たったひとりの少女が生き抜くための戦いを静かに愛おしむように描く佳篇。久しぶりにしっかり読んだ。丁寧にゆっくり1ページずつ。
最近(というか、ここ最近のかなりの歳月)毎日たくさんの本、映画、を読んで、見て、きっと雑にそれらの作品と接していた気がする。芝居は案内が来なくなったのであまり見に行くことがなくなったけど、芝居も。
余談だが、今仕事で山田詠美の『晩年の子供』を読んでいる。高2の授業で取り上げられてあるからだ。こんな作品を、授業で、しかも僕から教えてもらうなんて彼らは本当に恵まれた高校生たちである。(笑)山田詠美の『ひよこの眼』を授業でするのは2度目。
最近の僕はいろんなところで大切にするべきものを乱雑に扱ってきた気がする。そんな時に見た映画と芝居は心に沁みた。吉田大八監督の『敵』。そしてその直後に見た久野那美作、演出の『ここはどこかの窓のそと2』(窓の階)。あの2本を続けて見た後、この本を読み始めた。
18歳になったならこの施設を出ていかなくてはならない。これまでもひとりだったけど、この先はほんとのひとりになって生きていかないとならない。そんなタイミングでコジマさんが手を差し伸べてくださった。介護が必要な自分の面倒を見て欲しいという要請である。コジマさんは彼女の父親かもしれない男性。
私はその依頼を引き受けてそれから10年以上の日々を彼と一緒に過ごす。だけど一度として父さんと呼べないまま、見送ることになる。コジマさんが亡くなった夜、やっとリムジン弁当を食べることが出来た。ずっとこのお弁当屋さんに入りたかった。だけど勇気が出なかった。たかがお弁当、されどお弁当。
大切なことってこんなに簡単なことだったんだ、と知る。彼女の人生はもしかしたらここから始まるのかもしれない。その時彼女は29歳になっていた。ここまでが『小鳥とリムジン』の第1章である。彼女が彼と出会うまで。彼女の名前は小鳥でたぶん彼の名前はリムジン。
もうすぐ母の誕生日がやって来る。生きていたなら94歳になる。90歳で亡くなった。あれからの3年を経て僕は65歳になった。