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映画・演劇のレビュー

『SOUL RED 松田優作』

2009-11-28 21:56:09 | 映画
 よもや松田優作の映画を今、劇場で見ることになるなんて思いもしなかった。彼が死んで20年。今もう一度彼の仕事を振り返るため、このドキュメンタリー映画が制作された。監督は『世界はときどき美しい』の御法川修。あの映画で優作の奥さんである女優の松田美由紀が御法川監督と出会ったことがきっかけとなり、この映画の監督を引き受けることとなったのだろう。

 残念ながらこれは御法川監督の視点は前面に出ない映画になっている。まぁ、当然のことだろう。だが彼の新作を楽しみにしていた僕としてはちょっと物足りない。優作を彼がどう受け止め、作家として彼を題材にして何を見せるのか、それは映画としては必要なことだ。だが、この企画は御法川自身のものではない。彼は引き受けただけだ。これはあくまでもまず松田優作ありきの企画であり、そこから彼は自分にできる限りのことをした。そういう意味では実に誠実な映画である。だが、物足りない部分は多々ある。

 まず、冒頭から当時ようするアンディ・ガルシア。彼が優作に対して感じた共感ってなんだったのだろうか。それがまるで伝わらない。順を追って見せる優作の映画のシーンの数々はうれしいが(先にも書いたが、大スクリーンで優作の勇姿が、今一度見られるなんて思いもしなかった)それを通して描きたかった者は見えてこない。これでは、ただのダイジェストによる回顧上映でしかない。

 もちろん『野獣死すべし』の狂気を今一度確認出来たことや、様々な映画での彼の横顔を続けて見られたことは、よかった。だが、それだけでは「よかった」で終わりだ。

 どうして村川透監督へのインタビューがないのだろうか。その点が一番知りたいところだ。この映画が敢えて彼を避けたことの意味。そこからきっといろんな問題が出てくるはずだ。たぶん、それはこの映画にとって大事なポイントではないかと思うのだが。

 当然のようにこのインタビューからは突っ込んだことは何も出てこない。最後に優作の遺児である龍平と翔太が出てきたが、せめて、彼らが幼い日に亡くした父親をどう受け止めているのかくらいは描いて欲しい。もちろんかれ家庭人としてのプライベートを描けと言うのではない。同じ俳優としての優作を彼らがどう思っているのかが聞きたい。父親と同じ道を歩む彼らの気持ちから、この映画を起こせれたならそれはまた興味深くていいのだが、今回の企画からはそんなことは不可能だろう。

 こんな当たり障りのない映画にしかできないのは、きっと仕方ないこととはいえ、これではやはり映画としては物足りない。優作の偉業を辿るなんていうのは彼にしても心外だろう。いろんな問題や制約があるのはわかるのだが、もう少し独立した映画としての、この作品の自己主張が見たかった。不可能は十分承知の上で。

 香川照之や浅野忠信へのインタビューはかなりおもしろい。彼らが今第1線で活躍し、優作とはポジションは違うが、同じような悩みや感慨を抱いているからだろう。 

 結果的には、この映画のメリットは梅田ピカデリーのスクリーンで優作を見る、ということ以上のものはない。


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