事件を向こう岸の出来事として新聞で眺める。自分とは関係ないことだ。だが、現実の、この僕らが生きている世界で事件は起きている。主人公である作家は事件をハサミで切り取りコラージュさせて、自分の小説に散りばめてみせる。
自らの欲望を抑えることで、事件のない世界で生きる僕たち普通の人たち。そんな人たちが、ある日、気付くと知らない場所に連れてこられて、その閉ざされた空間に閉じ込められる。この芝居の8人には、ここを出る手立てはない。
まず、とても面白そうなタイトルだと思った。ここには三崎亜記の『となり町戦争』に匹敵するようなアイデアがあるのではないか、と期待したけど、見終えて、正直ちょっとがっかりさせられた。
まず、ストーリーの展開が、モタモタし過ぎて、イライラさせられる。もっと速い展開と、意外な筋運びが欲しい。そして、何よりしっかりした世界観がなくてはだめだ。夢オチならぬ、催眠術オチなんて、ちょっとあまりの安直さ。謎解き部分が安っぽすぎて、見ていて鼻白む。もう少し設定自体を生かすオチが欲しい。だいたい作家の妄想なんて、オチにもならない。
なぜ彼らはここに集められてきたのか。どうすれば出られるのか。そこにこの芝居の焦点があるのだから、仕掛けは、もっとしっかり作って欲しい。夫は既に死んでいたというオチは悪くないから、それをいかに見せるか、そこが作者の腕の見せどころだと思う。ラストでどんでん返し(妻が作家の首を絞める)が入るが、とって付けたようで、後味が悪いだけ。
自分の欲望を充足させることで、この閉ざされた世界から脱出できる、という芝居自体の仕掛けはなかなか面白い。だからこそ、そのアイデアをどう展開させるかが、大事だったのである。刑事、その妻、死んでいた作家。この3人の主人公とその他の閉じ込められたメンバーを対比させながら、淀みなくドラマが作れたらよかったのだが。
向こう岸のニュースを切り張りして、事件をでっち上げる変質的な作家の内面だとか、彼女の心の迷宮に迷い込んでしまい、殺されてしまう刑事と、彼を助けようとする離婚した妻とか、もちろん2人の気持ちがどう動いていくかとか、この素材の中で描くべきことは山盛りあったはずなのだ。なのに、その大事な部分がおざなりにされ、単純な筋書きを追うことに終始したのはいただけない。
自らの欲望を抑えることで、事件のない世界で生きる僕たち普通の人たち。そんな人たちが、ある日、気付くと知らない場所に連れてこられて、その閉ざされた空間に閉じ込められる。この芝居の8人には、ここを出る手立てはない。
まず、とても面白そうなタイトルだと思った。ここには三崎亜記の『となり町戦争』に匹敵するようなアイデアがあるのではないか、と期待したけど、見終えて、正直ちょっとがっかりさせられた。
まず、ストーリーの展開が、モタモタし過ぎて、イライラさせられる。もっと速い展開と、意外な筋運びが欲しい。そして、何よりしっかりした世界観がなくてはだめだ。夢オチならぬ、催眠術オチなんて、ちょっとあまりの安直さ。謎解き部分が安っぽすぎて、見ていて鼻白む。もう少し設定自体を生かすオチが欲しい。だいたい作家の妄想なんて、オチにもならない。
なぜ彼らはここに集められてきたのか。どうすれば出られるのか。そこにこの芝居の焦点があるのだから、仕掛けは、もっとしっかり作って欲しい。夫は既に死んでいたというオチは悪くないから、それをいかに見せるか、そこが作者の腕の見せどころだと思う。ラストでどんでん返し(妻が作家の首を絞める)が入るが、とって付けたようで、後味が悪いだけ。
自分の欲望を充足させることで、この閉ざされた世界から脱出できる、という芝居自体の仕掛けはなかなか面白い。だからこそ、そのアイデアをどう展開させるかが、大事だったのである。刑事、その妻、死んでいた作家。この3人の主人公とその他の閉じ込められたメンバーを対比させながら、淀みなくドラマが作れたらよかったのだが。
向こう岸のニュースを切り張りして、事件をでっち上げる変質的な作家の内面だとか、彼女の心の迷宮に迷い込んでしまい、殺されてしまう刑事と、彼を助けようとする離婚した妻とか、もちろん2人の気持ちがどう動いていくかとか、この素材の中で描くべきことは山盛りあったはずなのだ。なのに、その大事な部分がおざなりにされ、単純な筋書きを追うことに終始したのはいただけない。