結婚がゴールに設定されたドラマや映画なんて今ではもうない。単純に「めでたし、めでたし」ではなかろうが、それにしてもこのあまりにクラシックな映画が今作られた意味は一体どこにあるのだろう。これをつまらない映画だと一蹴しきれない理由はそのへんにある。
絵に書いたようなラブストーリーはお決まりの展開を見せていく。いくつかの場面なんかリアルとは程遠く、「まるで恋愛ドラマのワンシーン」のようだ。この21世紀にここまでアナクロな未来予想図を思い描いてしまう、ということに実は少し「感動」してる。もちろん時代を超えた普遍性なんて言うつもりは全くないが。
話は変わるが、昔、歌謡映画というのがあった。その時ヒットしていた歌謡曲を主題歌にして、その曲の世界をモチーフに1本の映画を仕立てる。時には主人公をその歌手にさせる場合もあった。安直なプログラム・ピクチャーが大半だったが、時にはあっと驚く作品もある。
久しくそんな映画が作られることはなかったが、なぜか今、この映画が作られた。一体どこからこんな企画が生まれ実現したのか、よく分からない。どう考えても商売にはならない映画だ。ドリーム・カム・トゥルーの名曲の映画化である。この曲の世界がそのまま映画になったなら、素敵な恋愛映画になりそうだが、映画と歌は全然違うものだ。5分なら成立する大河ドラマが2時間にはならないこともある。そこがこういう企画の難しさだ。
作家の狗飼恭子が脚本を手掛けているのに興味を持った。彼女の視点から組み立てられたなら、新しい恋愛映画が誕生するかも知れないと期待してしまった。こういうなんでもないラブストーリーが静かに作られるということにも興味を持った。
主人公の知名度で、作品をセールスすることを放棄したキャスティングも面白いと思った。松下奈緒と竹財輝之助という(僕が知らないだけかもしれないが)無名の新人を抜擢して、手垢のついてないキャストで、どこにでもある話、ありきたりの物語を敢えて見せようとする。
97年からスタートして、10年間の愛の軌跡が描かれる。02年を起点にして、5年前の運命の出会い(彼らにとっては、である)を描き、2年後の卒業までを見せる。そして、ここから3年、仕事と恋の日々を綴り、1度別れて5年後の07年まで。19歳から29歳までの歳月が描かれていく。
大学2年の頃。キャンパスでの出会い、付き合い始めた2人が、卒業という転機を迎える。友人の結婚、スペインへの海外勤務を経て、それぞれが自分の仕事に打ち込んでいく中、もう1度お互いの気持ちを見つめなおす。
後半あまりの安直さで、ちょっと腰が引けてしまうが、こういうさりげなくて、大きな事件もないどこにでもいそうな男女のありきたりな話を描く映画ってなかった気がする。大袈裟な展開も、めまぐるしいドラマも最小限にとどめて、TVドラマにすらならないような話を見せる。何の特徴もない2人の、出会いから結婚までが綴られる。とはいえ、いったい誰がこんな映画を見たいと思うのだろうか。
この映画は敢えて映画にはならないようなことをわざと描く。ガウディーの建築に憧れたり、花火職人のルポを雑誌で取り上げたりすることが、一つのポイントにはなるが、そんなことも含めて日常の一齣である。
自分の人生に於いては、自分自身が主人公だ。そんな当たり前が描かれてあり、そこが感動的だったりする。エンド・クレジットが終わった後、2人の結婚式が盛大に描かれる。延々と見せてくれる。この演出は確信犯なんだろうか。よくは分からない。無個性の極地を行くような作品だ。
狗飼さんはこの題材を脚本化する過程でどれくらいに自由を与えられたのか。彼女が好きに書いたとはとても思えない仕上がりだ。冷徹で優しい彼女の持ち味がまるで出ていない。
石黒賢の編集長とか、松坂慶子の母親、加藤雅也のサクラダファミリアの彫刻スタッフとか、いかにもなキャラクターが脇を固めているのも安っぽく哀しいが、この映画が一応メジャー映画のスケールの中で、小さなお決まりのドラマを目指している以上、こういうありきたりな設定を踏むことはお約束だったのかもしれない。天下の松竹映画であり、かっての量産されたプログラム・ピクチャーの流れを組む作品だが、懐かしいB級映画ではなく、もう少しなんだか、新しい何か、を期待してしまったのは僕の買いかぶりでしかなかったみたいだ。可能性は感じる。しかし、それが生きてこない。結局、何がしたかったのか、よく分からない。そんな映画だ。
絵に書いたようなラブストーリーはお決まりの展開を見せていく。いくつかの場面なんかリアルとは程遠く、「まるで恋愛ドラマのワンシーン」のようだ。この21世紀にここまでアナクロな未来予想図を思い描いてしまう、ということに実は少し「感動」してる。もちろん時代を超えた普遍性なんて言うつもりは全くないが。
話は変わるが、昔、歌謡映画というのがあった。その時ヒットしていた歌謡曲を主題歌にして、その曲の世界をモチーフに1本の映画を仕立てる。時には主人公をその歌手にさせる場合もあった。安直なプログラム・ピクチャーが大半だったが、時にはあっと驚く作品もある。
久しくそんな映画が作られることはなかったが、なぜか今、この映画が作られた。一体どこからこんな企画が生まれ実現したのか、よく分からない。どう考えても商売にはならない映画だ。ドリーム・カム・トゥルーの名曲の映画化である。この曲の世界がそのまま映画になったなら、素敵な恋愛映画になりそうだが、映画と歌は全然違うものだ。5分なら成立する大河ドラマが2時間にはならないこともある。そこがこういう企画の難しさだ。
作家の狗飼恭子が脚本を手掛けているのに興味を持った。彼女の視点から組み立てられたなら、新しい恋愛映画が誕生するかも知れないと期待してしまった。こういうなんでもないラブストーリーが静かに作られるということにも興味を持った。
主人公の知名度で、作品をセールスすることを放棄したキャスティングも面白いと思った。松下奈緒と竹財輝之助という(僕が知らないだけかもしれないが)無名の新人を抜擢して、手垢のついてないキャストで、どこにでもある話、ありきたりの物語を敢えて見せようとする。
97年からスタートして、10年間の愛の軌跡が描かれる。02年を起点にして、5年前の運命の出会い(彼らにとっては、である)を描き、2年後の卒業までを見せる。そして、ここから3年、仕事と恋の日々を綴り、1度別れて5年後の07年まで。19歳から29歳までの歳月が描かれていく。
大学2年の頃。キャンパスでの出会い、付き合い始めた2人が、卒業という転機を迎える。友人の結婚、スペインへの海外勤務を経て、それぞれが自分の仕事に打ち込んでいく中、もう1度お互いの気持ちを見つめなおす。
後半あまりの安直さで、ちょっと腰が引けてしまうが、こういうさりげなくて、大きな事件もないどこにでもいそうな男女のありきたりな話を描く映画ってなかった気がする。大袈裟な展開も、めまぐるしいドラマも最小限にとどめて、TVドラマにすらならないような話を見せる。何の特徴もない2人の、出会いから結婚までが綴られる。とはいえ、いったい誰がこんな映画を見たいと思うのだろうか。
この映画は敢えて映画にはならないようなことをわざと描く。ガウディーの建築に憧れたり、花火職人のルポを雑誌で取り上げたりすることが、一つのポイントにはなるが、そんなことも含めて日常の一齣である。
自分の人生に於いては、自分自身が主人公だ。そんな当たり前が描かれてあり、そこが感動的だったりする。エンド・クレジットが終わった後、2人の結婚式が盛大に描かれる。延々と見せてくれる。この演出は確信犯なんだろうか。よくは分からない。無個性の極地を行くような作品だ。
狗飼さんはこの題材を脚本化する過程でどれくらいに自由を与えられたのか。彼女が好きに書いたとはとても思えない仕上がりだ。冷徹で優しい彼女の持ち味がまるで出ていない。
石黒賢の編集長とか、松坂慶子の母親、加藤雅也のサクラダファミリアの彫刻スタッフとか、いかにもなキャラクターが脇を固めているのも安っぽく哀しいが、この映画が一応メジャー映画のスケールの中で、小さなお決まりのドラマを目指している以上、こういうありきたりな設定を踏むことはお約束だったのかもしれない。天下の松竹映画であり、かっての量産されたプログラム・ピクチャーの流れを組む作品だが、懐かしいB級映画ではなく、もう少しなんだか、新しい何か、を期待してしまったのは僕の買いかぶりでしかなかったみたいだ。可能性は感じる。しかし、それが生きてこない。結局、何がしたかったのか、よく分からない。そんな映画だ。