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映画・演劇のレビュー

『どろろ』

2007-02-07 22:50:12 | 映画
 見終わった時、こんなに面白かったのに、なぜか少し不満が残った。それが何なのかは、すぐに分かる。映画はここで終わったわけではないのだ。ここからが、本当の始まりだったことに気付いた時、一刻も早くこの続きが見たいと思った。それが不満の正体だ。こんな気分はほんとに久し振りのことである。

 「おいら、まだ女なんかにならない」と百鬼丸(妻夫木聡)に向けて告白するどろろ(柴崎コウ)の姿を見た時、ちょっと涙ぐんでしまいそうになった。そうなのだ。次はどろろと百鬼丸が女と男として愛し合うまでを描く物語がこの後に続いていくことになるのだろう。それに、まだ体は24箇所しか取り戻してない。後24箇所が残ってる。

 それにしてもどろろを女に設定するなんて、なんて大胆な改変であろうか。しかも少女ではなく大人の女である。なのにこれだけのリアリティーを獲得している。これは驚きだ。この映画は柴崎コウでなくしては不可能だった。

 原田真の隠された傑作『タフ』は最初2部作として作られた。『タフ・誕生篇』そして、『タフ・復讐篇』である。あの時、原田は復讐篇の監督が出来なかった。その悔いがそれに続くタフ5部作を作らせ、さらには番外編である『ペインテッド・デザート』へと続いていく。原田の『復讐篇』がこの世にあったならその後の作品は生まれなかったろうと思われる。物事には始まりがあれば、終わりがある。その当たり前の事を感じる。原田のような後悔をさせないためにも、塩田明彦には、必ず『どろろ2』を出来るだけ早く撮ってもらいたい。

 この壮大な伝奇ロマンは、『スター・ウォーズ』から連綿と続く人間が旅を通して成長していく大河ロマン映画の歴史に決定打を示す作品である。『ロード・オブ・サ・リング』3部作がなぜ失敗したのか、その答えもここにはある。

 SFXを駆使した雄大なスケールで見せる伝奇ロマンが一番大切にしなくてはならないことは、主人公たちの感情の流れと、成長がきちんとリンクしていきながら、幾つもの試練を乗り越えていく(派手な見せ場とも共鳴していく)そんな骨太のドラマ作りである。技術なんていくら進歩しても役には立たない。作り手のハートと高い志が必要不可欠となる。塩田はオウム真理教を扱った『カナリア』で少年と少女の旅を通して現代の病理を見事に描いてみせた。今回『どろろ』はあの作品で描いたことを更なるスケールと普遍性を持って拡大再生したような作品だ。アート映画と娯楽活劇というスタイルの違いなんか、あまり関係ない。大切なのは、何をどう描くかであり、それがどう出来たか、そのことだけなのだ。

 『どろろ』は2人の孤児の物語である。戦争で両親を失った少女(どろろ)は、男としてこの戦乱の時代をひとり生きてきた。彼女が、体の48箇所を失って生まれてきた男(百鬼丸)と出会い、旅を続けていくことで、人が何のために生まれ、生きていくのかを知る。

 戦乱の中で、飢えと貧困を回避するため、子供を棄ててしまう大人たちに対して、どろろは断固立ち向かう。何があろうと自分の子供を棄てたりする親は許さない。その熱い思いがこの映画のテーマである。自分の子供たちを守るために、人間の子供を喰らい続ける、女妖怪との戦いはこの映画の前半のクライマックスであり、ここにはこの映画の全てが描ききれている。

 この後の百鬼丸が父親と対決していく、という本来のクライマックスが、あまり面白くないのは、父親の造形(彼の全国統一の野望がお題目以上には描けてない)に問題があるのだが、物語がどろろから百鬼丸へと移行してしまったことも大きい。

 もちろん映画はここで終わりはしない。百鬼丸への愛に気付いたどろろが今度は本来の自分を見つけ出すために再び2人で旅立つ。ここから始まる第2章がとても楽しみである。


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