Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

なにかちぐはぐな印象

2017-09-24 | 雑感
車が森にかかると、進行方向に親子らしきバムビがいた。速度を落として近づく。道の真ん中でこちらを見ている。あまりにも動かないのでカメラを取り出した。もたもたして撮り逃がした。人の気配で逃げ回るバムビであるが、車が近づいても警戒しない。先日のバイパスでの事故もそうだったが、やはりどうも奴らの脳が小さそうで、犬が人間の七歳ならば奴らは三歳ぐらいではないかと思う。三歳ぐらいの幼児ならば人間でも車に不用意に近づく、あの感じだ。

二本目の「フリュータウ」を開けた。シェ―ンレーバー醸造所の以前は「フリューリングスプレッツヘン」の下位のものだったが、その名前はグランクリュとしてしか使えないことになったので、名前替えしたものだ。名前が変わると有難みも薄れて、2016年ものもあまり冴えない。香りは枯れた藁で殆んどビオワインのようだが、この醸造所はまだまだそこまでは踏み込めていない珍しいVDP醸造所である。要するに培養酵母を使っている。そしてミネラル味は強く出ていて、林檎やナッツ類の趣が楽しめるが、どうしても藁の趣が出て来て、総合的には春の雪解けの泥道の感じである。正しく名前の通りで、2016年はナーヘ全般に悪かったようだ。2017年はさらに悪い。

バイエルンのシュターツアンツァイガーとインゴルシュタットのドナウクーリエのローカルニ紙に書いているマルコ・フライ記者が、東京の「タンホイザー」初日の反応を全く別の視点から報じている。それによると、三幕では当惑した拍手だったが、一幕、二幕は日本のそれによく合ったと見えてとても好意的に受け入れられたとある。彼の感想は、幾ら日本人が丁寧で演奏会での熱狂ぶりを示す人達であっても、やはり拍手でその評価判断が分かるのだという。それによると、上野の演奏会では終わり無き拍手が続いたというが、「タンホイザー」終演後にキリル・ペトレンコとその管弦楽団に英雄へのように喝采したが、その後にクラウス・フォークト以下の歌手が続いただけで、どこか冷めていたという。

少なくともネットから窺うのは、ピットに押し寄せる平土間の人達とキリル・ペトレンコとクラウス・フォークトへの喝采があるが、どうもこの記者の感じたのは違っている。「演奏時間の長さとヴァークナーのへヴィーさが原因ではないだろうか」と、そしてもう一つ、三幕の恐らく主人公の二人がまだ動いているのに砂になるまでの時間の演劇的な提示の腑に落ちなさだと考えているらしい。この点に関しては、少なくとも私自身も天井桟敷から見ていたのではあまり合点がいかなかった。要するに白服を黒服に替えてとか細かなところをヴィデオで何回か見直さないと時間経過さえ分からなくなるところである。確かにネットでも一人だけこの落ちの不可解さに言及していたが、どうでもよいような気がする。そんなことを言い出すと限が無くて、あの切れた足はなんだとか無駄な時間を費やすことになるだけだろう。

もう一つこの人が書いていることで不明なのは、奥行きが浅くなって幅が広くなって舞台を修正している分、NHKホールではよりコムパクトな舞台になったというのだが、あの演出で浅くなって照明だけで調整したとしてもコムパクトな印象よりも、薄っぺらくなるのが当然だろう ― 3400人の巨大空間では対象物はコムパクトになるかもしれない。どうしてこうも頓珍漢な印象になるのかは不思議なのだが、もう一人の報じる南ドイツ新聞は有料なので比較のしようが無い。やはりこうしたものも通常の音楽評とすべきだろう。なぜならば我々はどのような演奏が繰り広げたかでその聴衆の反応も大体分かるからなのだ。その意味からも日曜日のコンサートは上出来だったことは証言されていることになる。

南ドイツ新聞は演奏会表以外の報告は無料公開しているが、練習風景ならば興味深く嬉しいが舞台裏の話しとなると態々紹介するほどでもない。ネットでその当事者からの情報が沢山上がっているからだ。それでも興味深かったのは、ゲネラルプローベが予定通り厳格に22時に終わったことで ― 流石キリル・ペトレンコということらしい ―、そのあと朝の4時まで舞台裏の撤収搬出の仕事が続いたということだ ― 各々の出し物に対してコンテナ11個分。そもそも週末に公演が出来なかったのはNHKホールの使用環境からで、舞台道具を片づけておくところも無い巨大なTVスタディオだという表現がとても分かり易かった。そしてそのために席が埋まっていないこともそろそろ話題になっている。ミュンヘンでは絶対あり得ないことで、もはや再演も含めてキリル・ペトレンコ指揮の上演は立ち見どころか楽譜席まで売り切れてしまうような状況になっているからだ。



参照:
Der Blick aus der Ferne, Marco Frei, 22.9.2017 (Bayerische Staatszeitung)
ロメオ演出への文化的反照 2017-09-23 | 文化一般
上野での本番などの様子 2017-09-20 | 文化一般
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