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映画・演劇のレビュー

平田オリザ『幕が上がる』

2013-03-05 22:56:00 | 映画
 こんな風に本格的に文化部を取り上げた青春小説はきっと少ない。これまで小説で取り上げられる高校生のクラブ活動といえば、運動部ばかりだった。たまに、吹奏楽部や合唱部はあったけど、演劇部は初めてではないか。

 さすが平田オリザだ。中途半端に取り上げることなく、高校の演劇部をとてもリアルに描いている。特に細部の描写がちゃんとしている。まぁ、そんなのは当たり前の話だ。小説家が取材して書くのとは違う。小説家である前に、劇作家、演出家として、そして高校演劇にも造詣が深い彼が、初めて取り組む小説なのだから、このくらい当然の話だろう。内容よりも、まずお話の背景の方が、前面に出てしまうほどだ。これを読むと今の高校演劇部の現状がよくわかる。(まぁ、それが目的ではないけど。)

 だから、小説としてはどうか、と言われると、ちょっと物足りない。これでは「演劇部小説」にとどまる。当然の話だろうが、とても上手いし感動的なドラマだ。きっと読者の満足度も高い。最後は泣ける。演劇部の仲間たちの戦いが、リアルに描かれてあるし、ひとりひとりの造形も見事だ。主人公の高橋部長と転校生の中西さんのドラマを軸にして、新任の顧問の先生との話をもうひとつの核にし、弱小演劇部が県大会、全国大会を目指す1年間という定番のお話をはみ出すものはない。だが、それがあまりにきちんと枠に嵌りすぎていて、なんだか物足りないのだ。これは「何か」を描くための小説ではなく、「高校演劇部」を描くための小説になっている。それがオリザさんの意図なのだろうが、小説ってそんなものではない。

 もっと囚われない想いが溢れてくるものでなくては、満足しない。高橋の想いと、いきなり辞めてしまう顧問の先生の想いがぶつかる部分があってもいいのではないか。いろんな要素がとてもバランスよく描かれていき、作られたお話の中に、行儀よく収まる。これでは、あの感動も、なんだか作られたものに見えるのだ。そう思い始めると、冷めてしまう。とてもいい小説であることは認めるし、ちゃんと感動して少し泣いてしまったくせに、なんか今は少し醒めている。ウェルメイドすぎて物足りないってわがまま過ぎるか?

 たとえば矢口史靖監督の『スィングガール』にあって、これにはないものって、なんだ? それは演劇以外の部分のディテールである。この小説の中からは、彼女たちの生活感が見えてこない。彼女たちを囲む家族や、町の風景。学校の様子、そんなものがなんだかとてもステレオタイプなのだ。拘りがない。だから、印象に残らない。リアルなくせにリアルじゃない。なんかもったいない。



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