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映画・演劇のレビュー

虚空旅団『誰故草』

2016-12-08 23:58:04 | 演劇
2年半を経ての再演である。OMS戯曲賞の大賞受賞を受けての凱旋公演となる。初演と同じウイングで上演された。僕は今回で2回目になるから、余裕をもって客観的に見ることができたが、最初に見た時には描かれる現実の怖さが前面に出すぎて、いま世界では何が起きているのかばかりが気になり、目の前の彼女たちの姿がちゃんと目に入ってなかったのではないか、と反省したけど、そうじゃなかったな、と気づく。



高橋恵さんは、まず、目の前の彼女たちの生活を丁寧に描く。だから、背後の世界観よりも、描かれる目の前のささやかな現実を凝視することになる。見る前は少し構えていたのに、気づくとちゃんと彼女たちを見ている。きっと初演の時も今回と同じように見たのではないか。



近未来を舞台にして、閉塞感漂う現実のなかで、ひっそりと身を添わせ合い生きる「5人組」の女たちの日常のひとこまを切り取る。同世代の5人がルームシェアをして暮らすマンションの一室。5人で住むには少し狭いけど、経済的状況を鑑みると仕方ない。そんな彼女たちのもとに、部屋の住人である1人の女性の妹が突然訪ねてくる。



描かれる「その世界」の社会状況や現実を描くことが目的ではない。自分たちの生きる「今」を受け止め、そこで自分たちなりに生きている姿を見せるだけでいい。どんな時代にあろうとも、人はそこで生きるしかないし、逃げ出すことはできない。受け入れるしかない。だが、妹は今ある現実から逃げ出し、ほかの世界に行こうとする。姉に別れを言うために、ここに来た。そんな1日が描かれる。彼女の踏み出す1歩を肯定するわけではない。もちろん、否定もしない。



徹底して一市民目線を貫いていく。大それたことをするわけではない。政府に対してのレジスタンスもない。だが、あきらめているわけでもない。生きていくことの痛みをかみしめながら、今ここで、それぞれができることをするしかない。これは高橋恵さんのいつもの作品に貫く姿勢でもある。過去を描く作品でも、今を扱う場合でも、今回のように未来を描いても変わらない。自分に何ができるのかということをしっかり見つめることしかできない。そこから一歩踏み出す。その先だけを見据えていく。そんな作品である。



彼女は、出ていく妹を見送るしかない。そのあと、いつもと同じように仕事に行く。それでいい。
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