10年以上前、高雄の三鳳中街で理髪店に入った。前髪が長くなり、少し見苦しくなっていることもあったけど、商店街の外れにある路地の片隅で見つけた理髪店、60元という料金など、興味本位から入った。60元って当時は1元が3.1円だったから180円程度である。常識はずれの低料金だと思った。どんなことになるかも不安だったから、前髪を少し短くして欲しいとだけ伝えてもらった。(妻は中国語が話せる)
老人は黙々とハサミを動かす。ただそれだけだけど,なんだか安心できた。長年ここで地元の人たちの髪を切っている。そんな人に身を任せる、なんていうのはいささか大袈裟だけど、知らない町で初めて散髪するって勇気のいる行為ではないか。再び高雄を訪れた時、もう一度ここに来た。店は閉まっていたけど、近所の人がじいさんはいるから呼んできてやるよ、と言い裏口のドアを叩いてくれた。下着姿で出てきた老人はあの時のじいさんのはずだけど、記憶の顔とは違う気がして困った。
昨年見た映画『僕が生きてる、ふたつの世界』がコーダの青年を主人公にしていた。とてもいい映画だった。両親がろうだけど、自分は聞こえる。だからこそつらいこともある。この小説のコーダである叔母の話につながる。あの映画を見ていたからこの小説にも興味を持った。理髪師を描く台湾映画『本日公休』を見ていたことも。
これは日本初のろう理容師を描く作品だ。だけど史伝ではない。その理容師の孫である女性が祖父を取材して、それを小説にする話である。新人作家である彼女の視点から描かれる。
なかなか祖父の話には辿り着かない。ようやく100ページくらいまで読んで徳島の祖父がやっていた理髪店まで到着する。今は伯母夫婦が引き継いでいる。小説はようやく伯母の暁子から祖父の話を聞くところに至る。そして施設で暮らす祖母のところに向かう。彼女から祖父母の出会い、結婚、子育ての日々が語られるのを聞く。だけどこれは祖父がろう理容師としていかに生きたかを描く大河ロマンではない。
幼い頃帰郷して祖父母に会った日々を思い出すことから始まる自分探しである。偶然僕も徳島で生まれ、両親が大阪に出てきたから幼い頃から大阪育ちで、彼女と同じように小学生の頃まで毎年夏には徳島に帰っていた。たぶん4年生くらいまでだろうか。
この本を読んでいてなんだかいろいろことが懐かしい。だからいつまで経っても僕も本題に入っていかない。今はちょうど半分くらいまでを読んだところである。戦時下から戦後の日々が祖母の手話で語られる。