に計算するように220からこの186を引くと34歳が私の年齢だ。

肥満であったその頃のころを思い出すと、同じ頂上を目指して違う経路で走ったが、完全に全身にきていて、乳酸製造機状態で、帰宅してからカクテルを飲んで潰れて、週明けに疲れを残したのだった。そのころよりは、俄然健康的だと思う。先ずは最初のヒートで汗を掻かなくなりウォーミングアップが順調にいくようになったのがこの二年間ほどの大成果だった。その山がないものだから自然に負荷に応じて、心拍数が上がっていくようになったのだ。  

今回の計測で登り32分、降り25分で往復58分しかかかっていない。計測器が違うので何とも言えないが記録的な数字ではなかっただろうか。しかし下りでも時速12KMには至っておらず、どんなに頑張っても5KM20分を割るペースにはならない。フルマラソンにすれば二時間台に及ばないのである。これはやはり遅いと思った。スピード強化を試みるか、高度差1000mを目指すトレーニングにするかのいつもの逡巡となるところだ。このペースでいくと高度差千メートルを往復すると約三時間かかることになる。それはちょうど十代のころに六甲山の最高峰往復を三時間でやっていたのとあまり変わらないので愕然とする一方、距離は22KMは超えているので大分長い。

スピードを上げるとともに、心拍数を下げるトレーニング、この方法を調べてみなければいけない。駐車場でMTBが抜いて行った。それは追いかけることがなかった。降りてきて駐車場でジョギングの女性に会うまで、誰も見かけなかった。摂氏20度には達していなかったが、この時期には山を走る人はやはり少ない。



参照:
詳しく検証すべき記録 2015-06-07 | 雑感
個体差かどうかの検査 2015-06-03 | テクニック
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石橋を叩いての樽試飲

2015-06-08 | 試飲百景
ナーヘのデンノッフ醸造所の試飲会にはじめて参加した。予想通りの賑わいで、明らかにシェンレーバー醸造所よりも顧客数が多そうだ。理由は知らないが評判がよいのだろう。ケルンやその他方々から来ているようで、専門家も沢山来ていたようだ。レープホルツ醸造所と勝るとも劣らない賑わいであり、あの山中にあれだけの人が押し寄せる権威は大したものだ。

ワイン街道からは100KMもないのでロベルト・ヴァイル醸造所に行くよりも近い。偶々工事でアウトバーンが込んでいて、回り道をしたが、それでも80分は掛からなかった。帰りは50分ぐらいだった。道を覚えてしまえばシェーンレバー醸造所よりも大分身近である。

さて、リースリングばかりを集中して試飲した。初めて口にするグーツリースリングは、その価格8,90ユーロが安いか高いかはなんともいえない。ただはっきりしているのはその価値相当のリースリングであることで、決してそれ以上のものではなかった。その意味からして少々肩透かしだった。シェンレーバー醸造所のグーツリンスリングの価値はまだあるだろう。

要するにVDPの進めてきたグーツリースリング、オルツリースリング、PC、GCはもはやブルゴーニュのそれとなんら変わらなくなった。リースリングもピノノワール同様それなりの質や満足感を得ようとすれば最低11ユーロ以上は出さないと愛飲は出来なくなったという事である。比較は難しいが、これならばモスバッハー醸造所のヘアゴットザッカーやビュルクリン・ヴォルフ醸造所のグーツリースリングの方が価値があるだろう。ワインの地所の質が全然違う。

次に「トーンシファー」と称する12,50ユーロを試す。これは土壌の名前を名乗るだけにそれなりにミネラル風味があって、だからといってトニー・ヨースト醸造所などのミッテルラインの下品さもない。2014年産はシュペートレーゼ系であると語られているが、漸くこの価格帯になって楽しめるうリースリングとなっている。しかし、この価格ならばザールの醸造所の品のあるミネラルや酸の方が価値があるだろう。

その次のクロイツナッハの「カーレンベルク」も更にコクがある。そしてその酸が結構前に出てくる。時間を置けばよくなるのかもしれないが、現時点では16,80ユーロの価値はないと感じた。これならば間違いなく、将来性もありそうなミュラー・カトワール醸造所のビュルガーガルテンがよい。

ロクスハイマーの「ホェーレンプファート」は、やや丸い感じで18,80ユーロの出来を感じさせたが、残糖が多めで、ペーター・ラウワー醸造所のアイラークップのウンターステンベルクと比較したい。実際の残糖は少ないのだろうが、酸が丸過ぎるのだ。どうも雑食砂岩ということだが赤みのあるということでは南ワイン街道にも似ている。そのとんがり感を隠すような醸造なので殆ど評価できなかった。

そして、先代や代替わりした息子そのお母さんなどの話を聞きながら、グローセスゲヴェックスの価値定めをしていると、そんなことなら試せばよいと先代がのたまう。こちらは樽試飲ができることなど知らなかった。さて、ここからが本番である。要するにその三つの地所がこの醸造所の本当のワインである。正直それ以外はどうでもよいと感じた。

さて最初は、昨年ただ唯一購入できたフェルツェンベルクの「フェルツェンテュルムヘン」である。これは正月に一本開けたが火山性の土壌とはいいながら決してどぎつい味とはならずにスパイシーさと可也繊細な酸が楽しめたのであった。それに比較すると2014年産は酸も荒く、スパイシーさがないようで、樽試飲とはいいながら物足りなかった。他の顧客もそう感じたようで飲み頃を尋ねていたが、「時間が掛かる」と息子が言い訳するので、私は「13年物は一概に楽しめた」と反論した。14年物はクラッシックという説明であったが、その違いも比べてみないと分からない。今年は一本あれば十分だ。

二つ目は「デルヒェン」で、ポルフィールということで、それなりの繊細さや構築感もあったが、気に入ったのは最後に立ち上る果実の幻で、これはとてもチャーミングだと思った。先代もそれは認めていたので、瓶熟成も上手くいくかもしれない。三本パイロットワインとして注文しよう。

三つ目は、この醸造所最高の地所「ヘルマンスへーレ」で、そこの醸造所も有名であるが、鞍部のような場所に広がる地所である。作業効率はよさそうだが、それだけの価格を取れるのは何故か。グレー系のスレート土壌らしいが、そこに隣の火山性のそれが混ざることから複雑性を獲得しているようで、丁度プファルツに当てはめるとキルヘンシュトックの複合性のようなものらしい。実際に樽試飲すると、瓶熟成で広がってくるものは可也ありそうで、シェーンレーバー醸造所のヘレンベルクなどとは比較にならない複雑味がある。しかしその価格39,50ユーロは2014年産にそこまでの品質があるかどうか分からない。先ずは二本位確保しておいて瓶熟成をさせてみよう。

甘口もゴールトカプセルと称するアウスレーゼを試したが、9Gと僅かな酸で糖もそれほどではなかった。アイスヴァインの収穫できなかった2014年産であり、甘口に関しては特筆すべき年度ではなかったろう。但し、ヘルマンスヘーレのテロワーが綺麗に出ていて、流石に安物の甘口とは一線を画している。但しそれほどのパワーがあるわけでないのでハーフサイズで27,50ユーロもするなら、グローセスゲヴェックスの方がはるかに価値が高い。

その他のゲストやゲスト醸造所については改めて述べる価値がありそうだ。思いがけない人にも出会う。それにしてもナーヘ川に掛かる古い石橋を渡って町に入るその鄙びた雰囲気は、試飲会の招待状に静かな環境で試飲と書いてある通りだ。そこに足を運ぶことが必ずしも億劫ではない醸造所、但し購入するワインの在庫があればということになる。2014年もそれほど収穫量は多くはないようだった。



参照:
氷葡萄酒の名匠のお屠蘇 2015-01-03 | ワイン
ナーヘの谷へ戻る旅 2014-08-14 | 試飲百景
還元法は十五年も前のこと 2015-05-06 | 試飲百景
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詳しく検証すべき記録

2015-06-07 | 雑感
日曜日からG7が始まる。今回は若干関係があるので書き留めておこう。先ずは仲間が警備に入っている。私が豚野郎と大賛辞した男だ。とはいっても会場内で詰めるというよりも、既に始まっているガルミッシュ・パルテンキルヘンなどでのデモ隊とのもみ合いで負傷した警官を保護する部隊ということらしい。要するに後方支援なのだ。もう一つはエルマウの会場には、十年ほど前に訪れたことがある。今回の会議とは一切関係ないが、仕事の関係で会場を視察に行ったのだった。数キロ先の谷の入り口で検問があり、谷の奥は行き止まりになっているので、山を越えてこない限りは容易には侵入できない大きな谷である。だから今回のような会議には適地であり、少なくとも反対派の反グローバル主義のアウトノーメンなどが暴れる余地がない。そこで最寄の飛行場などのある米軍ベースのパルテンキルヘンで暴れることになるのである。会場の写真を探しているが容易に見つからない。仕事の資料としてアーカイヴしてあるのかもしれない。もう少し探してみよう。

兎に角、暑い。昨日の暑さは六月としては可也だったが、夜間は窓を開けて就寝するとぐっすりと眠れた。朝も結構気持ちよかった。今年は暑くなるのかどうかは分からないが、少なくともここ一二年とは大分違う。休日は走る機会を失ってしまった。早起きしたのだが、既に東の太陽が暑かった。そして昨晩の石切り場での疲れもある。山登りで初のGPS計測だから中途半端な走りは嫌だと思って、夕方の涼しさを待っていても駄目だった。そのうちに翌日までに乾かしておかないといけない洗濯物を思い出して、23時まで洗濯機を回した。そのためか、寝つきも悪く、二時前になっていた。早朝早く起きて走ろうと思っていると四時前に目が覚めてしまった。二度寝すると、調べていた日の出の時刻五時半を過ぎていた。それでもまだ涼しいので出かける。

峠往復は一度計測したが、心拍が測れなかったのだ。そして再度挑戦する。やはり汗を掻いていないのでトランクに入れている水で湿らしてはじめて鼓動を読み取る。計測自体は最高心拍が204となっていて、150から165の間で定常走行している。数字自体は高すぎておかしいのだが全体の傾向は正しく記録されている。但し前回と同じで標高は全く基準なく外れており、最高到達点が385Mなのだがその数字すら出ていない。全くGPSから外れているのだろうか?また登りの道に忠実に記録されていないので適当に修正されて距離が短く出ているはずだ。GPSの捕捉の問題であると思うがもう少し他の場所で調べてみないと結論は出せない。

それでも加速した場所で心拍が急上昇して直ぐに定常まで戻っているのは車のタコメーターとよく似ている。その数字は疑問であるが、今まで指で測るのではこれほど応答性がよいと直ぐに120以下になってしまっていたのも納得できる。160超えの感じは丁度少し胸が押された感じになるのだが、負荷の感じとしては少しづつ来ているという感じでそれほど息苦しいものではない。但しそれが最後まで続けられるかどうかが分からない程度の負荷なのでどうしてもゴール間際とか折り返し点でその数字が出やすい。

外気温は摂氏19度ぐらいで上の方の木陰は涼しいが、心拍160超え位になると確りと汗を掻いた。体調が悪くとも、殆ど基本記録ぐらいの走りになった。しかし下りが時速で一キロほどしか加速されていないことを見ると結構身体に堪えていたのである。心臓への負荷の危険性に関しては負荷心電図をとってみなければ何もいえないだろう。



参照:
個体差かどうかの検査 2015-06-03 | テクニック
冷徹な分析のための時計 2015-05-29 | テクニック
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増設しなければいけないのは

2015-06-06 | テクニック
今年二度目の四半期も残り四週間ばかりだ。そこで急いでCDを発注した。六ユーロの特典が消えないうちにである。最近は安売りのCDの質が下がっており、全体の退潮傾向が顕著となっている。それでもエラートとワーナーのオペラシリーズの安売りが嬉しかった。安売りの中には所有しているいつもの安売りBOXが多く混じっているが、ウィッシュリストに入れておいたマスネーの「ウェルテル」二枚組みが更に2ユーロ安くなっているので飛びついた。そもそもそれがなければこの安売りは気がつかなかった。勿論原作のヴェルテルの興味からの購入であるが、録音も指揮者のパパーノの演奏には批判もあるようだが、歌手陣も優れているようで楽しみだ。

もう一つは安売りになったり標準価格に戻ったりしているアバド指揮のハイドンのロンドンセット四枚組みである。視聴する限り録音も演奏も優れているようで、10ユーロしないのだからこの期を逃す手はないと思った。現在の大管弦楽団の演奏ではラトル指揮のベルリンでのものなどが評価が高いが、録音となると手元のハーノンクール指揮コンセルトヘボウのものもそれほど満足していない。

もう一つは、キリル・ペトレンコ指揮の数少ないCD録音の一つでスークの交響詩が印象派のものであるというので、コーミッシュオパーの座付き管弦楽団の演奏は期待しながらも注文してみた。ビジネス戦略として録音をしないというのはとても優れたコンセプトである。昨今のようにメディア業界が破滅状態であるから、ラトル指揮の飛びぬけた演奏でさえスタジオ録音とはならない。レパートリー的な問題もあるが、市場がないということにつき、態々大きな投資をして録音などしてもニューイヤーコンサートのように売れる録音などは期待できないということであり、精々生録音でお茶を濁しておくようなご時世なのである。だからたとえ売れるものであっても最後の最後まで市場が垂涎三尺となるまでは契約などしないというぐらいが、都合のよい条件を出せるのだ。

ソニーの安売りの中から日本のピアニスト弾いたサティーの曲集があったので籠にいれてみた。少なくとも録音もよさそうで丁寧な感じがとてもよかった。思いがけなかったのは、ヴィヴァルディのオペラ「バジャゼット」と三幕のオペラで、ボーナスDVDに入っているVIDEOの録音風景をみて、なかなか価値のあるものだと判断した。これまた二枚組みCDBOXが10ユーロしない。〆て10CDで割引されて36ユーロ、待った甲斐があったのかまたまた結構よい買い物が出来たようだ。

こうした視聴ぐらいは全く問題がないのだが、マルチタスクでVIDEOなどを流していると時間が経つとどうしてもオヴァータスクになる。昨年の三月にはじめてワークステーションのメモリーを増強した。それまでは512MBしかなかったのだが、二つの512MBのRAMを60ユーロで購入して、成功裏に1.6GBとしたのだった。その後同じようなメモリーを探したが見つからず、度々サーチを掛けていたが、欧州大陸には見つからなかったが、突然色々なものが見つかりだした。理由は分からないが市場が出来てきたのかもしれない ― どうもその背景にはXPからの乗換えで、WIN7を使いたいがためのメモリー増設の市場が出来上がったからのようだ。そして今度は、なんとカルツルーヘのお店で一枚17ユーロで売っているではないか、それもサムソンではなくてIBM製の恐らく日本製なのだ。飛びつかないわけにはいかない。今後マザーボード等が壊れても、この費用で先ずはXPどころかWIN7が使えるぐらいになる。CPUの性能とのバランスもあるが、これで画面が滞る様なことが少なくなってくれると嬉しい。メモリーに、CPU以上に、負担が掛かっているのは確かだからである。

もしこの増設が成功裏に終わるとすれば、現在使っている二枚の216MBが無用になるのだ。そこで色気を出して他所から取ってきたXPを調べてみた。生憎世代が一つ進んでいて同じメモリーは使えないことがわかったが、ストレージ代わりに使っているそのシステムもメモリーを増設すればコネクトしてあるブランウン管モニターでマルティメディアに使えるのだ。残念ながら安物の電源部をつけたので音がやかましく音楽用には向かない。それでもさくさく動いてくれると使いやすい。そこで増設の可能性を調べてみた。使えそうなものが二枚組みで2GBが17ユーロで出ていた。これは使ってみなければいけない。スロットは二つしかなく2GBまでとなっているので使える筈だ。返品も効くので先ずは試してみよう。



参照:
新品PCのような軽やかさ 2014-03-16 | テクニック
軽々しくギアーチェンジ 2015-01-29 | 生活
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財政破綻などどこ吹く風

2015-06-05 | 試飲百景
水曜日は久しぶりにギメルディンゲンの石切り場に向かった。早めに向かったのでそこの開拓者で同行者のパンや親方と一緒にヨセミテを登ったヴォルフガングや地元のクライミング会の前会長に久しぶりに挨拶が出来た。肩の痛みは仕方がないがフランケン以降初めて登った。休みがあったので良くも悪くもリフレッシュが出来た。そしてフランケンの中間確保のよさのようなものをを石切り場で再確認した。また靴の摩擦は石切り場であってさえも雑食砂岩は優れていることを再確認した。五本ほど登った。身体ならしに翌朝山頂まで走ろうと思ったが起きてみると朝陽が強すぎる。夜中中窓を開けておいた気温にしては東向きの斜面を走るのは辛い。心拍系とGPSで初計測を断念する。

次の試飲会の前にザールでの試飲を纏めておかなければいけない。二件目の試飲でカンツェムという駅横のオーテグラフェン醸造所に行った。動向のザールヴァインさんのお付き合いで、超有名人ギュンター・ヤウフの醸造所ということで冷やかしのつもりだった。しかし一軒目のファンフルクセム醸造所で辛口もちゃんと出しているということを聞いて、ホーフの裏側のアルテンベルクの地所を見ているうちに本気になってしまった。アルテンブルク自体はフォルクセムの銘柄として知っているので概ね見当はついていてロートリーゲンスのような印象を持っている。しかし本格的に辛口を醸造するとなるとこれはこれで興味深いのである。

車を進めると、入り口前に駐車スペースが用意してある。まるで観光地のようなのだ。流石に有名人が当主となると俗物の冷やかし客が増えるからだろう。そして実際にホーフの中へと車を進めると立派なヴィノテークがあった。これならば観光客相手にも商売が出来る。しかしヴァッヘンハイムのビュルクリン・ヴォルフ醸造所などとは一桁も違いすぎて話にならないが、この規模の醸造所だから可也完璧に投資されている印象を受けた。先代は遠縁のケルンの病院の勤務女医さんだと聞いていたが、相手をしてくれた事務の女性はそのころからのパーソナルだとその話から直ぐに分かった。彼女らにしてみるとギュンター・ヤウフの名前で訪れる一見さんは疎ましい存在だろうが、ある程度事情の分かっているワイン街道からのお客さんならという意識はあって当然であろう。

こちらもそのワインの質が分からないばかりでなく、同行者の昨年の経験からあまりよくないということを聞いていたので、お互いにあ繰り状態の試飲となった。それで先ずはグーツリースリングに当たるMAXを試す。最初からシーファーの柔らか味があるのだが、2014年産は全く酵母臭があっていけなかったので在庫のある2013年産を試す。じっくりと味わうとなるほど雑味風のものと酵母風のものはあるのだが可也品のよい酸である。決して悪くはない。次にオルツリースリングに相当するカンツェマーを試す。これは同じ傾向ながら、その価格15,50ユーロとしてはもう一つ満足がいかなかった。そこで見切りをつけてMAXで話をつける。

リストには、ボックシュタイン、アルテンベルクなどのグランクリュが比較的購入しやすい価格で並んでいる。裾モノの二点からある程度は予想がついたので、先ずは様子見ということにした。代が変わってからまだまだ年月が経っていない。年間何十億も稼ぎ、最近はドイツでギリシャの財務大臣を独占で番組に招いたなどその活躍は頂点に達している。それでもワイン醸造所への意欲は夫婦ともどもあるようで、資産形成以上の熱意を示している様子も見られるので、今後が楽しみな醸造所の一つである。何も無理して金儲けに走らないでもよい余裕がなければワインの品質向上などは狙えないのである。

こうしたありとあらゆることを含めて、そのワインについての痴話話の種を収穫できて、初期の目的は達成された。今後とも顧客としてその発展に注目したい。



参照:
神の膝元のリースリング 2015-06-02 | 試飲百景
桃の味の正体である酵母 2015-05-31 | ワイン
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百年後の現在の社会の構造

2015-06-04 | 
ベルリンのアルテナショナルギャラリーで、イム-、 エクスプレッショニズム展が開かれているらしい。その差異はもともと後期印象派からベルリンの画家たちがドイツは表面からではなく内側からとした動きに表れているとしている - キルヒナーのベルリンなどを指す。この関係はとても興味深く、音楽の分野でもとても重要な視点となる。そしてこの内側からという文句を聞くとベートーヴェンの言葉に耳を傾けるまでもなく、どうしても日本の芸術需要の姿勢や趣向などを思い出してしまうのだ。

一つにはドイツェロマンティークなどがあり、一つにはモネなどへの溺愛やフェルメール騒動などを思い出してしまうのである。西洋音楽においては当然のことながらその内容ということに言及が及ぶことになる。その内容たるが言葉でなく音楽で表現されていることで余計に難しくなる。しかしそこではどうしても表現されているらしき内容の充実度が問われるだけで、内容の精査まではなかなか言及されることがない。それは音楽創作の意匠や構造にまで言及が及ばないからである ― 職人的な技の充実度とその創作動機と言い換えることが出来る。

しかしそうした状況はなにも極東の日本だけに関わらず、本国ドイツでもありえるのだ。先日の「ルル」上演の初日の新聞評がその典型だった。そこでは一切音楽的な構造や内容に関しては一切触れられていない。正直高級紙フランクフルターアルゲマイネ新聞の音楽批評の質は二人の女性の評論家で大分落ちた言わなければならない。

なるほどその新演出に関しては賛否が分かれただろうが、その分岐点がなにであったかを明らかにしなければ専門的な評論とはいえないのだ。たとえ、記事で「そこには光を放ちフレンドリーなキリル・ペトレンコがいて、強烈に熱を放つ。ブーレーズの指揮で嘗て一度も響いたことがない透明で色彩に溢れたルルの音楽が響き渡り、各々の声部は室内楽的に分離されて強くはめ込まれているように鳴り響いた。」と、美辞麗句を並べて感想を述べてどうしようというのか? - まるでワインにおいて、なになにのフルーツの味がして、これほどに透明感を湛えたワインは知らないというのに似ている。

そうした報告はなるほどジャーナリズムなのかもしれないが、ラディオ中継されていることでもあり、なにも評論家からそのような感想を聞かなくても、聞き上手の人たちは全く同じ感想を持つ筈である。対位法的な扱いを示唆したりはしているのだが、その演出への評論と同じように、この作品の本質や音楽については一切語っていないのである。

そうした扱いが出来ない理由には、ベートーヴェンに始まるようなロマン派音楽の文学的なアナリーゼには熟知していても、こうした専門家と呼ばれる人たちでさえが、十二音の書法の内容を文学的に語る方法をまだ習得してないからに違いない。それがここでの新演出への批評の落ち度となっていることにも気がついていない。そのあまりにも退屈とされる演出こそは、かなり細かくその構造的な内容を具象化しており、先に触れた当時の社会学的な思索への構造を原作から読み取っていくものであり、まさしくそのように作曲されているのである。

例えば、印象主義・表現主義の範疇から捉えるとパトリース・シェローは間奏曲において上手にその月夜の青い空を印象主義から表現主義へをオヴァーラップさせてブリッジのように使っているが、その音楽が最終幕で調性の色調を強く押し出してくることと無関係ではないのである。なるほどシェローの演出はその意味からはとても理に適ったものであったことは確かであるが、音楽の構造とその構造によってはじめて生じる内的な意味付け ―  十二音における対位法のベルク流の扱いのオヴァーラップ効果 ― はピエール・ブーレーズのせかせかした指揮同様にまるでそれを恐れるかのように敢えて踏み込まないようになっていたのである。

そうした音楽的な構造やその意味することが音楽的な教養として強い意味を一般社会にも与えるようになるには、百年ほど前の文化が歴史的に消化されるようになって初めて可能になるものなのだろう。

一般社会といえば、バイロイトで二年間ジークフリートを歌ったライアンが、三年目は契約しないとあった。カストルフ演出で演出家の次に多くブーイングを浴びていた歌手であるが、あの甘えたの雰囲気はとてもその演出で目立っていて、演出全体にとても肯定的なキャスティングであったろう ― 眼鏡のミーメほどの芸ではなかったが。新しいキャスティングは正確に確りと歌うのかもしれないが、あれと同じ役作りは不可能だろう。三年目で映像が記録される上演は、先の二年とはジャーマンウィングス航空機事故死亡者などを含めて可也キャスティングに移動があるようだ。



参照:
耳を疑い、目を見張る 2015-05-27 | 音
パンチの効いた破壊力 2015-03-08 | 文化一般
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個体差かどうかの検査

2015-06-03 | テクニック
テーファルのアイロンが焼けた。2010年3月末に発注しているから丸五年であるが、前回のものが十五年の寿命だったのに比較するとあまりにも短い。購入して初期に床に落としているからその影響もあるかと思うが、再び購入して五年ぐらいしか持たないならばこのメーカーの寿命の計算があまりにも短過ぎることになる。それほど古びていないので余計にその短命さが目立つ。

そのような興味もあって、再びこの世界で最も成功しているブルゴーニュのSEBグループの同じブランドの同じような商品を発注した。評判はこれを購入したときとは比較できないほどドイツ国内でポピュラーとなっていて他のメーカーを駆逐する勢いがあるようだ。なるほどバランスが取れていて、女性にもそのデザインや軽さなどが好まれるのだろう。それでも今回のような短期間における故障などはあまり聞かないから、個体差だったのかもしれない。

朝から心拍数をブラジャーのように巻きつけて胸の上側に乗せて走りに出かけた。しかしまたもや失敗した。理由は分からないが、自宅で調べてみると全く計測する体制になっていなかった。出かけ前に確認しておかなければいけなかったが、どうしても朝早くの忙しいときにはそうした余裕が生じる余地がないのだ。

帰ってきてから電池ともども根本から調べてみると確りと計測する。何度同期してもバンドをつけると計測できない。そこで説明書にあるように水でバンドと胸の間を湿らすと計測するようになった。なるほど心電図をとる場合もグリセリンのようなものを塗布した覚えがある。密着性をあげないといけないのだろう。どうも胸周りに脂肪がついている私自身の体質が計測を困難にしているのか?

それにしてもスポーツ用にブラジャーではないが、その締め方が難しいのだ。息苦しくはなってはいけないので緩めにしておくと、乳房の上に乗せてあってもどうしてもずり落ちてくる。よほど豊満な女性やハト胸でない限り、軽く上に乗せておくというわけにはいかない様だ。ある程度締め付けなければ、ずり落ちて走り難く、強ければ息苦しくなる。常時使うわけでもないが、まだまだ綺麗に計測できていないので、ゆっくりとワインの地所を歩きながら計測してみなければいけないかと思う。走っていると調整したり、加減を見たりする余裕は全くないのである。

それにしてもこの若い会社ラドウェザーの説明書やバックアップ体制がもう一つである。少なくともHPなどは充実させるべきだろう。機能は予想通り悪くないのだが、マニュアルがもう一つである。やはり使い始めの要領をうまく説明していないと、こうしたものを使い慣れていない者には可也面倒に違いない。同封してあった日本語の取説もその英文を直訳したもので全くその域を出ていない。ドイツの市場でも出ているようだが、価格は比較的似ているが、あまり売れている様子がない。ゴムバンドにみられるようにアメリカンテーストなのがあまり好まれないのかもしれない。

これ以外で問題になるのは、計測高度の推移がおかしいので、GPSがよく入るところで調べてみなければいけない。やはり、ワインの地所を一回りしてみるのがよいかもしれない。



参照:
冷徹な分析のための時計 2015-05-29 | テクニック
ブルゴーニュ風味付けのアイロン 2010-04-02 | 雑感
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神の膝元のリースリング

2015-06-02 | 試飲百景
二年ぶりにファン・フォルクセム醸造所を再訪した。前回は2013年8月だったから、中途半端な時期であった。今回は秋のグランクリュを予約するためにそれなりの傾向を判断することが重要であった。結論からすると、2013年以降質が向上していることが確認できた。その原因は公式には語られていない、それでもある程度の予想はついた。これが最大の成果だった。

2013年産以降なにがよくなったかといえば、現代のドイツのリースリングの基本である清潔なクリアーな味筋にある。これはVDPの高級ワイン醸造所には最低限求められるもので、この清潔さが増せば増すほど上位の醸造所となり、その価格も頂点を極める。ビュルクリン・ヴォルフ、レープホルツ、ロベルト・ヴァイルなど皆共通している特質である。しかしその中で天然酵母の自然発酵をなしている醸造所はビュルクリン・ヴォルフなど希少である。そのなかで、自然発酵の多いモーゼル地域の醸造所として、ファン・フォルクセムはある程度の質を維持して上を目指してきたが、ここのところその清潔度が俄然向上したのだ。新たな醸造蔵への投資とは直接この変化は関係ないようだった。

さて、先ずは「シーファーリースリング」を試す。清潔度はあるが雑味がある。数件の農家から買い付けた葡萄を使ったリースリングである。その価格9.90ユーロはロベルト・ヴァイル以上かもしれない。天然酵母とフーダーなら価格は仕方がないかもしれないが、ミネラルの質感が足りない。

次は、ザールリースリングで、以前に訪問したときは買い付け葡萄だったが、現在は自己の葡萄のグーツリースリングとなった。これを試すのは2012年以来であるが、価格も11ユーロと自信あふれる価格だ。全くロベルト・ヴァイル並みの高価格帯となっている。しかし、ヴァイルは2012年産を除いては全く木樽を使っておらず、天然発酵の技術力がない。どちらが品質が高いか?

次は、「フォルツ」のある「ブラウンフェルツ」のリースリングである。シュルツホーフベルクの川に落ちる村側の裾に広がる地所である。これは、以前からどうしてもラインガウのグレーフェンベルクと比較してしまう構成感が嬉しいが、まだそこまでは至っていないというのが所感であり、もう少し時間が掛かりそうだ。

7月にリリースされる「アルテ・レーベン」の樽試飲をして、2013年の質を引き継いでいることを実感した。明らかに2012年産までとは違うのである。理由は簡単だ。天然酵母の扱い方に尽きる。

「ゴッテスフス」の横にある「ロートシーファー」のファインヘルプもヴァイスブルグンダーもお付き合いで試すが、リースリングの酸に弱い人以外は価格からして態々購入するまでも無いワインだろう。そこで引き続き、樽試飲をさせてもらう。フォルツとゴールトベルクである。流石に現時点では酵母臭が強いが清潔度は再確認できた。2013年ほどよくはないかもしれないが2014年産も以前の濁酒とは全く違っていた。

最高品質を求める醸造所、いよいよ頂点を目指す体制が整ってきている。もはや毎年目を離せなくなってきている。ザールの品のよい酸の出方と品質、時間の問題であろう。



参照:
ザールリースリングの旨み 2012-08-20 | 試飲百景
スレンダーながら多層的な23歳 2014-10-16 | ワイン
コメント (2)
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