
衝撃的な映画だった。ただひたすらスクリーンを(DVDで見たからTVのブラウン管なのだが)見続けているだけ。たった90分間。ただひたすら車から見える風景を見ている。イスラエルからヨルダンへ。そして中東各国の境界線上にあるフリーゾーンへ。自由交易地帯であるその荒涼とした景色をただ眺めるだけ。そこにはただ車が延々と並んである。それだけ。
何が起きたのか。ここで彼女たちが見た現実をただ傍観することすらできない。その断片を目撃するだけだ。後はただ自分で想像するしかない。ここまで不親切な映画もあるまい。だが、現実の何を知ることができると言うのか。あんたは傍観者ですらない。かってここを見たアモス・ギダイ監督が、その見た風景を今度はナタリー・ポートマンの目で見たものとして構成しただけ。それを映画として提示する。ギダイ監督はこれを確かに見てきた。そしてその姿を観客にも知らせるためにそれを映画にした。
僕たちは安全な場所で、これをただお勉強として眺める。はたしてそんな傲慢が許されるのか。「知らない」ということはそれだけで罪だ。この映画を見たからと言って中東の何がわかるというわけでもないだろう。なんとなく見ているだけでは何ひとつ見えてこない。齧りつくように見たくせにそれでも何もわからない。ただ、その衝撃だけは確かに伝わる。ギダイ監督はそれだけでも今は十分だ、と言ってくれている。(ように見える)
ここを入り口にして考えろ、と言っている。世界はこんなにも不条理に満ちている。ただ戦争はいけない、なんていうお題目は意味をなさない。悲惨な風景を見せる映画はこれまでも多々あった。だが、今ある日常(それは、今そこにある危機でもある)として、映画がここまで突き放して描くなんてことはなかったことだろう。
ふつう≪映画≫は僕たちにさまざまな問題を提起する。その時、バカな観客にもわかるように噛み砕いて説明してくれる。それが常だ。
だが、説明してお勉強して、わかったと納得して、それで終わりか?ありえない。もちろん自分にできることをしろ、だなんて言うのではない。今、この平和な日本で生きていて、何の不自由もなく平々凡々と暮らす。それは罪ではない。
だからこそ、ナタリー・ポートマン演じるニューヨーカーがここに来てしまって(なぜ、彼女がここに来たのかなんて描く必要はないから一切説明しない。だいたい冒頭の5分以上彼女が泣いている姿をただ捉えただけのシーンだけで充分なのだ)のか、なんて何も言わない。彼女がなぜフリーゾーンの行くのか、ハンナ・ラズロ(この映画でカンヌの助演女優賞を受賞したらしい)が彼女を連れて行くのはなぜか、も言わない。唐突なラストの先に何があるのか、それも分からない。だが、延々と国境で口論を続けるハンナとヒアム・アッバスの2人の姿は現実の国家間のいさかいと同音異句であろう。国家間の紛争に簡単な解決なんてない。それぞれの事情があり妥協点なんかない。それにアメリカが自国の利益だけを考えて介入してくる。それが現実だ。アラブの問題を彼らだけの事として放っておけない、なんていうのは口実でしかない。そんなことは子供でもわかる。だが、単純な解決はない。
何ひとつわからない。でも、この映画を見たことの衝撃だけはわかる。すばらしい映画を見た。それだけが今は言いたい。問題はこれからだ。
何が起きたのか。ここで彼女たちが見た現実をただ傍観することすらできない。その断片を目撃するだけだ。後はただ自分で想像するしかない。ここまで不親切な映画もあるまい。だが、現実の何を知ることができると言うのか。あんたは傍観者ですらない。かってここを見たアモス・ギダイ監督が、その見た風景を今度はナタリー・ポートマンの目で見たものとして構成しただけ。それを映画として提示する。ギダイ監督はこれを確かに見てきた。そしてその姿を観客にも知らせるためにそれを映画にした。
僕たちは安全な場所で、これをただお勉強として眺める。はたしてそんな傲慢が許されるのか。「知らない」ということはそれだけで罪だ。この映画を見たからと言って中東の何がわかるというわけでもないだろう。なんとなく見ているだけでは何ひとつ見えてこない。齧りつくように見たくせにそれでも何もわからない。ただ、その衝撃だけは確かに伝わる。ギダイ監督はそれだけでも今は十分だ、と言ってくれている。(ように見える)
ここを入り口にして考えろ、と言っている。世界はこんなにも不条理に満ちている。ただ戦争はいけない、なんていうお題目は意味をなさない。悲惨な風景を見せる映画はこれまでも多々あった。だが、今ある日常(それは、今そこにある危機でもある)として、映画がここまで突き放して描くなんてことはなかったことだろう。
ふつう≪映画≫は僕たちにさまざまな問題を提起する。その時、バカな観客にもわかるように噛み砕いて説明してくれる。それが常だ。
だが、説明してお勉強して、わかったと納得して、それで終わりか?ありえない。もちろん自分にできることをしろ、だなんて言うのではない。今、この平和な日本で生きていて、何の不自由もなく平々凡々と暮らす。それは罪ではない。
だからこそ、ナタリー・ポートマン演じるニューヨーカーがここに来てしまって(なぜ、彼女がここに来たのかなんて描く必要はないから一切説明しない。だいたい冒頭の5分以上彼女が泣いている姿をただ捉えただけのシーンだけで充分なのだ)のか、なんて何も言わない。彼女がなぜフリーゾーンの行くのか、ハンナ・ラズロ(この映画でカンヌの助演女優賞を受賞したらしい)が彼女を連れて行くのはなぜか、も言わない。唐突なラストの先に何があるのか、それも分からない。だが、延々と国境で口論を続けるハンナとヒアム・アッバスの2人の姿は現実の国家間のいさかいと同音異句であろう。国家間の紛争に簡単な解決なんてない。それぞれの事情があり妥協点なんかない。それにアメリカが自国の利益だけを考えて介入してくる。それが現実だ。アラブの問題を彼らだけの事として放っておけない、なんていうのは口実でしかない。そんなことは子供でもわかる。だが、単純な解決はない。
何ひとつわからない。でも、この映画を見たことの衝撃だけはわかる。すばらしい映画を見た。それだけが今は言いたい。問題はこれからだ。