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このタイトルはわからないではないけれど、ちょっとアバウトすぎて(同時に大仰すぎて)反対にインパクトに欠ける。この静かで衝撃的な傑作にふさわしくはない。もっとさりげないタイトルでなくては、このすさまじい映画の魅力は伝わらない。これでは、なかなか手に取り、見たいとは思わさない。
先日見たハンガリー映画『心と体と』(このタイトルもなんだかなぁ、だ。あまりにストレートすぎて、この微妙な映画の内容が伝わらない)と並んで、こんなに凄い映画がひっそりと日本でも公開されていて、でも、話題にもならずに消えて行っていたのかと思うと、怖くて震える。(一部の映画ファンには周知の事実なのだろうが、それなりに映画を見ているはずの僕も知らなかったし、きっとキネマ旬報のベストテンとかでもあまり高く評価されてはいないのではないか。)今、コロナの影響で劇場から新作が消えている中、たまたまレンタル店でこういう隠れた傑作を手にして、見れたのはうれしい。映画祭とかで上映された後、DVDにもならずに、人知れず消えていく秀作映画は枚挙のいとまがないだろう。この世界には驚くべき映画がたくさん隠されてあるのだと改めて思う。たまたまDVD化されたものは、その一部でも探し出せたらいいなと思う。それをちゃんと見つけ出して、自分の目で確かめることって素敵なことだ。
さて、この映画である。3部構成になっている。とても(激しく)静かな映画だ。いい映画の誉め言葉はいつも同じで、この「とても静かな」というフレーズになる。そして、その静けさのなかで「とんでもない」(これも常套句)ことが起きている。
戦場に行っている息子の訃報が届くところから映画は始まる。その知らせを受けた瞬間、母親はその場で卒倒し、父親はパニックになる。映画はその瞬間からの数時間が描かれる。そこまでが第1部。
その後は、息子の話となる。国境の警備にあたっていた彼とその仲間たちの話だ。そこはらくだが通ったりするだけののどかな場所。時々車も通るけど、いたって平穏。彼ら4人グループが2名ずつ交代で警備にあたる。単調な日々だ。そんな彼らの数日間が描かれる。そこで事件(事故)が起きるまで。
第3部は再び、夫婦のところに戻ってくる。死んだと知らされた息子が生きていて戻ってくる、はずなのに、父と母は「こんなことなら、あの時死んでいてくれていたほうがよかった」なんていう。なぜか? ラストシーン。驚くべき結末は静かにやってくる。
この映画はストーリーテリングの見事さを示すが、大切なのはそこではない。お話で見せる映画とは一線を画する。大切なことは、そんなテクニックよりも、サミュエル・マオズ監督がこの映画を通して見せようとすることの、その深い意味を知ることだ。人間は運命に翻弄されながら、自分なりに誠実に生きようとしている。完璧な人間なんかいない。いくつもの過ちや後悔はある。それを乗り越えての今である。この映画の主人公たち(父と息子)は、ひとつの過ちにより、一生の後悔や死に至る。でも、それだってたまたまそうなっただけなのかもしれない。運命だったとは誰も言うまい。でも、それが運命だったようにも見える。
国境線の彼らが暮らすトレーラーハウスは毎日1センチずつ傾いている。あと1週間も持たないだろう。どこかで手を打たなくてはならないのだが、手をこまねいている。大切な聖書をエロ本と交換してしまった父親の若き日の逸話を仲間に話す息子は、それを笑い話として語るのではない。誰もがそんな愚かさを心に抱えて生きているのかもしれない。この父親の話に象徴されるもの。それを根底に秘めながら、この物語は紡がれている。冒頭のエピソード(第1部だ)は何度となく俯瞰でとらえられる。父親の姿を見守るのは何なのか。神の視点だなんて言わないけど。