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映画・演劇のレビュー

『善き人のためのソナタ』

2007-03-03 10:51:12 | 映画
 とてもいい映画だと思う。しかし、この生真面目さは見ていて少し疲れるのも事実だ。こういう一本調子の映画を敢えて作ってしまったところに作者の若さを感じた。もちろんそれは見ていて心地よいものでもある。老練の演出家なら、怖くてこういう作り方はできない。

 ただ、見ていて、彼がなぜ党に刃向うような行為をしたのかが、これでは納得がいかない。理屈としては解っても、これだけの理由では説得力を持たない。何が彼の心を動かしたのか。

 単なる正義感ではない。「善き人のソナタ」を聴き心動かされた、なんていうのも綺麗事。ちょっと違う気がする。盗聴という孤独な行為を続けていく中で、彼の心が少しずつ動いていく。筋金入りの党員だった。芸術なんてものに対して何一つ関心を寄せたりもしなかった。一人で生きて、黙々と仕事をこなしていく。そんな男の孤独が何のエクスキューズもなく、描かれる。とても潔い映画である。

 長い時間の中で、彼の中の何かが変わっていく。自分たちの信念のために行動する芸術家達を応援するためでも、女優と劇作家の2人を守るための行為でもない。彼自身の中で起きた変化の意味は彼にも解らない。そのために全てを失い、一生涯閑職に追いやられることになる、のにである。しかも、彼の生活はベルリンの壁が崩壊して、新時代がやってきても何一つ変わらない。今も黙々と郵便配達をしているだけだ。

 ラストで彼に救いが訪れる。だが、彼が助けた劇作家が自分のことを書いてくれた本を抱きしめても、彼が救われたとは、僕には思えない。

 このわからなさが、もしかしたらこの映画の魅力なのかも知れない。明確な理由もないまま、反体制的な行為を行う。自分にだって解らない。壁のむこう側で生きている男女のすべてを盗聴していく中で、「自由、愛、音楽、文学に影響を受け、いつのまにか、今まで知ることのなかった新しい人生に目覚めていく」というフライヤーの解説はとてもわかりやすい。しかし、そんな解説では説明つかないものが、この映画には描かれている。

 見ている僕らを納得させきれない、どうしようもない彼の心の揺らぎを描き取ったことが、この映画最大の魅力である。息が詰まるような2時間18分はそのためだけにある。

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