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映画・演劇のレビュー

『善き人のためのソナタ』と『となり町戦争』プロローグ

2007-03-02 22:44:12 | 映画
 まじめ過ぎてクタクタにさせられる。いい映画だけれど、映画の中に余裕がない。緊張を持続させ、2時間18分、ラストまで見せるから、観客はフラフラになるのだ。それは若い監督のデビュー作で、彼が自分の中にあるものを全てこの1本に注ぎ込んでしまったからだろう。この重厚な映画を弱冠33歳の新人が、丹念に歴史を調べ上げ完璧を目指して作り上げた。驚きである。

 主人公の頑なな心が、いつの間にか変化してゆき、気付けば、自分の命運すら左右しかねない暴挙に出てしまう瞬間を一切の感情の起伏も表に出さず描いてしまうのである。まるで老練なベテラン監督が信念の下に作り上げた映画のように見える。

 同じ日に見た軟弱な『となり町戦争』と比較すれば、彼我の落差に愕然とさせられる。ドイツ人と日本人の差だなんて思いたくないが、映画を作る上での覚悟にこんなにも隔たりがある。それは一人の作家の問題だとは思わない。

 渡辺謙作は彼なりの世界観を持ち、いいかげんな姿勢でこの映画を作ったりしていない。彼なりのベストを尽くした結果があの映画なのである。

 同じようにフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクも震えるような怖さの中でこの映画を作ったのだ。彼我の条件は同じだ。

 ベルリンの壁が崩壊してから、まだ、20年も経っていない。ここで描かれてあることは、ついこの間のことだ。これは、そんな歴史的事実を背景にしている。それぞれの中でまだ生々しく生きている時代が描かれている。それだけに彼が感じたプレッシャーは並大抵のものではあるまい。なのに、これだけの映画を作り上げた。

 平和ボケした日本で、今、戦争が起こっているという架空の映画内事実を描く『となり町戦争』の世界は歴史的現実ではないが、近い未来に生じ得る可能性はある。この穏やかでのんびりした田舎の風景の中で、どこにでもいるサラリーマンが右往左往する姿の中に何を見せるか。これだって中途半端な覚悟作ったものではないはずだ。

 2本続けて見て、なんだかがっかりした。ただ、いい映画と、つまらない映画を梯子した、と言うのではなく、何かに対して躓いた。

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