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映画・演劇のレビュー

『太陽の子』

2021-08-07 21:01:18 | 映画

広島に原爆が落ちた日に公開する。たまたまではない。確信犯的に。NHKの制作による映画で、すでにTVでパイロット版は放送されている。それの劇場版というわけではない。最初からまず劇場での上映を前提にして作られた。ほんとうなら大きな劇場で拡大公開されてもいい。まぁ、この映画自身は地味な作品なので、たくさんの観客を集めることは現状では無理かもしれない。だけど、日本人なら、見るべきだ。そのための8月6日公開だろう。と、かってに盛り上がって公開日に劇場に行ってきた。確かに地味な映画だった。悪くはない映画だ。でも、なんだかもの足りないことも事実だろう。なんか納得がいかない。それはここに描かれていることが、どれもこれもきれいごとにしか見えないからだ。

ラスト近くのエピソード。比叡山の頂上に上り、そこから京都の町を見下ろす。特大のおにぎりを食べる。このシーンで泣けたならこの映画は傑作になれただろう。だけど、このシーンで僕はなんか醒めてしまった。違和感ばかりを感じた。それはないやろ、とも思った。母親や恋人(告白はできてない)に疎開を勧め、自分はここに残ると言う直前のシーン。傲慢すぎるその言葉。「次に原爆は京都に落とされる、だからふたりには死なないでもらいたい、ここから離れて欲しい、」と。そんな言い草はないだろう。「自分は科学者として目の前で原爆を見たい、」とも。そんな愚かさを肯定できる映画になっていて欲しかった。でも、そうはならなかった。だから、すべてが嘘くさくなる。

京都大学で原爆作成チームに加わっていた主人公と、彼の幼馴染の女性、軍人で彼の弟。この3人のお話なのだが、それなら彼ら3人の関係がちゃんと切なく描かれるべきなのだ。ほんとうならこの設定ならきっと感情移入できるはずだ。これは三角関係のラブストーリーの定番のはず。なのに、弾まない。もどかしい。映画のクライマックスの一つのなるはずの海で3人で過ごすシーンも、なんだか納得できない。あの時代に、男女3人があんなに無邪気に海で遊べたのか。いきなり三浦春馬演じる弟が自殺しようとするシーンも唐突すぎる。あんな時代でも彼らのように恵まれた人たちは食料にも困らず、生きていたのだろう。そんなことばかり、考えてしまうから感情移入できない。

いろんなところで、これは意図的な展開なのか、それとも失敗しただけなのか、それがよくわからない。あの時代に何の疑いもなくあんな大きな白米の握り飯を食べられること。原爆が投下された直後の広島に行き、現地調査をすること。しかも、短期間に2度も。そんなことが可能だったのか。僕にはよくわからないけど、なんかリアルじゃない。やはり描かれるいろんなことがきれいごとでしかない。きっとこれは事実に基づく映画なのだろうけど。


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