Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ベルリンから見た日本公演

2017-09-28 | マスメディア批評
ベルリンからまた別の視点でミュンヘンの劇場の日本公演をベルリナーモルゲンポストが報じている。最も異なる視点は、キリル・ペトレンコに逸早くベルリンへと来て欲しいという願っている立場からである。一寸嫉妬のようなものさえ感じさせる日本公演のようだ。

ホルン奏者で楽団役員もしているクリスティエン・ロフェラーにインタヴューしている。45歳の音楽監督は初日の打ち上げや飲み会など少しだけ座して本当に直ぐに居なくなるので、次の公演のことに気が付いてしまうというのだ。そして毎朝ピアノに向かって、終わり無き勉強をしているというのだ。これだと思う重要なことは直ぐに手をつけて、改善してしまうという。そのような集中した仕事ぶりから管弦楽団としても市場で高い評価をものにして、「遅くともペトレンコがベルリンの後継者に推挙されたことで、幾らかは注目度が高まったが、コンサートの管弦楽団としての評価は我々はまだまだと思っている」と付け加える。

今回の日本デビュー演奏会のリハーサル風景を伝える。管弦楽団が静まったところに、その体操選手の様な体つきで、首にタオルを掛けペットボトルを携えてニコニコと入って来ると、まるでヨガの先生のようで、「こんにちは」と軽く会釈すると、楽団からくすっと笑いが漏れたとある。

先ず最初のトラムペットの休止からして細心の注意で稽古が始まり、「明確に」と綿密になされたフレージングに対し管楽器に、「ピアニッシモそして歌って」とまるで何も練習していなかったかのように求める。四回も既に本番で演奏しているにも拘わらずにである。それを三回繰り返すと、死にそうな朽ちそうな音が出て、またアダージェットでは何よりもダイナミックを注意深く指示したとある。

また「タンホイザー」のリハーサルでは、ロメオ・カステルッチの演出の一幕二場の舞台への繊細極まりない照明のお陰で、ヴィーナス役のパンクラトヴァが指揮者が見えないといなり、技術屋さんによって解決されなくてはならなかったが、バッハラー支配人は「ペトレンコは、楽譜や彼の頭にあることは最後までやり遂げないと承知しないが、一方で現実的な劇場というものをよく知っている。」とその妥協の出来る人柄を休憩時に語ったという。

その妥協性というのは、ベルリンで指名されてからの2021年までの契約延長への決断に表れており、「彼は、只仕事のモラルだけでなく、エトスというものをもっており、ミュンヘンに関しては私との間でも、またベルリンとの間でも、どちらにも良かれと思って決断しようとする」とバッハラー氏は繋ぐ。

2019年以降の彼の計画の判断が下されたことで、更にペトレンコへの評価が高まったとあり、先のロフェラー氏は言う、「基本的に他の指揮者なら言うよね。ベルリンが呼ぶから、逸早く行くよって。そもそも彼のことは信じられないぐらいみんな評価していたけど、彼が信義を重んじるというのを特別に評価してるよ」。

こうして社交の場でもある「タンホイザー」初日の幕が開き、序曲では美的な構造が、弦楽器の透明な音がその重量感を失うことなく響き、管楽器は精密にそれでも輝いて、ペトレンコの両手は宙に優しく浮かんだという。ヴィーナスの場面では、パントラコヴァのレガートと管弦楽のエレガンスに殆んど夢想するだけしかなかったと、リサイタルで繰り返された最初の男声合唱も同質化してリズム的に揃っていたとある。終演後に歌手や彼に喝采が集まると職人のように、その仕事ぶりで伝統を引き継いだとしている。

それにしても、このようなまるで藤山寛美の芝居の様なウェットな内容の文章がベルリンの立派な有力新聞に、それも最高品質の芸術のなされる最高のキャリアに係るところで綴られる、そのことを殆んど奇跡のように思う。



参照:
Üben, üben, üben - Mit Kirill Petrenko auf Tour, Rebecca Schmid, Berliner Morgenpost vom 27.09.2017
身震いするほどの武者震い 2017-09-27 | 音
「全力を注ぐ所存です。」 2017-09-17 | 文化一般
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