数年見ない間に確実に犯友は変わってしまった。新しい世界観を持ち、新しい方法論のもとに、でも本質は変わらない、そんな芝居をしているのだなぁ、と思わされた。武田さんは丸くなったのではない。きっと今、自由になったのだ。こうあらねばならない、という考え方から、どんなふうにしても自分らしいものを提示できる、という自由自在な境地に達したのではないか、だなんて。そんなことを思わされた。
フライヤーのタッチが気付くと変わっていた。こうして、芝居を見て自分の目で確かめると改めてそのアプローチの変化がよく見えてくる。まるで初めて見る劇団のような新鮮さがあった。昭和40年代末、大阪。場末の娼婦街を舞台にして、繰り広げられる物語は、とても単純でわかりやすい。あっさりしたタッチだが、そこには庶民のやけくそなエネルギーが溢れている。それはいつもの武田さんの独壇場で、昔から変わることはない。
だが、気になることもある。まず、スマートにお話を見せていこうとするのが、少し物足りない。以前のような狂気をテーマにしていないことも、少し気になる。
だけど、吹き溜まりのような場所で、しぶとくおおらかに生きていく人間たちに対する優しさはしっかり伝わってくる。見ていてとてもいい気分にさせられる。実は、それだけでも十分ではないかと思う。。わざとささやかなドラマをここに見せようとしたのだろう。小さなお話を小さなままにして、このウイング・フィールドという空間にマッチした見せ方を試みた。それが今回の作品だ。そういう面でも武田さんは、自由自在だと言えそうだ。
フライヤーのタッチが気付くと変わっていた。こうして、芝居を見て自分の目で確かめると改めてそのアプローチの変化がよく見えてくる。まるで初めて見る劇団のような新鮮さがあった。昭和40年代末、大阪。場末の娼婦街を舞台にして、繰り広げられる物語は、とても単純でわかりやすい。あっさりしたタッチだが、そこには庶民のやけくそなエネルギーが溢れている。それはいつもの武田さんの独壇場で、昔から変わることはない。
だが、気になることもある。まず、スマートにお話を見せていこうとするのが、少し物足りない。以前のような狂気をテーマにしていないことも、少し気になる。
だけど、吹き溜まりのような場所で、しぶとくおおらかに生きていく人間たちに対する優しさはしっかり伝わってくる。見ていてとてもいい気分にさせられる。実は、それだけでも十分ではないかと思う。。わざとささやかなドラマをここに見せようとしたのだろう。小さなお話を小さなままにして、このウイング・フィールドという空間にマッチした見せ方を試みた。それが今回の作品だ。そういう面でも武田さんは、自由自在だと言えそうだ。