こういう大作ミュージカルが劇場で大公開され、映画館には人が溢れている。映画を見たみんなは拍手喝采して、劇場を出るときにはみんな笑顔で幸福な気分になる。誰もを幸せにする超大作。これはそんな映画。
だけど、残念ながら映画館には人はいない。公開2週目に突入したばかりなのに、もう1日1回上映で、僕が見た劇場はお客は5人だけ。予告編が始まって5分後に入場した時にはお客はなんと僕以外にたった1名だけだった。その後、本編が始まるまでに3人増えたみたいだけど(終わった後、客の数を数えた)わりと大きなスクリーン(劇場側のこの素敵な映画への精一杯の配慮だ、きっと!)だったのに、これでは寂しすぎる。
今の観客のニーズには合わないのだろうか。それとも、宣伝の失敗か? これだけの映画がこんなにも簡単に埋もれてしまっていいのだろうか。もう映画は死んでしまうのか。そんな気分にさえさせられる。これがアート映画ならなんとも思わない。でも、これは大衆のために作られた(というか、すべての観客に向けた)堂々たる娯楽超大作映画なのだ。なのに、日本の大衆にそっぽを向かれた。悪夢だ。
映画はこんな感じだ。主人公たちは貧しくとも、全力で生きている。NY、ワシントン・ハイツ。ドミニカからの移民の住むエリアを舞台にして、みんなが助け合い生きている姿が描かれる。周囲の優しさがあるから、誰もが頑張れる。そんなハートウォーミング。確かに甘いし、アナクロかもしれない。だけど、こういう映画を信じたいと思う。
すごいスケールのミュージカルで、お話よりミュージカルシーンのほうが長い、続々とすごいシーンのオンパレード。一瞬だってスクリーンから目が離せない。こんなに単純な映画がちゃんと力を持つためには、それを信じられるだけのパワーが必要だろう。まさかのスケールでの壮大なパフォーマンスが炸裂する。何百人(いや、何千人?)にも及ぶダンサーたちによるパフォーマンス。スクリーンいっぱいに溢れんばかりの人たちによるダンスが展開する。スクリーンに映る彼らの姿のすべてを見ることはできないから、必死に目を凝らしてあちらもこちらもと追いかける。ここを見て、あそこも見て、そこも見て、と忙しい。目まぐるしい。視界から零れ落ちる背景ではない彼らひとりひとりの演技が眩しい。
お話は甘いし、緩いし、こんなのリアルじゃない、メルヘンではないか、という陰口さえ聞こえてきそうだ。だけど、それでも「これでいいのだ!」と思う。監督のジョン・M・チユウ(あの『クレイジー・リッチ』を作った人だ!)のその心意気をよしとしたい。2時間24分の上映時間は確かに長い。今風じゃない。もっとスマートにまとめたほうが見やすい、という意見も出そうだ。だけど、そんな些末なことに耳を貸す必要はない。「すべてを見せたいんだ」という監督の想いを優先する。熱い。暑苦しいくらいに。これはそんな映画なのだ。すべてを受け入れよう。そんなおおらかな気分にさせられる。人を、そして人生を信じたくなる映画なのだ。