Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

少し早めの衣替えの季節

2017-09-16 | 
寝床のシーツを替えた。夏の間のよれよれが余計に寒く感じたからで、厚さは変わらないがアイロン掛けしてあるものを使うとしゃきっととして暖かくなるかとも思ったからだ。それでも態々半袖半ズボンのパジャマで通した。そして翌日になって、室内でも半袖が寒くなって、長袖長ズボンに替えた。こんなに涼しい九月は知らない。

そこで世界最大のワイン祭りヴルストマルクトもお手上げのようだ。寒さに増して雨が降ると客足は遠のく。そこでスタンドをやっている人に聞くと可成り酷いようで、その準備の仕事量や投資に合わないことになりそうだ。

そしてそれよりも何よりも気になるのは天候が悪く雨勝ちなのでリースリングが弾けてしまわないかという心配で、パンパンになっていた果実は駄目になるかもしれない。

先日ナーヘで取って来たリースリングを開けた。五月に試飲会ではあまり気に入らなかったものである。珍しく売れ残っていたのでグローセスゲヴェックスの序に購入してきたのだ。デーノッフ醸造所のカーレンベルクである。それはバートクロイツナッハの地所で、クヴァルツとレームの土壌である。やはり飲んでみると辛口乍らレームのどろっとしたものが喉に残って残糖のように感じて気持ちよくない。クヴァルツでもロベルト・ヴァイル醸造所などのそれとは大分違う。良く言えばミネラルが良く抽出されている訳だが、バランスが今一つである。ミネラル味としては、苦いアーモンドのような味である。2016年産は出来が悪かったのかホェーレンプファートと称するロクスハイムの地所のもあったが、これはロートリーゲンスに近い地所なので余計に重くなって好まない。

この醸造所の本筋は、川の脇の斜面の傾斜地の葡萄からのリースリングだけで、その他のものは同じナーヘのシェ―ンレーバー醸造所のものからするとバランスが悪い。反対に甘口となると恐らくドイツの最高峰の一つではないかと思う。要するにそのミネラルの深さや強さに合うだけのバランスが辛口では充分に取れていないということになる。18ユーロ前後の価格ならば、フォルクセム醸造所のアルテレーベなどの方が遥かにお得で、レープホルツ醸造所やその他のリースリングとの勝負は難しい。

韓国での音楽会評をグーグル翻訳機の助けで読んだ。日刊紙などの常として専門的な音楽批評にはなっていないので、通常のジャーナリズムとしてその指揮者の風貌とか指揮姿が語られている。それでもそれなりに伝えられることはあって、そもそもの先行情報とかみ合わせて書かれている。二千人以上入る会場はほぼ満席だったようだ ― それでも入券の困難なドイツでは考えられないことなので、極東での情報の伝わり方という面でとても参考になる。そして少なくともミュンヘンでのトラムペットの事故などは無かったようで、管楽器も称賛されているので、大分更って本番の数を積んでいる成果は読み取れた。面白いと思ったのは、その指揮者の風貌について「玩具の兵隊のようだ」というのがあって、ああブリキのあれかなと思った。

キリル・ペトレンコの名前を最初に聞いたのは、2007年ごろのブログ「ドイツ音楽紀行」での紹介と推薦だったのだが、そこでは「海賊ゲームの吹っ飛ぶ首の親仁」が「上向きでも下向きでも同じ顔の騙し絵」という話しになっていたが、玩具の兵隊はなかなか今でも言えてると思うが、どうだろう。

10月初旬のアジアツアーからの凱旋コンサート訪問の予定が定まって来た。兎に角、当日スキーを預けに行く。ツアースキーのシールを固定するリングが外れたからで、春から問い合わせしていたのだが、持っていかないといけないのでコンサートの日程が定まってからも、引き取りの日程などが定まらなかったから決定は今になったのである。結局スキーのサーヴィスもして貰ってしばらく置いて貰うことになったので引き取りはシーズン前になる。この冬は指輪四部作の上演もあるので序を計画しながら平素以上にミュンヘンに通うことになりそうである。

そういったことで、しばらくお休みしていたが、週末ぐらいからまたお勉強をしなければいけないかと思う。凱旋コンサートは、日本で最初の本番として演奏される「子供の不思議な角笛」とブラームスの四番である。「不思議な子供の角笛」を最後に熱心に聞いたのはフィッシャーディースカウのピアノ伴奏盤以外ではバーンスタイン指揮、クラウス・テンシュテット指揮とかシノポリ指揮とかではないだろうか。要するに最近演奏されているのをあまり聞いたことが無い。



参照:
死亡事故20年で解消した疑問 2017-09-02 | 雑感
土産になる高品質甘口ワイン 2016-05-30 | 試飲百景
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Nach Tokio! Nach Rom!

2017-09-15 | 
愈々、ミュンヘンの座付き管弦楽団は東京へ移動する。日曜日にラフマニノフ、マーラーのプログラムでのコンサートで、同時に木曜日「タンホイザー」初日への稽古に入るのだろう。ピアニストのイゴール・レヴィットは帰国して、次はボンでのリサイタルだろうか。同じように帰国する人もいるのだろうが、歌劇場本隊は直接東京入りなのだろう。

ソウルでのコンサートの様子は、流石に携帯電話大國だけのことがあって、インスタグラムの量が凄く、劇場から直接上げているようだった。それを見るとトラムペット奏者も喝采を浴びているようで上手くいったのだろう。明らかに台北の初日とは違って落ち着いた感じがあるので、恐らくかなりいい演奏になったのではなかろうか。因みにレヴィットのアンコールはショスタコーヴィッチのバレー組曲一番「ヴァルツァー」となっている。

兎に角、今までツアーの状況をSNS等で追ってくると、旅行計画自体もとても完璧に思える。何といっても台北初日の時差ボケの興奮状態と、二日目のベートーヴェンでの反響を見ると、想定以上に順調に進行している様子だ。寧ろ管弦楽団の夏休み中の準備かどうかは分からないが、昨年の欧州ツアー時よりも一段と管弦楽団として成長しているようにしか思えない。それは、ピアノ協奏曲三番の断片を見ていても、なるほどベルリンで共演したピアニストとは違って、指揮者とピアニストの間の意思疎通が顕著で、遥かにフィルハーモニカ―との演奏時よりも素晴らしそうだ。交響曲の方も練習風景で見たように、またコーダの風景のテムポを見ても中々のもののようで、楽団員が聴衆以上に満足しているのは時差ボケの興奮とはまた違うだろう。
Tour of Asia 2017 - The video diary #2:

Beethoven: Piano Concerto No. 3 / Vogt · Petrenko · Berliner Philharmoniker


台湾では、「ミュンヘンは南国的なキャラクターで」と書いてあるのを読むと、なるほどその台湾の雰囲気が分かるようで、そこで二回のコンサートから始めたのは大成功だったのではなかろうか。打楽器奏者が言うように、「ペトレンコは可成り這入り込んで」いて、時差ボケの興奮だけでなくて、やはりこの指揮者はこうした一種のアジア的な多幸感というかそういったものも自身の気質として持っている人だと感じる。時差ボケでのマーラーの指揮風景などを見ていると首を痛めて東京公演は大丈夫かなと心配になるほどで、「楽員に確りと視覚的に伝えることに留意している」と言うが、それにしてもあの七番の第二主題部のステップは真似の出来る指揮者はどこにもいないのではないか? ― 流石に卒寿にして益々足取りの軽い指揮者ブロムシュテット爺でも難しかろう。
佩特連科與巴伐利亞國立歌劇院管弦樂團 9/8彩排

Tour of Asia with Kirill Petrenko: Finale of the 1st concert


表題のように、楽器がソウルのアートセンターの楽屋口から東京へと向けて運び出される報告にコメントしたが、まさしく巡礼がローマへと叫ぶように、管弦楽団にとっては管弦楽市場のメッカでもある東京への巡礼でもあり、そしてその二幕フィナーレで叫ばれるように「タンホイザー」へと流れる。担当者と劇場として二つもいいねを貰ったが、とても大きな期待が膨らむアジアツアーもいよいよ佳境に入って来る。そう言えばソウルの会場で冊子を配っていた広報の笑顔を絶やさない女性とはボンで言葉を交わした。



参照:
Ich war noch nie in Japan. Das ist.. 2017-04-03 | 暦
漸く時差ボケから解放される 2017-04-08 | 暦
圧倒的なフィナーレの合唱 2017-06-05 | 音
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ハイナー・ガイスラーの訃報

2017-09-14 | 雑感
爪先が冷たくなった。靴下を履いても駄目なので内履きをサンダルタイプからスリッパタイプに替えた。冬でもサンダルを履いていたことを考えると今年は寒いのだろうか。仕事机に座っていても半袖では寒くなってきた。内履きを新しくする必要もありそうで、レープホルツ醸造所に行くときなども計画しなければいけない。

室内を閉め切るようになって、ノートブックのファンに気が付くようになった。夏の間、プリンターの上に置いていたので、やはり下に風通しの良い状況を作るべきだったかと思う。冬篭りの体制が整っていないことから、何とも言えないが、出来るだけノートブックの場所を動かさないようにして、遠隔で使用したいとも思っている。モニターをどのようにするかなど解決すべきことがありそうだ。

庭の木が屋根に当たるようになって久しいが、流石に放っておけなくなった。このままならばいつか屋根雇が壊れる。そこで早速管理会社に連絡しておいた。一年ほど前から注意喚起していたのだが、これ以上放っておいて破損などしたら責任問題だろう。丁度陽射しが弱くなることであり、葉刈り枝刈には都合が良い。夏の間はこれで大分涼しかった。

イゴール・レヴィットのサイトにハイナー・ガイスラーの記事が引用してあったので何かと思ったら、新聞一面トップに顔写真が載っていて、亡くなったようだ。ドイツ山岳協会の顧問のような大政治家で、コール政権の大番頭として、また後年もリベラルな保守政治家として、丁度現在の連邦共和国政治を体現するような人物だった。十数年前にもツーグシュピッチュェの岩壁を登攀していて、同じ年齢で同じクライミングが出来るかどうか、とても目標となるアマチュア―アルピニストでもあった。

想い出の映像で気が付いたのだが、南ワイン街道のガイスヴァイラーに居を構えていて、1980年から南プファルツの奇岩地帯の中心であるダーンに事務所を構えていたとある ― 内履きを買いに行くところだ。なぜか今までそれについては知らなかった。元々プファルツの人ではないので岩登りも雑食砂岩よりもドナウの石灰岩でならったようで、実際に岩場でもアルパイン協会関連でも一度もお目にかかったことが無い。ランダウ支部に入会していたのかどうかも知らない。

その雰囲気や喋りからしててっきりシュヴェービッシアルペンのヴュルテムベルクとバイエルンの間ぐらいのイメージがつよく、プファルツの大臣時代など全く分からないので、訃報を読んで今回驚いた。それにしても狭いようで広いワイン街道で、まだまだ知らない人がまだたくさん住んでいるようだ。
Erinnerungen an Heiner Geißler



ソウルでのコンサートが開催されたようである。可成り入っているようで、最終的にはつまったのだろうか?会場のアートセンターの会館の屋根が朝鮮の帽子のような形をしていて面白い。韓国も日本と同じように録音媒体からの影響が強そうで所謂オタクといわれるような人が殆んどのように感じる。さてどのようなコンサートになるのだろうか。反響が楽しみだが、台北とはまた異なるのだろうか。楽団長のゲルトナーが、台北には二種類の聴衆がいて、一つは音楽に没頭してしまう聴衆と、一つは演奏後に歓声を送るコミュニケーションの出来る聴衆、原語は無いのでそのように理解した。所謂オタクは前者で、エンターティメントを楽しむ層は後者となるのだろうか?

正直、欧州で催し物に行くようになって気が付いたのは、日本ほど静かな会場は珍しく、それはドイツ語圏でさえ日本とは異なる。要するにメディアに根差したオタクが少ないということになる。自分自身もその立場がら集中度は誰にも負けなくなった。また分析的な耳が鍛えられているので、没頭して聴く必要などは無くなって、どんなに遠いところからズームの耳でその経験と脳で音を補えるようになっている。だから、昔の大フィルの笑い話ではないが、「半音ぐらい負けえといてーな」ならず「一小節ぐらい聞こえなくても良い」ぐらいなのだ。さて、どうなることであろうか、木曜日に愈々東京入りで、日曜日にコンサート初日、更なる木曜日オペラ初日までにプローベということなのだろう。
Tour of Asia 2017 - The video diary #2:



参照:
#바이에른슈타츠오퍼오케스트라 (Instagram)
twitter.com/pfaelzerwein
謝謝指揮大師佩特連科! 2017-09-12 | 文化一般
ミニスカートを下から覗く 2007-09-17 | 文化一般
公共放送の義務と主張 2005-12-24 | マスメディア批評
石頭野郎にぶつけろ! 2007-06-07 | 生活
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「ファースト」とは少数派のもの

2017-09-13 | 雑感
車が快調で喜んでいる。新車の時とは比較できないが、それでもその辺りを走っている車の多くよりも静粛性が高そうだからだ ― ただしバネはロールスロイスやBMWのようにはいかないので、次は空気バネが欲しいと思う。だから警告が点くとがっくりする。忘れたころに点いたのはエンジンオイル不足だ。まだ量を測ってはいないが、前回の交換から時間が経っているので、その燃焼と共に粘度が高まって来たのだろう。走り出して暫くして下りになると警告が点いたりする。先ずはいつも使っていたエンジンオイルの三本目を発注する。ここ二三年で僅か3リッターの購入であるが、ランニングコストとして計算しないといけないので新車にはない古い車の維持費には違いない。幸い乍ら油漏れは無く滲み出す位なのでその面では気分が良い。送料込みで10ユーロぐらいだ。

気圧配置が悪くなると雨が降らなくとも最近は朝からぐったりとする。夜中もぐっすりと長目に眠っている筈だが、目が覚め難く、中々血圧も上がらない ― 十代の時には朝の血圧の低下などは感じたことが無かった筈だ。無理してパンを取りに行って、森の中を走る。兎に角身体も重く頭が冴えないのでジョギングするしかないのだが、それでも走っているうちにやる気も出て来る。気温も低く、復路の日差しで漸く汗が噴き出してきた。そうなれば本気になるが、なんといっても歩みが遅すぎる。まだまだだ。

そのような塩梅で10月以降の準備も始めなければ遅くなるが、中々始められない。いずれにしても、この木曜日金曜日までにある程度の見通しをつけて置かないと、秋から冬の計画が立て辛くなって来るので、何とか無理をしてでも気を盛り立ててやって仕舞おう。

不思議なもので、夏の間は夜中に目が覚めて頻尿の夜があったのが、涼しくなって戸締りして早めに床についても朝まで起きられなくなってきた。全ては太陽の日照時間の影響だと思う。陽を浴びる機会が少なくなっているので、意識して陽に当たらないと駄目なようだ。例年はこのように感じたことは無いのだが、今年は何か事情が異なる。影にいた時間が例年より長く、年間の量が足りないように感じる。

選挙の張り紙が方々にある中で、みすぼらしいAfDのそれに初めて目が行った。ドイツの何とかのためだったが、殆んど意味不明だった。「何とかファースト」と言うのと一緒で、そもそもそのキャチフレーズには意味がない。選挙権を持っているのは「何とか」だけだからである。それでも態々「何とかのため」を強調するのはそれ以外の市民の排斥でしかないことは少し考えれば誰にでも分かる。

ポピュリスト政治として「何とか」を掲げるならば、その「何とか」は少数派であるべきで、選挙前から多数派である「なんとか」を強調するのはやはり排斥運動でしかないである。法務大臣がAfDのプログラムは憲法違反の疑いがあり、信教の自由などを奪うものだとAfDの危険性に注意を促した。

同時にSPDは、ここに来て「大連立でメルケルを入れてやっても良いが、こちらが出向いてもいい」というような大口をたたくようになっている。新聞はこれによって野党になるSPD支持者の棄権を避けたいようだとしている。またCDUは「FDPが連立を成立させずにSPDとの所謂緑赤黄色の信号連立を考えている」というのに対して、FDPは「緑との移民政策が上手くいかない」と言明して、同時に「SPDとの其れは実際上あり得ない」としている。政治的な有権者への駆け引き合戦だが、そもそも移民に厳しくしてもAfD票をどこまで削れるかはとても疑問で、なにがなんでも連立入りするぐらいを強調しないでも再び全員落選にならない自信があるのだろう。下部組織が確りしているということだろう。



参照:
謝謝指揮大師佩特連科! 2017-09-12 | 文化一般
Digitalisierung ändert Alles!? 2017-09-08 | BLOG研究
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謝謝指揮大師佩特連科!

2017-09-12 | 文化一般
ネットで教えて貰って20年ぶりぐらいでバレンボイム指揮の中継をBGMで流した。キッチンで仕事をしながらなので細かくは分からないが、バスにしっかり積み重なるような和音をベルリンのスターツカペレが奏でていた。この音響は到底ミュンヘンどころかヴィーンでもドレスデンでも聞かれないなと思い、見事だと思った。バレンボイムのブルックナー演奏はLPでシカゴでのそれをリファレンスとしているぐらいなので信頼しているが、シカゴ響やパリ管での演奏と異なって到底細かな音符まで読み取ることも無く、結局は超優秀とは言いながら座付き管弦楽団に演奏させている以上のものではなかった。バイロイトでの指揮が如何に優れていても所詮BGM的な美しい音楽以上の楽譜を読み込むところまではいかないのを確認していたのと同様に一流交響楽団でないと指揮者としての化けの皮が剥がれてしまうようだ。それ故に今回の交響曲九番だけでなく、同じ座付き管弦楽団で録音した大量のメディアでこれといった成功した制作は殆んど無い。八番などもDL出来るようなので序に聞いてみようと思う。しかしそこにはそれ以上に素晴らしい音源があって、アンサムブルアンテルコムテムプランやパリ管などがある。面白いのを探してDLしてみたい。

それにしてもコンツェルトマイスターが前に立って調弦をしてという様がまるでプロシアの軍隊式で、現在のフィルハーモニカ―がインターナショナルな雰囲気に溢れているのに対してまるで東独のそのままの趣で驚いてしまった。この座付き管弦楽団はスイトナー指揮のモーツァルトのオペラやカール・ズスケの独奏や四重奏ぐらいでしか馴染みが無かったので吃驚した。いづれベルリンにも仕事の拠点を作ろうと思っていた矢先なので、あのようなプロシアの軍事指揮を見せられると嫌気がさした。そもそもベルリンは外国人ばかりなのであまり住み易そうでも無く、週末のラディオで十五万人のユダヤ人はドイツでのユダヤ居住地となっていて、イェルサレムと姉妹都市を結ぶフランクフルトとは大分違う。チューリッヒのようにオーソドックスのユダヤ人がうろうろと目立つことはないと思うが、下着の洗濯とか何とかラディオで聞くととても面倒でそれには到底付き合えない。

そうしてこうした皆がもっている本心をポプュリズムに乗じて政治的な発言としてちらちらと見せることで票を集めるのがAfDという政党である ― 要するにぶっちゃけトークで人気を集める話し手でしかない。選挙が近づくにつれてあちこちで反AfDへの運動が盛んになっている。そうした種明かしの抵抗がどこまで功を奏して奴らの躍進を出来る限り最小に抑えることが可能なのか?

反AfDと言えば、ピアニストのイゴール・レヴィットが拾ってきたネタに、政党のキャムペーンポスターを揶揄するものがあった。そこには、水資源をドイツの手にと言うのがあって、如何にも反グローバリストにも受け入れられやすいコピーであるが、写っているのが海岸の波打ち際で、「これは塩水です。飲んではいけません。」と投稿者は書く。要するにAfDなどはそれほどのギャグの政党である。どこかで同じような程度の主張をしている二流指揮者がいるのを思い出してもらえばよいだろう。

台湾の音楽会主催者が、キリル・ペトレンコ指揮演奏会二日目の数時間後には批評をサイトに載せていた。驚きでしかない。前日の分と合わせて用意していた原稿があるにしても日本の新聞批評に匹敵するようなもしかするとそれ以上の内容を直ぐに纏めている。殆ど徹夜で仕事をしているのだろう。

一番興味深かった専門的な批評は、ヴィーンの大学で17年前にペトレンコ指揮を聞いていたという作曲家の林芳宜のコメントである。特にベートーヴェンの第七交響曲の序奏四拍子(poco sostenuto)から六拍子(vivace)への経過句についてのどの録音よりもゆっくりと生き生きした緊張感で聴かせ、それに続く第一主題を分かり易く気持ちよく響かせる手腕を第一に挙げている ― その主題部は練習風景のヴィデオで充分に確認できる、その歌と分析の確かさがペトレンコの演奏解釈であるとしている。前日のマーラーに比較して、その柔軟性とテムポが、ベートーヴェンにおける古典的な声部間のバランスと共に称賛されているペトレンコ指揮の演奏実践である。但し作曲家はマーラーにおいては十二分にラインが出ていなかったと批判している - 座付き管弦楽団の限界を含ませている。次に二楽章のアレグレット指定のテムポが早く感じられたがそれは楽譜通りで、その「原光」が聴きとられなかった始まりも、弦の粘度を下げるような弓使いで、徐々に軽さを増していくようで、とても楽しめたとある。そして、その流れの良さに反する持続性にも感嘆していて、要するにそのリズムとテムポの自由自在のことに他ならない。

この作曲家がフルトヴェングラーの録音を比較したかどうかは分からないが、大管弦楽団でのベートーヴェン演奏実践において、それに作曲家も楽しみにしているベルリンのフィルハーモニカ―とのキリル・ペトレンコ指揮ベートーヴェンがそれ以上に意味が生じるとは容易には思えないが、このように聞くと少なくとも漸くそれに比較可能な演奏実践がなされる期待が膨らんでくる。兎に角、欧州ではまだ暫く待たなければいけないことなので、こうしていの一番にペトレンコ指揮のベートヴェン解釈について触れることが出来るのはなんとも羨ましい限りだ。イゴール・レヴィットの「エリーゼのため」にはまるで禅味と表現していて分かり易い。

その他、二日目はゴールドベルク変奏曲の一部が演奏されたようだが、その他には管弦楽団はアンコールを弾いていない。東京では一体どのようなアンコール曲がレヴィットにより弾かれ、更に最後に何かあるのだろうか?

その他の評は、日本の評論のオタクの様な程度で、微に入り細にベートーヴェンのテムポに触れたりしているが、あまり参考にはならず、結局はペトレンコはオペラ指揮出身だからと未だに全く頓珍漢なメロディーを聴いている人もいるようで、同時に楽団員長のギド・ゲルトナーの「交響楽団と座付き管弦楽団」への言及も載せていて何とかバランスを取っている。この辺りは、日本などは専門家よりもいい加減な音楽文筆業界が広く存在するために、余計にオタク状態が激しい。まさしく上の作曲家が言うように、こうした機会に演奏に興奮するだけでなく音楽を本当に学ばなければいかんと言うのが正論に聞こえる。

因みに牛耳藝術の牛耳は、ドイツ語ではスポックの様なSpitzohrとか英語のナイフイアーズとかになるが、審美眼の眼ではなく、耳が尖っていることを意味するようだ。



参照:
MNA超級樂季 完美開幕 (MNA 牛耳藝術)
作曲家林芳宜的五分鐘非樂評! (樂樂文化・HM網 Happy Music)
文化の中心と辺境の衝突 2017-09-09 | 文化一般
土曜日から日曜日のハイ 2017-09-11 | 雑感
台北での第七交響曲練習風景 2017-09-10 | 音
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土曜日から日曜日のハイ

2017-09-11 | 雑感
前日のことがあるので朝目が覚めると同時に、タブレットを弄った。どうも日曜日であるだけでなく、台北では前日の打ち上げのためか動きが無い。それでもコンサートが終わってからの幾つかの写真などが上がっている。

何よりもオーケストラと花束を抱えたキリル・ペトレンコとの写真の表情が良い。このようなオーケストラの表情の写真は珍しい。それを伝えていたイゴール・レヴィットの報告だけでなく、道理で、主催元のフェースブックに書き込まれていた聴衆の反応でその状況が知れた。

それによると、弦楽団員だけでなくお互いに抱き合っているのは初めて見たと、驚いていて、成功を祝しつつ、男よりも女を抱く機会を求めているのがみえたと、とても好感がもてたと結んでいる。

ベートーヴェンの練習風景でも分かるように、楽員が夏休み中に ― 恐らくバイロイトなどで小遣い稼ぎすることなく ― 充分に準備をしていたのが窺い知れる。そして時差ボケで殆んど興奮状態のままに予定が進んでいるのだろう、その高揚した雰囲気がよく伝わるのだ。

録音などをして冷静に審査すると荒があるのだろうが、生の公演では数少ない玄人しかあまり気にしないような傷はあっても、なによりも皆が満足できるような音楽会であれば大成功である。終演後にビールを傾ける写真なども上がっていて打ち上げの雰囲気がよく伝わる。

こうしてみるとやはり日本での初日の文化会館でのコンサートはかなり期待できそうだ。最初は時差ボケが取れる一方、こうした興奮状態から旅行の疲れのようなものが出てどうかなとも思ったが、ミュンヘンでの演奏会から五回目の同一プログラムの演奏会であり、その楽員の準備から見ると録音が欲しいような演奏になりそうである。

土曜日のコーダの一部の映像が出たが、予想通りの熱狂で、一寸ハイの感じは否めないが、流石にテムポも落ち着いていて、寧ろ台湾の人達にとっては物足りないぐらいなのかもしれない。
1. Konzert der Asien-Tournee des Bayerischen Staatsorchersters mit Kirill Petrenko in Taipeh


土曜日は、朝から雨が降っていて、走ることも出来なかった。前日の試飲会の疲れも残っていたから仕方がない。それでも運動不足となると、下腹の具合も悪くなって気持ち悪い。夕食にアルコールを抜こうかと思ったが、結局金曜日に購入したリースリングを開けた。

そうしてちょこちょこと出て来ている台北での反響を横目に、パン屋に出かけ峠攻めに行く。森の中は摂氏10度で涼しく、前日の湿り気がある。パンツを脱いで走り出す。体温が上がらないので蒸かせることが出来る。これならば久しぶりのタイムを狙えるかと思う。上りはどうも駄目だったようだが下りて来て34分を切ったのは4月以来のようだ。まだまだ56秒だから33分割りには上りの記録が必要であるが、ようやく調子が戻って来た。

しかし帰宅後体重を測ると74㎏もあって、春よりも5㎏ほど太っている。これには驚いた。夏太りは毎年の傾向だが、我慢して走る距離も増やしているぐらいなのだが、クライミングが減っているのか、肉食が増えているのか、ビール消費量かは分からないが太った。様子を見て方針を決めないと困ったことになる。



参照:
台北での第七交響曲練習風景 2017-09-10 | 音
文化の中心と辺境の衝突 2017-09-09 | 文化一般
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台北での第七交響曲練習風景

2017-09-10 | 
未明、寝床でタブレットを弄っていると、昨日のキリル・ペトレンコ指揮のプローベでの七番の交響曲のヴィデオが出てきた。驚いてとび起き上がってPCで4.13MBのMP4を落とした ― こうなるとコレクター趣味の病気である。昨日見た台北の國家兩廳院でのプローベの録音は、どうも劇場の記録宣伝用で、報道ではなかったようで、その位置からヴィデオが撮られている。想像以上に空のホールの鳴りが素晴らしいが、それ以上にベートーヴェンの管弦楽の引き締まった響きに驚いた。クライバー指揮の同じ名前の管弦楽団とは思えない、旅先とは思えない素晴らしい響きを奏でている。再来年辺りにベルリンのフィルハーモニカ―の演奏でも、ザルツブルクなどの各地のフェスティヴァルで鳴り響くことだろう。

劇場のサイトを見ると、昨日までアップロードしていた担当者はNHKホールに先乗りしていて、ピアニストのイゴール・レヴィットがその任を請け負っている。更に自分自身のサイトもアップしているのでとても小まめだ。

演奏会中継はないようで残念だが、徐々に様々な映像が出てくるかもしれない。上の映像もペトレンコ指揮の練習風景としては、先頃の映画での「マイスタージンガー」とトリノでの「指輪」のほか短い断片しかないので、僅か54秒の風景も貴重である。先ずは、ラフマニノフ、マーラーでのプログラムの初日の反響が待ち遠しい。
Asien-Tournee 2017 - Videotagebuch Taipeh


ナーヘでのワイン試飲会の帰路、ラディオからベートーヴェンフェスト初日の中継が流れていた。なによりもの話題は、指揮者ゲルギーエフが登場ということで反対運動が盛り上がったということだ。そしてそのデモンストレーションは予め予告されていて、主催者側も「思想の自由」ということで運動を肯定的に解釈したということである。それでもボン市長や州の大臣などに並んで開会の挨拶に立ったニケ・ヴァークナー女史は、ゲルギーエフの言葉を引用して「演奏会は、演奏者と聴衆がお互いに理解し合って成り立つ、だからベートーヴェンの第四交響曲に続いてロシア音楽の名人としてチャーミングなシェーラザードを楽しみにしよう」と拍手を貰っていた。

一曲目のローエングリーンの一幕への前奏曲が流れるが、そもそもペテルスブルクの管弦楽団の力量やそのレパートリーを考えれば、勿論ミュンヘンの交響楽団でもそれほど変わらないが、なぜこのようなものを初日に持ってきたのか分かりかねた。なによりも低予算でテーマを示したいというお手軽な手配だったのだろうが、これがパスキエ女史の手腕ならばもっと興味深く問題の無い演奏者を集められたのではないかと思う。

プーティンをロシア人として支持するのは構わないのだが、そしてその政治的な立場を表明することも構わないが、結局その音楽家や芸術家は思潮的にもそれによって値踏みされるどころか、音楽や芸術が分かる者ならば其奴がそもそもその程度の表現しか持ち得ていないことを知っているのだ。それ故にこの指揮者に開幕をさせた主旨が不可思議なのである。



参照:
文化の中心と辺境の衝突 2017-09-09 | 文化一般
外から見計らう市場 2017-09-07 | 雑感
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文化の中心と辺境の衝突

2017-09-09 | 文化一般
台北からの写真が幾つか入って来ている。一枚は劇場のテュイッターで、もう一枚はイゴール・レヴィットのもので、お昼ぐらいから始まったリハーサル模様だ。最初に交響曲七番のプローベのようで、副調整室のようなところからピアニストが写しているので、その後にピアノ協奏曲ハ短調なのだろう。ベートーヴェンプロは10日日曜日なので、明日9日にこの6月に演奏されたプログラムのプローベなのだろうか。

このピアニストに、そんなそこからでも ― なぜ客席からではないのかは分からないが -、「ペトレンコ指揮の七番は圧倒的な響きだ」と書かれると、こちらまで興奮してしまう。ペトレンコ指揮によって特別な音響が響きわたる訳ではないが ― 中華圏ではインタヴューでの独自の響きに話題が集まっているようなのが彼らの西洋音楽受容として興味深い ―、カルロス・クライバー指揮のそれなどよりは圧倒的に引き締まったベートーヴェンが響くに違いない。そしてああした音楽がアジアでどのように響いて、立錐の余地なく入った会場で響くのを想像すると文化の衝突というようなものをどうしても想起するからである。

それは何も台湾、朝鮮からだけでなく、東京からにおいても注目される現象なのだ。今更ながら交響楽演奏世界のメッカの様な日本において改めて文化の衝突を想起させるのは、やはりペトレンコ指揮の管弦楽団の演奏行為が歴史的な源流を遡る行為だからであろう。特に、台湾、朝鮮などの管弦楽演奏はフォンカラヤン以降の管弦楽を抜きにしては語れないので、漸く本物の西洋近代音楽がその地で奏でられることになるのだろうか。

リハーサル会場にはドイツからの報道カメラが入っているようで週末には報じられるだろう。ソウルや東京にすれば日常のルーティン化されたシュービズの一風景かも知れないが、こちらからすると違うということだ。意味は全く異なるが、「もしあのフルトヴェングラーが幻の東京オリムピックに合わせてフィルハーモニカ―と凱旋していたならば」とか考えてしまうのである。文化の衝突の様な興奮をそこに感じる。

新聞に、エステルハージのアイゼンシュタットで開かれていた「ハイドンの日々」が今年からその州の援助のもと郊外へと追いやられた話が載っている。その音響的中心にあったハイドンフィルハーモニカ―は気鋭の指揮者の下エステルハージ財団の元の場所で演奏続ける一方、その生みの親である大物指揮者アダム・フィッシャーに率いられた自兵のこれまたデンマークの放送協会から駆逐された私立の管弦楽団が、ここで再び駆逐されて郊外の町で、その一件の怒りに燃えて演奏したことが伝えられる。そこでは、70歳になろうとする指揮者は、嘗て批判されたようなものをかなぐり捨てて、「その年齢に達したと見えて、なりふり構わぬ演奏を繰り広げた」ように響いたようだ。テムポ、パウゼ、音量の変化、挑発的な奏法などが、交響曲などでと同じように宗教曲でも強調されることから、明らかに楽天的で欺瞞に満ちた信心のように響き、まさしく宮廷から野に放たれたようだと結んでいる。こうしたローカルな演奏行為にありがちな普遍とはならない音楽行為の典型かも知れない。



参照:
twitter.com/pfaelzerwein
bayerischestaatsoper (Instagram)
Bayerische Staatsoper,
MNA 牛耳藝術#bmw大7之夜,
誰是佩特連科? -談出身、成名之路、人格特質、音樂風格 (facebook)
Digitalisierung ändert Alles!? 2017-09-08 | BLOG研究
外から見計らう市場 2017-09-07 | 雑感
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Digitalisierung ändert Alles!?

2017-09-08 | SNS・BLOG研究
文化や芸術については書いても、殆んど政治については語らない。それでも総選挙も近づいてきたことであり、最新の世論調査と新聞記事を読んで一言。最も興味深いのは、難民大量流入問題以前の状況に戻ってメルケル首相の人気が復活したことだろう。その背景には、ハンガリーのオーバン首相やオーストリアの右翼やトルコのエルドアン独裁の様な悪い連中のお陰がある。メルケル首相は女性的な狡さで天才的な政治をしているように思えてきた。

そして国民の主要話題は、お天気だけでなくて、トラムプ、難民、トルコ問題、ディーゼル、アンゲラ・メルケルと四年前よりもより政治的になっているというが ― 実際政治談議ではなくてもこの辺りの話題は立ち話に上るようになっているが、それは身近な切羽詰まった問題であるよりもTVワイドショー的な世間話しでしかない。

それでも数少ないSPD支持者の中では、社会の公平、若い子育て世代への政策、年金と所謂社会民主的な政策も期待される。しかしリアル政治の中では、ドイツ経済の景気とか社会の全体の楽天的な気分の方が大切なので、誰もSPD政権に期待していない。実際に自由党と緑の党の所謂ジャマイカ連立政権となるのかどうかは分からないが、メルケル政権への支持は揺ぎ無いようだ。経済に関してもマイナス金利から正常化へとソフトランディングへと向けて動いているだけで、なにも自由党がそこに必要ではないだろう。

そもそも大連立の第二党には勝目が無いのだが、それ故に新たな候補を立てて、旗手回生を狙ったようだが、SPDの長期低落傾向の中ではシュレーダー前首相程度の余程の人物が出てこないと政権は狙えないということだろう。兎に角TV討論会なども生温くと書いてあるので、結局はシュレーダー、メルケルの討論やその後のZDF攻撃などの闘争は全くないということだ。

面白いのは、極東へと向かったピアニストのイゴール・レヴィットがトランジットのバンコックまでの隣席の空いている飛行機内でも「一体誰がFDPを選択するのだ」と呟いていて、そうなると緑の党はどうしても連立に入らなければいけないということになる。FDPだけならば詰まらない政策も出てくるかもしれないが、AfDよりも弱い緑の党でもそこに入るとやはり違うだろう。AfDに対して「ナチス」と攻撃して、流石に考えたのか、その反対は、「左翼のいい人」ではなくて「普通の思慮深い人」というのを取り上げている。そもそも彼が左翼であることは了解しているが、ソヴィエト出身の人間としてはメルケル首相と同じく左翼党の支持者であるわけがない。

そして、「I Am Not Your Negro」を五回も見たとして、再びAfDに今度は静かに批判する投稿を扱って、ジェームス・ボールドウィンに言及する。勿論その背景には合衆国における時事があるのだが、私がAfDへの立場を表明したのと同じように「奴らの言動」に対する激しい気持ちがそこから浮かび上がってくる。正しく、自らが命題を述べるまでも無く、引用によってそれ以上に大きな表現が可能になるというとても芸術的な表明となっている。流石に一流のまだ若い芸術家の表現である。

I Am Not Your Negro Official Trailer 1 (2016) - James Baldwin Documentary



参照:
Twitter.com/pfaelzerwein
IfD Allensbach
Go home & never come back! 2017-08-24 | 歴史・時事
レヴィットのルジェスキー 2017-08-29 | 音
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外から見計らう市場

2017-09-07 | 雑感
テュイッターを見ていると、DACAの復活が話題になっていて、再びトラムプの政策が合衆国の分断を招いているようである。要するに違法移民の子供として育った合衆国市民の権利の問題である。トラムプ支持者を纏めてレーシストと十羽一絡げにするのは、先のシャルロッテンヴィレでの一件があるからでもあろう。それにしてもオバマ政権の救済策などを全て元に戻そうとする政策とその支持者が多いということは、トラムプに票を投じた人たち全てがオバマには票を投じてはいないと思わないので、いつの間にかそれら全てが不満に変わってしまったのだろうか?
Obama statement criticizes Trump's DACA decision


スイスから先ごろ亡くなったクラリネットの名人エドワルト・ブルンナーを偲ぶ会へのお知らせが入っていた。ハインツ・ホリガーも一曲吹くようだ。スイスは音楽の拠点も幾つかに分かれているが、その人脈などは外からは正直分かり難い。要するに邑なのだ。

ミュンヘンのオペラ座のアジアツアーが始まろうとしている。中国語や韓国語のネット情報を見ていると面白い。台湾と大韓民国を比較したことが無かったのだが、大体台湾の二倍が大韓民国ぐらいの感じのようである。それでも大管弦楽団演奏会は一度しかない。台湾出身の音楽家は殆んど知らないが、韓国出身は多彩である。

その代わりソウルでは、ゲーテインスティテュ―トが係っている室内楽演奏会が行われる。選り抜きメムバーで、ハイドンの弦楽四重奏、リヒャルト・シュトラウスのティル、モーツァルトのクラリネット五重奏曲が演奏される。何時も第三プルトで弾いている金さんも二曲目のリーダーのようだが、彼女がデュッセルドルフ生まれと知って興味深かった。もしや日本企業に関係していたのだろうか?

室内楽は相乗り企画のようで、BMWのスポンサーリングとは関係が無い。つまり、BMWは台北で二回公演をする価値をしっかり計算しているということだろう。少し考えればソウルなどではBMWが売れるわけがなく現代で充分で、自国産業のない台湾は期待できる市場なのだろう。地図で見る限り沖縄とは違って、車を走らせる場所もあるのだろうし、なんといっても経済がいい。少し無理してでもイスラエルぐらいでしか行っていないベートーヴェンプログラムをペトレンコが指揮して、レヴィットが弾くだけの市場があるのだ。90年代の日本にも似ている状態なのかもしれない。

劇場の台湾向き、韓国向きの宣伝ヴィデオをようやく見つけた。ピアノのレヴィットが国名を言い直させられているのが面白いが、映像の一部にマーラーの交響曲五番のフィナーレがあって、これは初物である。
Kirill Petrenko and Bayerisches Staatsorchester on tour in Taiwan

Kirill Petrenko and the Bayerisches Staatsorchester on tour in Korea


参照:
BAYERISCHES STAATSORCHESTER IN KOREA (GOETHE INSTITUT SOUL)
オープンVPN機能を試す 2017-08-19 | テクニック
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黒い森の女への期待

2017-09-06 | 
車中のラディオでは、ベルリンの新インテンダンティン、アンドレア・ツェッツィマンのインタヴューが流れる。冒頭から驚いた。彼女の故郷は、私が冬に通う氷瀑の町だった。あの辺りのシュヴァルツヴァルトに詳しい者は、そこの医師の娘として音楽を学んでと聞くと、とても多くのことが思い描ける。初対面でも沢山のことをお話しできるそうだ。そして彼女が創立されたグスタフ・マーラーユース室内管弦楽団のマネージャーとして、アバドに見染められて、その「偉大な才能」が奨励されたとあり、その後のHR放送管弦楽団、そしてハムブルクの放送管弦楽団、エルプフィルハーモニーに係りながらも結局ベルリンに来ることは定まっていた様な感じさえする。

そして最初の一年間はサイモン・ラトルと仕事をしてそこで受け継がれるものと、そして新しい時代を築くキリル・ペトレンコとのエーラへの橋渡しをとても喜んでいる。「ほかの何処にもいない、楽譜への作品への深い理解を示す指揮者」への驚愕と、「細部への拘りからどのような管弦楽団へもの非常な要求は、ベルリンのフィルハーモニカ―との共同作業で、その可能性からして尋常ならざる成果を示すだろう。」と語るのは、コンツェルトマイスタリンとして管弦楽団を率いていた経験もあるこの女性マネージャーである。

Press conference with Kirill Petrenko and Andrea Zietzschmann at the Berlin Philharmonie, 2016

勿論、その自意識の高いフィルハーモニカ―であるから、容易に物事が進められるわけではないが、それに関しても、その通常よりも権限の限られているというポストでも「充分に各々の裁量の範囲はあって、要はどのように持っていくかであって、自分自身の二十年の経験からあらゆる組織を知っているので、自分自身は十二分にやれる。」と、とても心強い。

あの土地柄をよく知る者としては、決して目立つことをすることなく、確りと粘り腰で仕事をしてくれるものと期待できる。特に管弦楽団と指揮者、そして外部の取引においてとても重要な機能を担ってくれそうだ。

そして個人的には、こうしてバーデンバーデンの放送局がインタヴューしたように、そのアルマン語の喋る口だけでなく同じメンタリーティーでバーデンバーデンとの関係もより一層強く太いものにして欲しいと願うのである。バーデンバーデンの監督は、ハムブルク出身のベネディクト・スタムパとなり、とても芸術的な進化が期待されるところだ。

彼女が開いたエルプフィルハーモニーのロビー脇の部屋から、ヒーターの管が破れて水漏れしたのは4月だったようだが、そこにカビが生えてきたので、壁ごと仕切り直すようだ。ああした多目的な大きな建造物だと幾ら会場が改良されて行っても、いろいろな問題が起こることは今後ともあるように思う。やはり音楽会場は独立している方が良い。

シャワーを浴びて天井を見ると、ラムプのシェードに錆びの様な色が見えた。白色だから埃が目立つことは知っていたが、赤さびのような色は気が付かなかった。天井は黴取りで綺麗になったが、これも明るいうちに外して、ラッカースプレーで白く直しておきたい。コードを外したりするのが面倒なのだが、冬は長いのでここ暫くがチャンスだろう。

腰回りが張っている。理由は分からないが、可成り酷い。下半身がぶよぶよする感じで、殆んど大腸癌か下腹部の癌のようで気持ちが悪い。そもそも休むことなく走るようになっているのも、下半身をすっきりさせたいからだが、その疲れもあると同時に、胃の調子などが悪いとどうしても下腹部への負担も強くなっているに違いない。



参照:
アイゼナッハの谷からの風景 2017-07-17 | 音
原典回帰というような古典 2016-10-20 | 文化一般
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楽しい2016年産「アルテレーベン」

2017-09-05 | ワイン
2016年産ザールヴァインを飲んだ。2015年ほどではないが決して悪くはない。今回は、5月にファン・フォルクセム醸造所を訪ねて樽試飲したワインを、予約したクランクリュワインとともに合わせて12本送って貰った。つまり6本の「アルテレーべ」と呼ばれる、斜面の古い葡萄からの収穫ものである。苗が古いと収穫量は落ちるが長年に生やした根が深く上手いところに張っている。だから吸い取る栄養分がミネラル分豊かで、土壌の表面では出ない土壌の深いところのミネラルを反映するワインが出来上がる。果実を齧ってみても風味が違うのである。

箱が金曜日に届いたが、一日寝かせてあげた。新鮮なリースリングであり、数はあるが樽試飲していて、今度は出来上がったワインとして楽しみたかったからである。土曜日にリースリング煮凝りに冷やしたこの瓶を開けた。グラスに注いで香りが出て来る、五月の印象を思い出すと同時に開いて熟成しているワインを感じる。

ミラベル、黄色の林檎など楽しい香りに、典型的な火打石のそれがある。記憶通り酸が円やかでとても馴染みやすい万人向きのリースリングであると同時に、次から次へと味が楽しめる。ネギに続いて、長めの後味にはミントの香りが漂うと、どこまでも楽しめるリースリングになっている。

2015年は酸もしっかりしていて深みもあり大きな熟成が楽しみな素晴らしいリースリングだったが、2016年はとっつきやすいと同時に汲みつくせないほどの悦びがあるリースリングで、飲みなれない人も飲み飽きているような人も同じように満足させてくれるワインなのだ。

2016年産は決して悪くはない。特に酸が充分な量感がある地域のワインは単純さとは異なるリースリングであり、偉大な熟成さえ考えなければこの数年で最も素晴らしいリースリングになっているかもしれない。但し地域によっては決して良くない。

そしてファンフォルクセム醸造所の「アルテレーベン」は現在までのところ最も素晴らしい2016年産リースリングだと思う。金曜日の夜は、これを開けなかったので、2014年産のグローセスゲヴェックスを開けた。ミュラーカトワール醸造所の「ブロイメル」を開けた。評判の良かったビュルガーガルテンの上位のものだ。これも基調はハーブ味で、最初はアルコールがかっていただけだが開いてきている。但し果実風味は感じられず、ミネラルのそれだけである。食事にも単体でも楽しめるが価格の割には複雑さが足りない。



参照:
楽しい2016年産「アルテレーベン」 2017-09-03 | ワイン
2015年産のお見事な出来 2017-05-20 | 試飲百景
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定まるテムポの形式感

2017-09-04 | 
道理で朝起きするとガウンが欲しかったぐらいだ。日曜朝の森は気温摂氏8度しかなかった。流石に肌寒かったが、反面運動するには気持ちよい。峠を攻めて降りてきたが、気持ちよい汗を掻いた。少しづつ攻めれるような雰囲気になって来た。やはり暑さはかなわない。帰りには摘み取りのトラクターなどが走り出していた。ブルグンダー種などはぼちぼち収穫なのだろう。

新聞にルヴィヴ(独レムベルク)の音楽祭のことが報じられている。キリル・ペトレンコの助手として活躍した指揮者オクサーナ・リニヴが開催する音楽祭「LvivMozArt」である。モーツァルトとは、父親の影響からオーストリア帝国の東端へと逃れてきた末の息子フランツ・サヴァ―のことで、ソヴィエト時代には公式歴史から消されていたという。このグラーツの音楽監督になった女性指揮者がそのバロック都市の音大で学ぶ頃のことである。今回そこで演奏したウクライナとドイツのユース管弦楽団がボンのベートーヴェンフェストでもドィチュヴェレのプロジェクトでほぼ同じプログラムで演奏する。
Відеощоденник LvivMozArt #1 (відкриття)

Відеощоденник LvivMozArt #3 (гала-концерт)

Відеощоденник LvivMozArt #2

Відеощоденник LvivMozArt #4

Concert LvivMozArt. Full version

Оксана Лынив: девушка с характером

А.Вівальді Меса «Gloria» №1-6 та 11-12. Солісти – Тетяна Коробка та Наталія Кухаренко

Оксана Линів, О.Кива, кантата №3Таїсія Шафранська

`Благовіщення`Ю.Ланюк, скрипка Богдана Півненко, диригент Оксана Линів

симфонічна поема «Життя Героя» Ріхарда Штрауса. Оксана Линів.


承前)キリル・ペトレンコ指揮「タンホイザー」三幕である。TV放送されたものは完成度が高く、予めお勉強していた歴史的録音を聞いていても、このように上手くいっているものを知らない。楽譜の版は異なるが制作録音されたものよりもこれは遥かに完成度が高い。フォンカラヤン指揮のものは聞いていないが、真面なヴァークナー解釈という意味では今回の録画以上のものは無いであろう。なるほど制作録音ならばテークを重ねなければいけない箇所はあるが、このように繰り返し聞かない限り生では全く問題にならない。

この前奏曲からその音楽的題材は、巡礼の主題と救済の主題を楽匠がどのような調性でどのようなテムポでどのように組み合わせているかでしかないのだが、今回のような正しいテムポとリズムを適格に振れる指揮者でないとその構図が綺麗に浮かび上がってこない。そのようなことでニ回目の公演などでは重なる管がごっそり落ちてしまったのであろう ― 明らかにその原因はハルテロスの歌につられてしまったのであるが、ここでは素晴らしい歌唱を繰り広げている。

要するにテムポにおいてもメトロノームでいえば10とかのスカラーの相違が作曲時点でその調性変化と同じようにまた二拍子系と三拍子系の変換などで整えられていて、救済へと変遷するために所謂ロマンティックと呼ばれる形式をそこに与えている。当然のことながら巡礼から救済また巡礼へと大きなヴェクトルを描くことで、この作品を文字通りロマンティッシェオパーとしている。

そしてその形式感というのは、そのヴェクトルがドラマテュルギー的にもしっくりこないと、感じられない。正直この録画を何回も繰り返して楽譜を見乍ら聴くことで初めて手に取るように分かるところも多くて、ここでどのようなテムポ指定と変調がなされるかを具に観察していかないと楽匠の創作意思が分からなかった ― 三幕が繰り返し演奏されるごとに良くなるのはそうした形式感の問題だろうか。

後期の楽劇などに比べるとその過程が手に取るように見えるのは、叙唱のテムポ指定などでもあり、やはり音楽素材の扱い方が異なるということなのだろう。その反面、このような書法を観察することで、まさしく最後のパルシファルのそれが透視可能となるということで、この作品が今回敢えて取りあげられるようになったのも理解できた。

繰り返しになるが、作曲家が最後まで心残りだったその作風の苦心はまさにその形式感にあって、スカラーで二小節三小節とコピーアンドペースト消去出来るようなものではなくて、この三幕に表現されているようなバランスであるということだ。その意味からすると今回の演出の時間感覚への示唆は些かけったいな感じもするのだが、必ずしも的外れの視点でも無いだろう。

それにしてもこうしてペトレンコ指揮のように正確に楽譜から創作の主題を細やかに表現して呉れないと、何度「名演奏」を繰り返し聞いていても楽匠の創作意思などには到底触れることが出来ないと教えてくれる。九月に三回も東京で演奏されるそれが放送されないのはとても残念であるが、キャストが変わってもテムポが定まれば定まるほどそこで表現される音楽構造が定まってくることは間違いない。(終わり)
バイエルン国立歌劇場《タンホイザー》第3幕より



参照:
アイゼナッハの谷からの風景 2017-07-17 | 音
音楽芸術のGötterFunke体験 2017-08-14 | 文化一般
オクサーナ・リーニフさん (Zauberfloete 通信)
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残り一本の2014年「雑食砂岩」

2017-09-03 | ワイン
2014年シリーズを開けている。それも九月に近づくにしたがって単純なリースリングからグローセスゲヴェックスへと変動している。先ずは中間帯のレープホルツ醸造所から「フォムブントザントシュタイン」である。なぜか残り二本しかなく、一本を開けるのに躊躇した。二年前は三本ぐらいしか購入していなかったのである。要するに購入するワインの価格帯が上に徐々に上がって来ている。VDPの思うつぼである。

流石にこれは良かった。はじめからよかったならばなぜ半ダース買わなかったのだろうか。そして調べると六本購入して四本を飲み干していた。四本目は昨年五月である。これは参った。結局は上手ければ我慢できないで空けてしまっている。上のガンツホルンも三本しかない。最初から開いていて飲み易いと二年間も待てないのである。

そして二年間待った。結果は流石に今まで感じたことが無い薬草風味が強く出ていて、若干のクロロフィル的な新鮮さとその正反対の枯れた感じがあって、素晴らしいハーブ風味である。2013年が黴臭いような香味ならば、2014年はカラッとしていて枯れ藁の趣もある。但し果実風味は殆んど無くて、雑食砂岩のミネラルがナッツ類のように感じられる。酸は綺麗に分解されていて、とても心地よい酸が広がっている。充分な量感で食事にも単体でも両方楽しめる高級リースリングである。これでまた今まで開けた2014年産の最高峰に新たに輝いた。2014年は良年であったことを実感する。

2016年産は、日常消費用に下の「オェコノミラート」の12本目までを予約しておいたので、雑食砂岩6本と予約のガンツホルンを合わせると19本も取りに行かなければいけない。ザールから12本300ユーロも既に届いており、寝かせるものと消費ワインとのマネージメントが更に複雑になってきた。

それにしても筋肉痛が治らない。天候的には走れたが週三回目の走りもパン屋への行かなかった。気温のためか可成り体調は低下していて、所謂夏の疲れと呼べるものだ。昨年とは大違いで不安を感じる。確かのこの週は天候が優れない中で走ったりしたので筋肉に無理が掛かったのかもしれない。そしてシンナーなどの揮発性のものも吸い込んだ。この週末はしっかりと体調を戻したいところである。

体調といえば新しいフィリップスの歯ブラシを購入してから、徐々に歯茎の炎症の状況が良くなってきたのを確認できている。今朝は若干出血していたようだが、その炎症の範囲がとても小さくなって来ているような感じがある。少なくとも歯磨きでの違和感も気が付かなく忘れてしまっていることが何回かあって、それ以外の時の違和感も逆に思い出すような感じで上顎に触れることがあるぐらいで、時々思い出しては忘れといった塩梅になって来ている。食事などの時には完全に忘れているので、逆に気をつけないといけないぐらいである。40ユーロしなかった歯ブラシであるが、最初の替えブラシを10月末に注文する頃には完治している可能性も出てきた。すると今度は春までに一度歯医者で歯石取りを考えよう。そこで完治である。右側の鼻も同じように明らかに好転しているので右と左が繋がっているのかもしれない。



参照:
反動で動き出す週末 2015-09-21 | 試飲百景
全然飲み飽きないワイン 2016-05-10 | 試飲百景
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死亡事故20年で解消した疑問

2017-09-02 | 雑感
筋肉痛が酷い。それほどの負荷を掛けたわけでもなく、無理な姿勢を取り続けたわけでもない、地べたに座ったりして塗料を塗ったり、拭いたりしていただけである。どこか身体が悪いのかと思うぐらいに肩から足まで筋肉痛である。少々仕事をして思ったのは自分には職人的なことは全く向かないということで、椅子に座って歩き回ってソファーに寝そべる以外の仕事は辛いものでしかないということである。誰もやってくれないから自分でやるだけでそれ以上のことはやはりしない。それはものを直したり、達成感とかなんだかんだの悦びとはまた違うことで、仕事となるととってもやっていられないということだろう。

それだから椅子に座って、10月に迫る演奏会のお勉強をしようかと思えば、またそれはそれで中々億劫なものがある。まず最初に、マーラー作曲「子供の不思議な角笛」とブラームス交響曲第四番ホ短調である。前者も後者も楽譜が手元にあるが後者は真面目にお勉強したのは十代の時ぐらいだろうと思う。生で体験するのも二度目か三度目かでしかない。前者は全曲は初めてではなかろうか。

パリの人々には忘れ去られているダイアナの死亡事件であるが、二十年で漸く疑問が晴れる話が新聞に載っていた。疑問は、何よりもSクラスメルセデスでの死亡事故で、安全ベルトを締めていなかったことと助手席の用心棒はエアーバックで助かったということだ。もう一つは速度120㎞ほどでの三人の死亡と、その車が僅か2.8lほどのエンジンしか積んでいなかったことである。

事情は、記事によると、ホテルリッツからパパラッチを避けるために大型リムジンを二台囮に使ったので、事故車はホテルのカウンターで都合したもので、その前歴はスクラップ同然の事故車だったということだ。盗んだ薬中者が大事故を起こし、また直前にも盗難にあって分解されていてと究極の訳有車だったということである。これならば全ての疑問が解ける。

元オーナーが語るように時速60㎞ほどでの直線走行性に問題があったということならば、運転士がアルコールと薬を飲んでいなくても、初めての車で突然の車特有の反応に対応不可なのは当然であり、高低差のある地下道で時速120㎞ならば素面でも事故を避けるのは厳しい。そもそも加速性能の悪い車でそこまで加速するのにも時間も掛かっているので、簡単に事故を起こす筈はないと思っていた ― 後輪にトルクが掛かるフルスロットル状態である。要するにフランスの車検に通るほどの車両の不都合は、シャーシの歪みなど事故後の調査でも事故原因とは解明されないのだろう。

そして当時の乗り物としては、BMWの潜水艦に対し戦車と呼ばれた最高の安全性を誇る車両であり、三人死亡には大きな疑問があった。所謂陰謀論が世界中を駆け巡ったのにもそれなりの理由があったのだろう。それにしても事故直後に通りかかった緊急医が見た時は「オーマイゴット」と意識があったが、直ぐに意識を失い、心臓が右側に移動するほどの大きな衝撃だったという。内出血による典型的な交通事故死のようで、車両は完全に操舵性を失なって柱に激突したようだ ― ブレーキを踏み込むチャンスは無い。安全ベルトに関しては、運転手を別にすると、護衛と後部座席などは1990年代はまだ締めていないことは充分にあり得た。流石に最近は後部座席も着用が義務付けされているが、当時はまだ街中では締めていなくても当然だった。全席エアーバックやサイドエアーバックなどもまだまだなかった時代である。



参照:
民主主義の品格の欠乏 2014-11-18 | 歴史・時事
出稼ぎ文化コメディー映画 2008-02-14 | アウトドーア・環境
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