山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

デロリアンDMC-12(CAR検にも)

2010-10-25 22:21:04 | 運転・車・道路の事
 車に関しては、本当に無知なので、クルマに関して書くことについても、知らない道路を初めて運転するようなもんです。試運転同様、試運筆といったところでしょうか。
しかし、そのようなことにも挑戦しなければ進歩はないぞ、ということで、あえて、書いてみたいと思います。

「デロリアン」
 これは、クルマや洋画が好きな人ならよく知っているものでしょうね。「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のタイムマシーンになっている車です。このネタ、実は、ブックマークの女王様のブログでみつけてきたんですけど、NAさんのコメントに「デロリアン」のことが書いてあったので、さらに感化されました。
 私は、この映画は見たことあります。おもしろかったですが、タイムマシーンになっている車が何という車かなんてことは知りませんでした。

 でも、この問題が「CAR検」(自動車文化検定)の公式問題集をやっていたときに出てきたのは覚えていたんですよ。カー検の問題では、その他にディカプリオがどこそこで乗っていたクルマはどれ?なんてのもあったかな。だから、映画や俳優のことなんかも知らないとダメですね。(ちなみに、カー検は今年はないそうです。さらに今後の予定も未定だそうです。残念。ぜひぜひ、再開してください。)
 そこで、CAR検の例の問題ですが、
バック・トゥ・ザ・フューチャーでタイムマシンとして登場したクルマは?
というもので、4択となっています。
(ア) ロータス・エスプリ
(イ) いすゞ・ピアッツァ
(ウ) デロリアンDMC-12
(エ) ランボルギーニ・カウンタック
 答えは(ウ)ってことですね。映画の中の車の形はまるで覚えていないんですが、写真を見ると、確かにドアの開き方など、タイムスリップして飛んでいきそうな車ですね。

 バック・トゥ・ザ・フューチャーは1985年に公開された映画ですね。
 デロリアンDMC-12は、1975年にゼネラルモーターズの副社長だったジョン・ザッカリー・デロリアンが理想の車をつくるために辞職して、デロリアン・モーター・カンパニー=DMCという会社を作り、長い開発期間を経て1981年にやっとできた車だそうです。販売当初は売れたものの、価格が高かったため翌年にはあまり売れず、1982年にデロリアンがコカイン所持容疑で逮捕されるという出来事もあり、その後資金繰りができず、DMCは1983年に解散してしまったそうです。この会社が販売したのは、唯一このデロリアンDMC-12だけだったそうです。
 ですから、バック・トゥ・ザ・フューチャーが公開された時には、すでにこの会社は倒産していたということになります。映画で使われたことがきっかけで注目されたものの、新車はもう販売されていないので、中古車の価格が上がったとも言われているそうです。以上、カー検の解説とWikiから得た「にわか知識」です。

 あれから25年。主演のマイケル・J・フォックスは49歳、(私50歳。同じくらいの年だな~。ちなみに、25年前は長女が生まれた年でもあります。長女も年とったな~)
まだまだ若そうですけどね。パーキンソン病になってしまったんですね。でも、最近は病気の原因がわかり、効く薬があるということですから、治ってもらいたいものです。

 マイケル・J・フォックスさん、病気はお持ちですが健在ということで、じゃあ、デロリアンは???
 デロリアンは日本で電気自動車に生まれ変ったりしているらしいですよ。
タイムマシーンはプルトニウムで動いていたんでしたっけ、雷のエネルギーで動いたこともあったかな。電気ですから、ガソリン車よりももっとタイムマシーンに近いかも。

このようなものを発見しました。

デロリアンEV化計画
http://delorean.tumblr.com/
http://www.youtube.com/watch?v=YdcqKxO67V4&feature=player_embedded




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「ハナレイ・ベイ」に出てくる車

2010-10-25 18:48:32 | 運転・車・道路の事
村上春樹の小説に出てくる車の話の続きです。

東京奇譚集の2作目は「ハナレイ・ベイ」という題名の話です。ハワイ、カウアイ島のハナレイ・ベイでサーフィンをしていた19歳の息子が、足をサメに食われて溺死してしまい、主人公である母親(サチ)がハワイに駆けつけ、息子を弔い、それからその後も毎年ハワイを訪れるという話です。そこで2人の日本人の若者のサーファーと知り合いますが、彼らは片足の日本人サーファーが海岸に立っていたのを見つけたと言いました。それは、亡くなった息子の霊だったようですが、母親には見えませんでした。その後、東京でその若者の一人に偶然再会したというのが、だいたいのあらすじです。おもに、ハワイでの出来事が、書かれていますが、この人の住まいは東京で、ピアノバーを経営しています。

それで、筋とクルマのことは、ほとんど関係ありませんが、クルマについての記述を見てみます。

「彼女は、空港のエイヴィスでレンタカーを借りて、まず近くの警察署に行った。」

「エイヴィス」とは、レンタカーの会社の名前のようですね。これは息子の死の知らせに、初めて現地に行く時のことです。

そして、毎年行くようになったある年のこと。
「その日、具合のよくないレンタカーを取り替えてもらいにルフエ空港まで行った帰り、途中にあるカバアという町で、ヒッチハイクをしている日本人の若者二人を見かけた。」

これが、二人の若者とサチの出会いであり、一旦は通り過ぎたものの引き返して二人を乗せてあげるのでした。レンタカーの具合が悪くなければ、通りかかることもなかったわけで、まあ、物語の進行として、クルマがけっこう重要なきっかけを作っているとは言えますが、物語としては、別にレンタカーの調子が悪くなくとも、何かべつの用事のために空港に行ったのでもかまわなかったと言えるでしょう。いちいちなんのために走っていたかなんて省いたところでどうでもよさそうですけど、
ハワイって、エイヴィスっていうレンタカー屋があって、そこで貸しているクルマ(暗に日本車じゃない車)は調子が悪いなんてこともあるのか~
というような現地事情のようなものを感じ取れますね。
ちなみに、サチはアメリカで暮らしたこともある人なので、英語もべらべらで外国暮らしは慣れている人間です。

それで、最初に乗っていたクルマが何だったかはわかりませんが、取り替えた後に乗っていたクルマは「ネオン」。彼らは荷物をトランクにいれ、ネオンの後部座席に座ろうとするが、タクシーじゃないんだからとサチに言われて、背の高いほうが助手席に座ることになります。

「これ、なんていう車ですか?」と長身が長い脚を苦労して折りたたみながら尋ねた。
「ダッジ・ネオン。クライスラーが作ってる」とサチは言った。
「へえ、アメリカにもこんな狭苦しい車があるんだ。うちの姉貴がカローラに乗ってますけど、あっちの方がむしろ広いですね」
「アメリカ人がみんな、でかいキャデラックに乗ってるわけじゃないからね」
「でも小せえなあ」
「気にいらなきゃここで降りてもいいよ」
「いや、そんなつもりで言ったんじゃないっすよ。参ったな。ただ狭いんで、ちょっと驚いただけ。アメリカの車ってみんなうすらでかいもんだと思ってたもんで」

この記述から、アメリカにも小さい車があるということが分かりますが、ダッジ・ネオン(クライスラー・ネオン)についてWikiで調べてみると、クライスラーが1990年代から2000年代前半にかけて日本車や韓国車に対抗して発売したコンパクトセダン・クーペということがわかりました。
日本車といえばトヨタやホンダ等の車、韓国車といえば現代(ヒュンダイ)の車に対抗して造られたということでしょう。
北米ではダッジもしくはプリムラブランドで販売され、ヨーロッパやアジアではクライスラーブランドで販売されたとのことであり、ハワイでは「ダッジ」ということになるようです。Wikiの初代についての記述によると、価格が安く、日本車キラーとも言われたが、コストダウンに徹しているだけに、見えない部分の塗装コーティングを省くなどされ、ホンダのシビックやトヨタ・カローラと比べると見劣りするものだったようです。日本にも輸出されましたが、このような状況ゆえ、普及するには至らなかったようです。

「ハナレイ・ベイ」の若者の感想でも、「小型」であり「カローラの方がマシ」というところが、歴史的事実や評価と一致していて面白いですね。
アメリカにも小型車があり、キャデラックばかりではないとのことで、では「キャデラック」とはどのような車なのでしょうか?

キャデラックは、アメリカのゼネラルモーターズが展開している高級車ブランド。イギリスのロールスロイス、ドイツのメルセデス・ベンツ、アメリカのリンカーンなどと並び、アメリカのみならず世界の高級ブランド車として知られている。とのことです。
名前はきいたことがありますが、あんまり気にとめたこともありませんでした。なるほどね。

日本車と外国車との比較。物語の中の車に関するちょっとしたやり取りですが、村上春樹氏、さすがにウィットに富んでいるなあと思いました。




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