昨年の11月の末にひっそりと公開された瀬々敬久監督のこの作品は実はとても重要な作品だったのか、と改めて気づく。先日公開された最新作『友罪』は東宝系公開のメジャー映画なのだけど、こんなにも地味で重くて暗い映画がメジャー作品として公開されていいのか、と心配になるような作家主義の映画だった。商業映画としての妥協は一切感じられない見事な作品だ。スターを使いながら彼らの最高の演技を引き出し、自らの求めるテーマを突き詰めていく。
だが、あの映画の前に実はこれがあったという事実を目撃して、改めて今彼が怒濤の快進撃を続けていられるわけが見えてきた気がする。4時間半を超える究極の自主映画『ヘブンズ・ストーリー』の後、完全に自由自在の極致に達した彼は、同じように4時間越えの大作メジャー映画『64』をヒットさせる。この2本の映画を経て、どんな素材を得ても自分の作品に仕上げる自信を身に着ける。だが、それは器用になった、ということを意味しない。すべてを自分の世界に引き寄せるすべを身に着けたという事だ。
人間の営みはすべて不可解で、でも、そこにはそれぞれの真実がある。犯罪という特異な状況においてもそれは変わらない。まず、犯罪がある、というスタンスから、まずそこに人間がいる、という当たり前のスタンスへの自然な移行が今の彼の映画を支えている。
そういう意味においても、この映画の意義は大きい。ここで描かれるのは事件ではない。事件なんか表面的には見えてこない。誰もが抱える苦しみが描かれる。ただ、そこにAVというフィルターが施されることでそれは犯罪と紙一重の危険な状況として提示されることになる。
3人の主人公の女性はそれぞれ3つの時間を象徴する。かってAVに出演していたという過去を持つ女。今、AV女優をしている女。これからAVに出演する女。そして、かつてAV女優をしていた母親を持つ女。3人と先には書いたが、実は4人の話が軸になる。ただし、最初の女は主人公ではない。高岡早紀が演じる母親を持つ高校生の少女が主人公だ。
時間はたった2日間。映画は、土曜日の朝から日曜日までの時間の中で彼女たちが劇的に状況を変化させていく様子をドキュメントする。「最低。」ということばにするしかない状況を通して、これまでのすべての時間を描き出すことになる。ピンク映画からキャリアをスタートさせた瀬々敬久が初心に戻って今の自分、これからの自分を占うこの作品に挑んだ覚悟がしっかりと伝わってくる2時間だった。
正直言ってここには、何も起きない。だが、すべてがここにはある。3人の女たちがこれからどうなっていくのかは、わからないし、大きな変化はないかもしれない。だが、この2日間を通して少しずつ変わろうとしていくことだけは確かだろう。それはこの映画を通して瀬々敬久が大きく変わったという事実に象徴される。現実は映画よりもリアルに人生を映し出す。だが、その答えは映画を通して指示される。この映画が2017年の11月末公開という事実をもう一度噛みしめて、この7月公開される『菊とギロチン』を待とう。