何のために芝居を見ているのだろうか。そんな本質的な問題に対して真摯な答えを出してくれる。太陽族はそんな数少ない劇団だ。
劇についての劇という一種のバックステージもののスタイルを取る今回の作品は、楽屋落ちすれすれのネタも孕みながら、そこには劇そのものに対するギリギリの切実な問いかけがある。今月(3月)のウイングフィールド・ホットプレスに於ける岩崎さんの訴えとも連動して、メッセージが前面に出ることも覚悟のうえで、どうしても言わなくてはならないことを、芝居として見せていこうとする。身を切る覚悟で作品を提示する。
それって本来すべての芝居にあるべき姿であろう。なのに現実問題として、そんな本気が感じられる芝居なんてほとんどない。中途半端だったり、甘えばかりが前に出た見ているだけで疲れてしまうものが大半だ。自分たちの自己満足に付き合わされるのはこりごりだ。
上手い下手なんてこの際どうでもいい。描きたいものと本気で向き合い、表現の可能性を追求しないような芝居はつまらない。自分の限界と向き合いギリギリまで自己を追い詰める逼迫した想いが感じられる芝居が好きだ。ルーティンワークになっていたり、いくつもの悪条件の中で妥協していたりするものには用はない。
岩崎さんが今、演劇を巡るとても危険な状況の中で、今一度芝居の原点に戻り、なぜそれでも芝居に拘るのかを1本の芝居として見せていこうとするのが本作である。これは安易な実験公演なんかでは当然ない。どうしようもない思いを、溢れる感情のまま、演劇という手段を講じて語り尽くそうとした作品だ。
ただのメタ演劇ではないし、持つべき武器は芝居しかない演劇人が、芝居を通して『世界』に闘いを挑んだ記録である。でも、表面上はそんなだいそれた芝居には見えないようになっている。とても軽やかで、ささやかな芝居に見える。ずっと笑いながら見ていられる。即興的な部分もたくさんある。劇を巡る様々なエピソードが羅列されていく。森本研典さん演ずる『岩崎正裕』が登場して劇団員とのやり取りをするような場面すらある。
70分間はあっという間の出来事だ。小劇場演劇に対してあまり興味のない人にとってはちんぷんかんぷんのこともあるだろう。だけれども、単純に見ていても楽しめる作品になっているから大丈夫だ。わからなくても面白い。もちろんきちんとわかったならなお興味深いことは当然だ。
ひとつの危機的状況に対してシニカルな視線で描いているように見せて、(創造館でのシンポジウムのシーンなんて爆笑ものだ。だが、ほんとはとても怖い。)実際はとてつもなく重い問いかけを投げかけてくる。それを僕たちは全力で受け止めるしかない。全力投球されたものを全身で受けるのだ。そんな中に、芝居という表現の可能性と、感動がある。単なるメッセージではない。『演ずること、表現すること、そして見ること』それらに対するラジカルな問いかけがここにはある。
劇についての劇という一種のバックステージもののスタイルを取る今回の作品は、楽屋落ちすれすれのネタも孕みながら、そこには劇そのものに対するギリギリの切実な問いかけがある。今月(3月)のウイングフィールド・ホットプレスに於ける岩崎さんの訴えとも連動して、メッセージが前面に出ることも覚悟のうえで、どうしても言わなくてはならないことを、芝居として見せていこうとする。身を切る覚悟で作品を提示する。
それって本来すべての芝居にあるべき姿であろう。なのに現実問題として、そんな本気が感じられる芝居なんてほとんどない。中途半端だったり、甘えばかりが前に出た見ているだけで疲れてしまうものが大半だ。自分たちの自己満足に付き合わされるのはこりごりだ。
上手い下手なんてこの際どうでもいい。描きたいものと本気で向き合い、表現の可能性を追求しないような芝居はつまらない。自分の限界と向き合いギリギリまで自己を追い詰める逼迫した想いが感じられる芝居が好きだ。ルーティンワークになっていたり、いくつもの悪条件の中で妥協していたりするものには用はない。
岩崎さんが今、演劇を巡るとても危険な状況の中で、今一度芝居の原点に戻り、なぜそれでも芝居に拘るのかを1本の芝居として見せていこうとするのが本作である。これは安易な実験公演なんかでは当然ない。どうしようもない思いを、溢れる感情のまま、演劇という手段を講じて語り尽くそうとした作品だ。
ただのメタ演劇ではないし、持つべき武器は芝居しかない演劇人が、芝居を通して『世界』に闘いを挑んだ記録である。でも、表面上はそんなだいそれた芝居には見えないようになっている。とても軽やかで、ささやかな芝居に見える。ずっと笑いながら見ていられる。即興的な部分もたくさんある。劇を巡る様々なエピソードが羅列されていく。森本研典さん演ずる『岩崎正裕』が登場して劇団員とのやり取りをするような場面すらある。
70分間はあっという間の出来事だ。小劇場演劇に対してあまり興味のない人にとってはちんぷんかんぷんのこともあるだろう。だけれども、単純に見ていても楽しめる作品になっているから大丈夫だ。わからなくても面白い。もちろんきちんとわかったならなお興味深いことは当然だ。
ひとつの危機的状況に対してシニカルな視線で描いているように見せて、(創造館でのシンポジウムのシーンなんて爆笑ものだ。だが、ほんとはとても怖い。)実際はとてつもなく重い問いかけを投げかけてくる。それを僕たちは全力で受け止めるしかない。全力投球されたものを全身で受けるのだ。そんな中に、芝居という表現の可能性と、感動がある。単なるメッセージではない。『演ずること、表現すること、そして見ること』それらに対するラジカルな問いかけがここにはある。