まず、結論から言おう。事前の予想通り、ニュートラルの大沢秋生さんの演出した第一夜が素晴らしい出来だった。全体のラストにこれを持ってきたのも正解だ。そのことを書いた上で以下、詳細を述べていく。
それにしてもとんでもない作品だった。全11話からなる短編連作。(第1話のみ演劇バージョンと映像バージョンがあるのだ)言わずと知れた夏目漱石の作品を関西の若手演劇人が分担して作り上げた。全体の構成、演出はコレクト・エリットの松本絵理さん。漱石へのオマージュでもあるが、なんだかバカにしてるようにも見える。サブタイトルの「あら、あら先生、おやすみですか?」なんていうのはどうしたものか。だが、そんなことも含めていろんな意味でこんなにも興味深い企画はない。仕上がった作品を見て改めて面白いものを見れた、と満足している。完成度が高い傑作だ、なんていうつもりはない。それはありえない。見終えた瞬間は、これをどうしたものか、と困ったくらいだ。
だいたい終演後には、いつものようにIST零番館恒例のアフター・トークがあり、なんと12人もの演出家集団を前にして話をするんだから、その迫力にちょっと腰が引けた。全体について、個々の作品にも触れながら話をするというのが使命なのだが、なんかいつも以上にドキドキした。だいたいこんなにもたくさんの人たちを相手にして何を話したらいいのか、それに、もちろん客席には、今この芝居を見たところのお客さんもたくさんいるしね。ほんと困った。なんとか30分ほどいろんな話も聞けながら終われてほっとした。
さて、作品について、である。
作品の順番をばらばらにしてあるのに、まず驚いた。まぁ、本当は驚く必要なんかない。漱石はこの順番でなくてはならない、なんて言っていないのだし、だいたい彼自身もあまり順番には意味を持たせていない。偶然にすぎないのだ。
第十夜が冒頭に来る。しかも、これをかのうとおっさんが作、演出している。呆れてしまうくらいにあの傑作を壊滅的に破壊した。原型を留めない。あれってセックス好きの庄太郎の話だったのか?ここまでイメージと離れられたらそれはそれで笑える。しかも、これが悪くない。このエピソードを皮切りにして阿鼻叫喚の夢十夜が始まる。
前半の6本は実験的なものが並ぶ。原作のイメージとかなりかけ離れたものや、そういう演出ってどうだか、なんて思う作品が多く、戸惑った。だが、後半5本を見てほっとする。オリジナルを上手く再構成した第二夜(松本絵理演出) 反対に原作からかけ離れたものなのに漱石の描こうとした不安と恐怖をしっかり掴み取った第三夜(ピンク地底人) そして、正攻法での原作の舞台化作品となった第7夜。こういう作品があるとほっとする。奇を衒った演ばかりなので、きちんとした芝居を見せられると安心する。リリーエアラインの遠坂百合子さんがここに入ったことでこの芝居全体が引き締まった。
そして、ラストは大沢さんが原作を1字1句変えることなく、作った第一夜である。セリフは一切ない。無言劇だ。小説がそのまま大沢さんの朗読で背景に流れていく。登場人物は当然2人。女(一瀬尚代)と男(大沢秋生)。百年の恋を大沢さんは淡々と描く。この距離感がいい。椅子に坐る女とその横で立つ男。2人は会話を交わさないだけでなく目も合わさない。正面を向いたままだ。表情はない。パントマイムを通してこの物語が描かれていく。そんな中で不安、孤独、怖れという感情が捉えられていく。百年待つという行為を自然に受け入れる。その事実を見事な説得力で見せた。
前半は冒険的な(観客参加型まである)ものを中心にし、後半はしっかりしたオーソドックスで固めるという構成はうまい。そして、バラエティに富んだ表現スタイルを持つラインナップは、オムニバスの常である単調さから作品を救った。2時間15分に及ぶ大作だが退屈させないでラストまで見せ切ったのは凄いことなのだ。
それにしてもとんでもない作品だった。全11話からなる短編連作。(第1話のみ演劇バージョンと映像バージョンがあるのだ)言わずと知れた夏目漱石の作品を関西の若手演劇人が分担して作り上げた。全体の構成、演出はコレクト・エリットの松本絵理さん。漱石へのオマージュでもあるが、なんだかバカにしてるようにも見える。サブタイトルの「あら、あら先生、おやすみですか?」なんていうのはどうしたものか。だが、そんなことも含めていろんな意味でこんなにも興味深い企画はない。仕上がった作品を見て改めて面白いものを見れた、と満足している。完成度が高い傑作だ、なんていうつもりはない。それはありえない。見終えた瞬間は、これをどうしたものか、と困ったくらいだ。
だいたい終演後には、いつものようにIST零番館恒例のアフター・トークがあり、なんと12人もの演出家集団を前にして話をするんだから、その迫力にちょっと腰が引けた。全体について、個々の作品にも触れながら話をするというのが使命なのだが、なんかいつも以上にドキドキした。だいたいこんなにもたくさんの人たちを相手にして何を話したらいいのか、それに、もちろん客席には、今この芝居を見たところのお客さんもたくさんいるしね。ほんと困った。なんとか30分ほどいろんな話も聞けながら終われてほっとした。
さて、作品について、である。
作品の順番をばらばらにしてあるのに、まず驚いた。まぁ、本当は驚く必要なんかない。漱石はこの順番でなくてはならない、なんて言っていないのだし、だいたい彼自身もあまり順番には意味を持たせていない。偶然にすぎないのだ。
第十夜が冒頭に来る。しかも、これをかのうとおっさんが作、演出している。呆れてしまうくらいにあの傑作を壊滅的に破壊した。原型を留めない。あれってセックス好きの庄太郎の話だったのか?ここまでイメージと離れられたらそれはそれで笑える。しかも、これが悪くない。このエピソードを皮切りにして阿鼻叫喚の夢十夜が始まる。
前半の6本は実験的なものが並ぶ。原作のイメージとかなりかけ離れたものや、そういう演出ってどうだか、なんて思う作品が多く、戸惑った。だが、後半5本を見てほっとする。オリジナルを上手く再構成した第二夜(松本絵理演出) 反対に原作からかけ離れたものなのに漱石の描こうとした不安と恐怖をしっかり掴み取った第三夜(ピンク地底人) そして、正攻法での原作の舞台化作品となった第7夜。こういう作品があるとほっとする。奇を衒った演ばかりなので、きちんとした芝居を見せられると安心する。リリーエアラインの遠坂百合子さんがここに入ったことでこの芝居全体が引き締まった。
そして、ラストは大沢さんが原作を1字1句変えることなく、作った第一夜である。セリフは一切ない。無言劇だ。小説がそのまま大沢さんの朗読で背景に流れていく。登場人物は当然2人。女(一瀬尚代)と男(大沢秋生)。百年の恋を大沢さんは淡々と描く。この距離感がいい。椅子に坐る女とその横で立つ男。2人は会話を交わさないだけでなく目も合わさない。正面を向いたままだ。表情はない。パントマイムを通してこの物語が描かれていく。そんな中で不安、孤独、怖れという感情が捉えられていく。百年待つという行為を自然に受け入れる。その事実を見事な説得力で見せた。
前半は冒険的な(観客参加型まである)ものを中心にし、後半はしっかりしたオーソドックスで固めるという構成はうまい。そして、バラエティに富んだ表現スタイルを持つラインナップは、オムニバスの常である単調さから作品を救った。2時間15分に及ぶ大作だが退屈させないでラストまで見せ切ったのは凄いことなのだ。