TVドラマの売れっ子脚本家である大森美香監督の第2作。TVの深夜ドラマである『ネコナデ』の劇場版。どんなドラマなのか、全く知らなかったから、白紙で見れた。映画を見てから調べたが、これは大森さんのオリジナルではなく、TVシリーズの台本は別の方(永森裕二)が書いている。しかも、劇場版の脚本にも彼女はタッチしていない。純粋に監督として招かれたようだ。
脚本家としては一家言あろうが、監督としてはまだまだ素人に毛が生えたくらいの新人である彼女が、今回挑戦したのは、説明的な描写を一切しない映画作りだ。かなり挑発的な作風になっている。それは続けて見たTV版の第1話(映像特典としてDVDに付いていた)を見たなら明白になる。
小茂茂光が演じる主人公の独白で綴るTV版は作品の狙いが明白になっているが、大森美香による映画版は、説明が一切ないから、主人公の人事部長である大杉漣がなぜこんな行動をするのか、わからないまま話が進むことになる。捨て猫を会社の借りているウィークリー・マンションで秘密に飼うという行為にリアリティーがない。だが、それでも気にせずそのまま映画は進んでいく。
5年間リストラを続け、会社の機構改革推進の先鋭を担う彼は、信念の元に行動していると信じなくては生きていけない。みんなから恨まれ、極度のストレスを抱え込む。そんな彼が捨てられていた猫を助け、猫に癒されていく。
話は単純だが、敢えてその単純さを主人公に感情移入させないような見せ方で描いていく。居心地の悪さを狙うのだ。それは、この話をただのいい話にはしないという作者である大森監督の覚悟ゆえであろう。気持ちのいい映画ではなく、わざと居心地の悪い映画を目指すのだ。
甘いハート・ウォーミングではなく、これをひとつの戦いとして位置付ける。そうすることで、猫と中年男の間に生まれた感情が、ただの癒しではなく、生き方の問題となる。そんなぎりぎりの中から、彼と猫との物語は生まれる。これは彼が猫を通して本当の自分を取り戻す物語だ。
大森監督は抑制の効いた描写で全編を切り抜けていく。だが、作品は彼女の意図したほどにはハード・ボイルドにはならなかった。台本の弱さと、見せ方の力なさが原因だ。まだまだ映画監督としては未熟だ。だが、彼女の果敢な挑戦には拍手を送りたい。
余談だがTVシリーズのほうも、なかなかよく出来ていて、これなら最後まで見てもいいな、と思った。こちらの監督は亀井亨。
脚本家としては一家言あろうが、監督としてはまだまだ素人に毛が生えたくらいの新人である彼女が、今回挑戦したのは、説明的な描写を一切しない映画作りだ。かなり挑発的な作風になっている。それは続けて見たTV版の第1話(映像特典としてDVDに付いていた)を見たなら明白になる。
小茂茂光が演じる主人公の独白で綴るTV版は作品の狙いが明白になっているが、大森美香による映画版は、説明が一切ないから、主人公の人事部長である大杉漣がなぜこんな行動をするのか、わからないまま話が進むことになる。捨て猫を会社の借りているウィークリー・マンションで秘密に飼うという行為にリアリティーがない。だが、それでも気にせずそのまま映画は進んでいく。
5年間リストラを続け、会社の機構改革推進の先鋭を担う彼は、信念の元に行動していると信じなくては生きていけない。みんなから恨まれ、極度のストレスを抱え込む。そんな彼が捨てられていた猫を助け、猫に癒されていく。
話は単純だが、敢えてその単純さを主人公に感情移入させないような見せ方で描いていく。居心地の悪さを狙うのだ。それは、この話をただのいい話にはしないという作者である大森監督の覚悟ゆえであろう。気持ちのいい映画ではなく、わざと居心地の悪い映画を目指すのだ。
甘いハート・ウォーミングではなく、これをひとつの戦いとして位置付ける。そうすることで、猫と中年男の間に生まれた感情が、ただの癒しではなく、生き方の問題となる。そんなぎりぎりの中から、彼と猫との物語は生まれる。これは彼が猫を通して本当の自分を取り戻す物語だ。
大森監督は抑制の効いた描写で全編を切り抜けていく。だが、作品は彼女の意図したほどにはハード・ボイルドにはならなかった。台本の弱さと、見せ方の力なさが原因だ。まだまだ映画監督としては未熟だ。だが、彼女の果敢な挑戦には拍手を送りたい。
余談だがTVシリーズのほうも、なかなかよく出来ていて、これなら最後まで見てもいいな、と思った。こちらの監督は亀井亨。