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これはホラーではない。そこを期待したら肩すかしを食う。だが、そうじゃないところでは、これはとんでもなく怖い映画なのだ。描かれるのは、どこにでもあるような日常のスケッチである。ある夫婦の出会いから結婚、出産、育児の数年間が描かれる。イクメン・パパは他者からは素敵な旦那さん、と見られる。ブログの育児日記も好調だ。だが、現実はそうではない。妻夫木聡演じるこの夫が最初の主人公だ。妻は黒木華。夫の死後、彼女が映画の主人公になる。バトンを受け渡される。そして、タイトル上の主人公岡田准一が、映画が始まってからなんと40分くらい(推定)して初めて登場する。(僕の体感時間としては、そのくらい)
日常の裂け目から「それ」はやって「来る」。幸せそう(でもない)彼らの家(マンションだけど)を襲うのは何物なのか。化け物や祟りとか、が「来る」のではない。もっと得体ののしれないものだ。岡田演じるオカルトライター(?)が、霊媒術師の少女、小松菜奈(タトゥーのキャバ嬢)を連れてきて、という展開(ここからが本題なのだが)から、映画は奇想天外なところへと誘われる。そして満を持しての松たか子登場だ。呆れるやら、笑えるやら、何が何だかの怒濤の展開でクライマックスの大祈祷会になだれ込むのだが、この映画が描くのはそういうところではない。
娘が生まれる前に、妻夫木のところにやってきた謎の女は、「ちさ」と名乗った。だが、彼女はいない。同僚から会社の玄関で待っていると言われて降りていったけど、それらしい女はいない。後にわかるのだが、やがて生まれる彼の娘は「千紗」と名付けられる。「来る」の正体はあっけなくここでもう明かされている。だが、そこが謎解きではない。
体の半分を切断され死んでしまう妻夫木の哀れな末路。まだ、映画は半分くらいしか過ぎてないのにあっけなく主人公が退場する。その後の妻の子育てが描かれる。オカルト的なドラマが確かに展開していくのだが、まるでそういうことには興味なさそうに中島哲也監督はこの映画を展開していく。人間の心の闇を描こうとする姿勢は前作『渇き』や『告白』の続編を思わせる。パッケージングがホラーというだけで、実はこれはその2作とセットにした3部作という印象だ。恐さの質も似ている。
家族の物語である。育児ノイローゼ、育児放棄、虐待と連鎖していくある種のパターンを象徴的に描いた作品だとも言える。子どもはちゃんと見ている。だが、これはよくある子どもを主人公にしたホラーではない。わけのわからないものに取り憑かれた。理由はない。なぜ、自分たちなのかもわからない。だが、あれがやってくる以上戦うしかない。だが、彼らふつうの夫婦に戦う術はない。だから助けを請う。最後は強力な霊媒師である松たか子すら登場する。だが、簡単ではない。根源的な問題は何なのか。映画が描こうとするのは、そこである。子どもを産むこと、育てることは恐ろしい。だが、そこに立ち向かっていかなくては、幸せは来ない。