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映画・演劇のレビュー

『石内尋常高等小学校 花は散れども』

2008-10-18 13:43:56 | 映画
 前半の子供時代のエピソードがすばらしい。オープニングの教室のシーンでの、柄本明の先生と子供たちのやり取りなんか、見ていてドキドキする。昔々には、こういう先生がいたんだ、と思うとそれだけでなんんだか胸が一杯になる。居眠りする生徒にバケツを持たせて教室の後ろに立たせる。子供は自分の非を認めて立つ。先生の行為を正しいと認める生徒たち。そして、先生はなぜ居眠りをしたのかを聞く。すると、少年は昨夜から朝まで稲刈りをしていた旨を答える。それを聞いて涙する先生。生徒に自分の非をわびる。なにも知らないで、君をたたせてしまいすまない、と言う。すぐに席に戻り、ねむいのならずっとそこで寝ていいから、と言う。

 この単純で一直線な考え方。みんながみんな真面目で純粋だった。そんな時代の美しいお話だ。もちろん美化しすぎているような気もする。95歳の日本で最長老の映画監督、新藤兼人の久々の新作である。よくもまぁ、その年齢で現役として、これだけエネルギッシュな映画が撮れたものだ。

 今時、こういう素材を扱うというだけでも凄い。甘いだけのヒューマンドラマではない。これは自分が映画監督としてスタートしていく直前の時代の自分自身へのオマージュだ。そして、あの頃、彼が脚本家として生きていく上での弱くなる心を支え、彼が生きていく糧となった存在である恩師に向けての感謝の心を綴った映画である。先生が居なかったなら今の新藤兼人はいない。

 実在した自分の恩師をモデルにして広島を舞台に自らの原点を綴っていく青春コメディーである。いつものシリアスで、実験的なタッチとは趣を変えて、軽やかで笑える、そんな映画を精力的に作り上げた。

 彼はデビュー作『愛妻物語』で無名時代の自分と、そんな彼を支えた妻を主人公にして、実在した師匠である映画監督、溝口健二との交流を描いたが、あの最初の映画とこの最後の映画は見事に符合する。彼の1世紀に及ぶ人生のたぶん最期となるこの幸福な映画は、映画のために生きたこの生涯の総決算であり、祝祭的空間をなんの衒いもなく見せることで、わが人生に悔いなし、と言い切る。

 もちろんまだまだ彼は映画を撮るつもりだろうし、これだってただの通過点に過ぎないのかもしれない。だが、約10年振りとなったこの新作を撮り、彼はほっとしたのではないか。肩の力が抜けたいい仕事だと思う。

 ただ子供たちが好きで、学校が好きで、一生涯を一教員として生きた先生の姿は一生涯を一映画監督として全うしてきた新藤兼人自身の姿とオーバーラップする。
柄本明演じる先生は新藤自身であり、映画は、もう一人の彼の分身である脚本家(彼を映画監督にはしないのもいい。まだ何者にもなっていない、という設定が欲しかったのだろう)であり教え子でもある豊川悦司と2人を主人公とする。これは2つの時代の自分自身を通して、自分の人生を締めくくった「愛と青春のエンタティンメント」(この安っぽいコピーがいい)である。

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