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映画・演劇のレビュー

『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』

2014-01-11 20:58:37 | 映画
 土曜日の夜、たまたま早く家に帰ると、この映画が偶然にもやっていた。風呂を出て、TVをつけると、すぐに始まったのだ。『男はつらいよ』はもちろん全作品見ている。14作の『寅次郎子守唄』以降はすべてリアルタイムで見たから、この第13作がリアルタイムで見ていない直前の作品ということになる。74年の夏公開のこの映画は、僕がまだ15歳くらいで、映画狂いになり初めた頃の作品だ。でも、まだまだ子供で、寅さんの魅力を理解できてなかった頃ということになる。映画を習慣的に見るようになり始めた頃で、日本映画よりも外国映画の方が、魅力的だった。だが、75年の正月、初めて劇場で寅さんを見て、それからは欠かさず冬と夏の2本(やがて、正月だけになるのだが)を楽しみにするようになる。見始めてすぐにシリーズ最高傑作である『寅次郎相合い傘』に出逢えたのもよかった。あの映画の素晴らしさは今でも忘れない。鮮明に記憶に残っている。

 あの75年の夏から、何があろうとも欠かさず見たし、それ以前の作品もなんとかして見ようとした。あの頃、松竹映画は客が入らないとすぐに「寅さんまつり」と称して、3本立で旧作を上映してくれたから、それでバックナンバーを簡単にフォロー出来た。

 あの頃大好きだった吉永小百合が出たこの作品は、シリーズの中でもとても大好きな映画だ。(でも、ベスト作品というわけではない。もし寅さん映画ベストテンを作るなら、これは7位くらいか?)今日見たのは30年振りくらいになる。きっと見るのはこれで3回目のはずだ。もちろん2回とも「寅さんまつり」でちゃんと劇場で見た。寅さんは満員の映画館で見るに限る。

 なつかしい。ここに描かれる74年の風景はもう想い出に中にしかない。そして「とらや」の人情も、もう今の日本にはない。今の眼で見ると、不思議なことばかりが映画の中では描かれる。人と人とがこんなにも近い。あの頃ですら懐かしかったここに描かれる風景やドラマが、今では冗談のようなものになる。もし、渥美清が生きていたなら、いつまで寅さんは作られていたのだろうか。きっと50作位を節目にして、惜しまれながら、終了していたはずだ。48作という現実は、ある意味で限界だったのかもしてない。

 シリーズ13作のこの映画の寅さんたちはまだまだ若い。おいちゃんなんか、まだ下條正巳になってないほどだ。(松村達雄が演じている)前半は津和野が舞台になる。寅さんと吉永小百合演じる歌子が再会するシーンだ。だが、今作の中心は東京である。柴又のシーンがこんなにも長い作品はめずらしい。歌子がとらやでしばらく厄介になる話だからか。彼女の父親役の宮口精二もいい。

 寅さんを見ること自体が本当に久しぶりのことだ。渥美清が死んでから『ハイビスカスの花』の特別版が再上映された時以来か。DVDとか、TVとかでは見ていない。今回初めてTVで寅さん映画を見た。もちろん今見てもとてもいい映画だが、これを独立した映画として評価することは出来ないな、と思った。もうこれは思い出でしかない。なんだか切なくて、悲しくて、少し泣いてしまった。

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