このあやうい話を最後まで読み終えて、とてもおもしろいのだけれど、はたしてこの中には真実があるのか、なんて思った。もちろんそんなことを思わせるところに佐藤正午のねらいもあるのだろう。
交換殺人なんてなかったのかもしれない。だいたいこの15年間の日々すら幻なのかも知れない。この小説の中に描かれてあることには信憑性なんてない。精緻に組み立てられたはずのその全てが、妄想に近いものなのだ。彼にはそう見えていただけで真実はそこにはない、のかも、しれない。
ずっと気になっていた。ほんとうのところはどうなんだろう。だが、今となってはそんなことどうでもいい。だが、そこに拘り続ける。この小説の中で描かれてあるあらゆることは、すべてありえたかもしれない幻だと、言い切ってもいい。
15年前の事件の真実を捜し求めるための小説ではない。人は誰もがとても危ういものを抱えながら生きている。なんでもないと思った事が、人と人の関係を壊していくこともある。
隣家の母子と仲良くなる。4歳の女の子を時々預かり、母親とも親しくなる。なんの下心もない。なのにそれが彼の恋人には耐え切れない。2人の関係がそこから壊れていく。自分の中の善意が、人を傷つける。この導入部分がすごい。
ここからスタートし、曖昧だった記憶を頼りに、その曖昧なものを明確にしていく過程で見えてくるものが描かれる。もちろんそれは真実なんかではない。あの時彼らの中にあったもの。見えなかったものが、暴かれていく。しかし、そこにはもう何もない。あの時もし、隣家に関わらずに平凡に結婚していたならどうなっていたのか。そんな「もしも」が描かれるわけでもない。
夫の暴力に耐え切れなくなった主婦が取った行動。要するに殺人事件を描くのだが、そこにテーマがあるわけはないのは明白だ。だいたいこの小説は彼女が犯人であるとも言わない。事実が大事なのではない。だが、この小説の描く事実の虚しさは、かなりの衝撃度である。
交換殺人なんてなかったのかもしれない。だいたいこの15年間の日々すら幻なのかも知れない。この小説の中に描かれてあることには信憑性なんてない。精緻に組み立てられたはずのその全てが、妄想に近いものなのだ。彼にはそう見えていただけで真実はそこにはない、のかも、しれない。
ずっと気になっていた。ほんとうのところはどうなんだろう。だが、今となってはそんなことどうでもいい。だが、そこに拘り続ける。この小説の中で描かれてあるあらゆることは、すべてありえたかもしれない幻だと、言い切ってもいい。
15年前の事件の真実を捜し求めるための小説ではない。人は誰もがとても危ういものを抱えながら生きている。なんでもないと思った事が、人と人の関係を壊していくこともある。
隣家の母子と仲良くなる。4歳の女の子を時々預かり、母親とも親しくなる。なんの下心もない。なのにそれが彼の恋人には耐え切れない。2人の関係がそこから壊れていく。自分の中の善意が、人を傷つける。この導入部分がすごい。
ここからスタートし、曖昧だった記憶を頼りに、その曖昧なものを明確にしていく過程で見えてくるものが描かれる。もちろんそれは真実なんかではない。あの時彼らの中にあったもの。見えなかったものが、暴かれていく。しかし、そこにはもう何もない。あの時もし、隣家に関わらずに平凡に結婚していたならどうなっていたのか。そんな「もしも」が描かれるわけでもない。
夫の暴力に耐え切れなくなった主婦が取った行動。要するに殺人事件を描くのだが、そこにテーマがあるわけはないのは明白だ。だいたいこの小説は彼女が犯人であるとも言わない。事実が大事なのではない。だが、この小説の描く事実の虚しさは、かなりの衝撃度である。