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映画・演劇のレビュー

龍・company『deep deep cheap blue』

2010-03-01 21:28:10 | 演劇
 龍・companyの3年振りの新作だ。『deep deep cheap blue』という象徴的なタイトルはこの作品世界そのままを表す。この作品が描く混沌は極めて現代的な事象なのだが、ここまであからさまに見せられたら、ちょっと腰が引けてしまう。もう少しオブラートに包み込んだ表現があってもいいのではないか。

あまりにストレートで、しかもそれが観念的な世界観の中で話が展開するから、ここから先に世界が広がらない。自分たちで問いかけ自分たちで答えを出してしまっている。それでは芝居にする必要性を感じない。わからないから芝居にするのである。わからないものをわからないままに描くことで、役者の肉体を通して見せる叫びが答えのない問いかけに対して、風穴をあけることになる。その瞬間が芝居の持つ力だ。なのに、この作品は自分たちでその答えを用意する。

 なんかそれって違う気がする。阪本先生が彼らの要請で書いた台本は、必ずしも明確な答えを用意している訳ではないのかもしれない。自閉していく男女。彼らが精神科の治療を受けながら、自分で作った殻を打ち破ろうとする姿が描かれていく。人と関わることは怖い。セックスによって上手く行けば子供が出来る、という当たり前のことに対して、感じる恐怖。ならば、セックスなんかしなければいい。確かにここにはそれぞれに事情が描かれてはいる。だが、なんだか図式的で、そこには血が通っていない。頭で作った世界でしかない。だから、頭で作った答えが先に用意されてある気がする。

 与えられたキャラクターを自分たちが充分掘り下げなくてはならない。台本をただ演じるだけでは芝居にはならない。おかまになった教師。妊娠したキャバクラ嬢。見知らぬ女から妊娠したと迫られる男。自分は男だといいはる少女。彼女たちがやってくるこの病院(最初は産婦人科、でも精神科)の女医。彼女の助手の男。これら与えられた役割はくるくる変わりどこに本当があるのやらわからない。わからないまま、どんどんストーリーは進む。話自体は面白い。だが、それが力を持たない。コンセプトだけで先がない。

 外の世界と内の世界との垣根を薄いベール1枚で表現した設定は悪くない。その結果一見自由に出入りできそうなのに、心を閉ざした彼らはここから出ていけない。こんなに簡単な垣根が絶望的な距離を生む。この設定がもっと生きたならおもしろい芝居になるのだが、彼らの演技力はそこまで至らない。大げさに出られないとわめくばかりではダメだ。

 薄皮一枚の超えられない壁をいかに表現するかが、この芝居のポイントになる。抽象的で象徴的なドラマにリアリティーを与えられるか否かにこの芝居の正否がかかっている。それは役者たちの緊張感の表出による。リアルな芝居以上にこれは難しい。

 阪本先生と生徒たちの共同制作が上手く機能したならいいのだが、残念ながら今回はあまり上手くはいかない。面白い素材だが、そこで止まってしまっている。ここにある可能性をどう生かすかがこの集団の今後の課題だろう。

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