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映画・演劇のレビュー

『バック・トゥー・ザ・フューチャー 1・2』

2014-01-12 19:19:14 | 映画
大晦日の夜、BSプレミアムで『バック・トゥー・ザ・フューチャー』3部作の一挙放送をしていた。年越し蕎麦を早々に食べて、TVの前でくつろぎながら、この映画を見る。別にわざわざこんな古い映画を、こんな時に見なくてもよかったのだが、なんとなく久しぶりに『バック・トゥー・ザ・フューチャー』を見たい気分になったので見てしまった。まぁ、朝、新聞を見たときから楽しみにしていたのだ。

初公開のとき、ロードショーで観て興奮した記憶がある。こんなにも面白い映画はない、と思った。さすがスピルバーグだ、と思った。もちろん監督はゼメギスなのだが、これこそスピルバーグの理想とする世界だ、と思った。自分には作れないけど、こういう映画が見たかったのだ、とスピルバーグが興奮したように、僕もまた興奮した。

映画を見ながら、細部まで鮮明に覚えていた。でも、とても楽しかった。あの世界にまた、行けたことがうれしい。1955年のアメリカへ! 

だが、今回、実はもっと凄いことがあったのだ。約30年振りにこの映画と再会して驚いたのは、冒頭の現代のシーンのほうが過去のシーンよりも懐かしいということだ。映画が作られたのが1985年で、当時の「今」が、今の僕にとっては約30年前の過去になっているのだ。そんな当たり前のことに驚く。これは衝撃だ。マーティ(マイケル・J・フォックス)がデロリアンに乗って30年前の時代に行ったように、僕たちもまたこの映画を再見することで30年前にタイムスリップする。

ここには映画については何も書かない。書く必要がない。これは娯楽映画の金字塔だ。すべてが完璧。言うことはない。今見てもまるで最新の大作映画と較べても遜色はない。

見終えてとても満足した。だが、お話はそこでは終わらない。実は驚きはその先にある。放送終了後、もう始まっている紅白歌合戦にチャンネルを切り替えるはずだったのだが、あまりに映画が面白すぎて、ついつい引き続きPART2も見てしまったのだ。数年後に作られた続編ももちろんちゃんと見ているのだが、まるでこの映画の記憶がなかった。PART3のほうは、よく覚えている。西部劇で、楽しかった。だが、『2』の方は、どんな話だったのか、それすら、記憶の片隅にも残ってはいない。もちろん、未来に行く話だ、ということは、覚えているけど、そんなのは映画を見ていない人にでも想像がつく範囲だ。

だからとても新鮮な気分でこの映画を見始めた。そして、またもや、驚く。なんと、マーティたちは2015年にタイムスリップするのだ。ちょっと考えればすぐに想像がつく話だが、でも、そのあまりのタイムリーさに衝撃を受けた。2015年って、ほぼ今現在だし。そしてそこに描かれる未来の生活は、今の僕たちの日常生活、のはずだ。だが、当然、その想像の2015年は今とは似ても似つかない。ゼメギスたちが想像した30年後は、現実の30年後とは微妙に、というか、かなり、違う。

この映画のつまらなさは、そこに尽きる。そことは、ここに描かれる陳腐な未来の姿ではなく、未来を描いたこと自体、だ。それで、この映画が記憶に残らなかった理由が判明した。もちろん、今回もちゃんと最後まで見たけど、話が複雑すぎて、そのこともつまらないし、いろんな意味で迷走した映画だ。ゼメギス自身もこんな映画作りたくはなかったのだろう。だから、再び過去の世界に戻る『3』ではあんなにも生き生きした。

さぁ、2015年ではなく、2014年が始まった。今年、どんな映画や芝居と出会うのか、とても楽しみだ。(もちろん、この日、この後は、いくらなんでもPART3は見なかった。ちゃんと紅白歌合戦を見ました!)


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