テラヤマって誰だ? そんな人、知らない、という若い人たちが、演じることでテラヤマに触れる。彼の言葉の持つ力によって、自分を解放していく。テラヤマは自分たち自身だ。叫び、発するテラヤマの声が彼らにも、観客にも届く。
寺山修司の誕生から死までの47年間を彼の言葉により綴っていくのだが、これは寺山修司の伝記なんかじゃない。
テラヤマの入門書であるだけではなく、僕たち大人世代はこの作品を通して、30年も前に彼がたった47歳の若さで死んでいるという事実を改めて感じることになる。(なんと自分の年齢がもうとっくの昔に寺山の歳を越えていたのだ!)
彼が若くして死んだというイメージはなかった。あまりにも全力疾走ですべてをやり尽くした彼を20代で見ているから、彼はやり残したものなんかない、と思えるくらいにやり尽くした印象があったのだが、実際は全くそうではない。40代の若さでやり尽くせるわけもない。でも、巨大な遺書のような映画『さらば箱舟』をちゃんと遺した彼は自らの人生の最晩年の仕事も全うしている。
久しぶりにこの作品を見て、それをこの現代を生きる(21世紀の)20代の若い役者たちが演じるのが、なんだかとても新鮮だった。作、演出、音楽を担当した佐藤さんは、彼らに「何か」を教えようとしたわけではない。この作品を通してテラヤマと出会い、テラヤマの宇宙を生きる。それが、何かにつながる。芝居を演じることが、生きることにつながることを示唆した。彼らが体現する熱い塊を堪能した。これはそんな65分間だった。
テラヤマの言葉でその脳内を、佐藤さんの音と明かりと空間造形によって作り込まれた世界で表現する。断片の数々が形作る世界は、演じる彼らだけではなく、当然、見るもの(もちろん、観客、ね)を刺激する。アート館で上演した『SMオペラ』とは違い、小さな空間(カナリア条約)だからこそ、生きる、そんな作品だった。