この映画を見て、シリアのことなんて何も知らないでいたのだな、と改めて思う。新聞の報道や、テレビのニュースで垣間見たことだけ。内戦化の現実をこういう形でリアルに目撃する衝撃。これは今の時代だから可能なのだと思う。リアルタイムでスマホやビデオで撮られた映像が、生々しいまま提示されていく。2016年までの時間が2019年の作品として編集され、日本でも2020年に劇場公開される。シリアの内戦は今も現在進行形だ。この映画の監督でもあるワアド・アルカティーブによってまだ学生時代から撮られた映像が1本の映画として編集され、映画館で、さらにはネットフリックスを通してこうして全世界に配信公開されている。だけど、事態は簡単には収まらない。それどころか紛糾したままだ。
アレッポの病院を最後の牙城として戦い続ける。何がどうなってるのか、詳細はこれだけではわからないけど、だからこそ、この映像は衝撃的なのだ。この撮影の途中で死ぬかもしれない。でもカメラを回す。ここでこの瞬間何があったのかを伝えたい。この事実を、証言を、証拠として残すため。自分たちが生きた姿を留めなくてはならないという覚悟。死んでしまった人たちの姿からもカメラは目を背けない。
ここで生まれた女の子であるサマ。この子が戦場で生まれて生きた日々がリアルタイムで綴られた。最初はジャーナリストに憧れる学生だったワアドがスマホで撮った映像から始まる。自分たちのスケッチが歴史の証言となり、生きた証になる。このドキュメントを目撃しながら、安穏と同じ時間を生きていた己を振り返る。彼女たちがこんなふうにして戦っていた同じ時間、その時自分は何をしていたか、に思いを馳せる。同じ地球上で今もこんな残酷なことが起きている。目を背けるわけにはいかない。あんな幼子が目を逸らすことなくそこにいる。彼女のために、何ができるのか。胸に手を当てて考える。