大好きなクラシック音楽、本、美味しいお店、旅行などの記録です。
休日はソファの上でリラックス!
ポリーニ「ショパン 夜想曲集」
ポリーニはピアニストにとって肝心のベートーヴェンのピアノソナタがダメなのでほとんど敬遠してきました。どのディスクも話題盤となるのでたまに試聴はしましたが細部の響きに拘りすぎて全体の構成の悪い変な音楽に私には聞こえました。
ただ、最近録音したドビュッシーの前奏曲集やショパンのバラード集はポリーニの冴えたタッチのピアノが音楽の世界を隅々までクリアに表出していて初めてこの曲の本質を聴いたような新鮮な驚きがありました。ポリーニのピアノの音は本当に美しい。私にはポリーニ再発見、再評価でした。
この夜想曲集も素晴らしい響き、音楽です。ピアノの音が磨き上げられてキラキラと光っています。スローテンポ、ミディアムテンポの音楽を雰囲気たっぷりに再現するのはポリーニが初めてではありませんが、激しい楽想の盛り上げ方、クリアな強音も含めた各曲の演奏、描き分けは天才だけがなし得る芸当です。毎日のように聴き惚れています。
それと演奏内容には関係ないですが、最近のポリーニ盤はジャケットがとても素敵です。よいディスクであることを想像させるいい雰囲気の写真が使われています。
夜想曲集はショパンの中では特に愛聴してきた音楽です。特にフランソワとピリス。この2枚があればもう十分で、これ以上のものは必要ないと思ってきましたが、新時代の名盤が生まれました。
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クレンペラー/ベルリンフィル「ベートーヴェン交響曲第6番“田園”」
ウィリアム・スタイロンの名作「ソフィーの選択」にソフィーが田園交響曲をラジオで聞いて涙を流すシーンがあります。
「やがてフィラデルフィア交響楽団がつぶやくように絃楽器をかなで、最初はためらいがちに、それから歓喜にみちた音を高まらせて、花咲く地球へ陶酔の賛歌を送ってゆく。」
アウシュビッツで生死を彷徨い、重い罪の意識を背負って生きることになったソフィーにベートーヴェンの音楽は生きていることの喜び、意味を感じさせてくれたのだと思います。花咲く地球への陶酔の賛歌という言葉がとても好きです。
このクレンペラーとベルリンフィルの1964年5月31日のライブ盤の存在は全く知りませんでした。第4番と第5番のベルリンライブ盤が近々発売されるとのことでその関連で存在を知りました。クレンペラーは最も好きな指揮者の一人ですが、掘り出しライブ盤は外れが多いので最近は店頭で見ても素通りしていました。
しかし、ベートーヴェン盤となると無駄遣い覚悟でトライせずにはいられません。
クレンペラーらしいテンポの遅い大きな演奏です。もっとがっちりした音作りかと思いましたが、田園だからでしょうが全般的に歌っていて流線型の旋律も聴かせてくれます。第4楽章での爆発もありません。はじめは物足りなさを感じましたが、ベートーヴェンの音楽の良さがはったりなしにストレートに伝わってきます。余韻の残る音楽、噛めば噛むほど味が出るスルメタイプの演奏といえましょうか。
この第6番には流れるような旋律美と激性を合わせ持つワルターの名盤やべーム/ウィーンフィルによる来日時の絶品ライブ盤がありますが、この水準になるともう順番付けは意味がありません。ベートーヴェンの名曲を感動的に再現してもらったことへの尊敬と感謝です。
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テンシュテット/南西ドイツ放送響「マーラー交響曲第4番」
第4番はマーラーでは一番聴かない曲です。室内楽風の単調な出だしからなんとなく先を聞く興味が薄れるからでしょうか。
テンシュテットもマーラーのスペシャリストとしてファンが多いことは知っているのですが、組むオーケストラの機能が若干落ちるのでうまく表現されないのかどちらかというとやりすぎの感を持っていました。特にロンドンのオーケストラとの正規盤では首を傾げたくなりましたが、北ドイツ放送響などとのライブ盤(海賊盤?)はとてもよい印象を持っています。先日発売された来日時の第5番のライブ盤はよかったです。
HMV渋谷店でアバド/ベルリンフィルとの新盤と並んで試聴コーナーにありました。アバド盤は想像どおりの美しくて繊細な演奏、これでは買う気になりません。一方で、期待せずに聴いたテンシュテット盤はメリハリが効いて透明感のある音楽、ズシンという重量感に聴き入ってしまいました。以前ワルターのライブ盤で聴いたような印象です。購入しました。
1976年のライブですが録音が素晴らしくクリアです。もの凄く響きのよいホールの最高の席で聴いているようです。驚異的です。
当たり前ですがこの第4番もマーラーの音楽だなあという印象を持ちました。初めてこの曲を第1楽章から第4楽章までじっくり聴いたという後味がありました。矛盾するものを同時に包含している人間を表しているまさにマーラーの音楽、ラジカルな演奏です。ドイツのオーケストラはいいです。テンシュテットとは相性がいいと思います。この演奏でも吼えまくるところや深く抉るところがありますが、やりすぎによる音楽のシラケ、破綻がありません。
そして第3楽章アダージョの悲壮感、絶望感、陶酔感、天国的な愉悦感、諦観、そして宇宙的なスケール、まさにマーラーの音楽です。
これだけ深い第3楽章までの音楽の後の第4楽章、ソプラノの音楽は単純な天国的な音楽ではありません。優しい祈りの音楽ではなく、荒れ狂う嵐の中で力強く大事なものを守る天使の音楽とでもいえるのでしょうか。旧約聖書は道徳の説教集ではなく、傲慢な闘いの物語であることを思い出しました。
マーラー演奏は好みですが、個人的には納得できる、とても説得力のある演奏だと思います。
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エマール/ヨーロッパ室内管「モーツァルト ピアノ協奏曲第6番他」
衝動買いです。音楽ショップでモーツァルトのピアノ協奏曲が流れていると思わず買ってしまうことが多いです。ショップに寄るのは仕事帰りが多いので、疲れたなあという虚脱感と解放感を感じている中でモーツァルトの天国風の音楽を聴かされると抵抗できなくなってしまいます。
HMV渋谷店に入ると素敵なモーツァルトの音楽が流れていました。キャッシャー横の「NOW PLAYING」を見るとクレーメルのバッハ無伴奏が置いてあったので、店員に今かかっているのは何ですかと訊くと、新人のようでこのディスクですと笑顔でクレーメル盤を掲げてくれたので、違うと思うのですがと言うと、先輩格の方がこのディスクが置かれているコーナーに連れて行ってくれました。
エマールというピアニストは初めて知ったのですが、ヨーロッパ室内管の弾き振りなのでそれなりの実力が認められている奏者なのではないかと想像します。名前の感じとデュトワ似の顔付きからしてフランス人でしょうか。
家に帰って、始めから聴き直しましたが、冒頭の第6番のヨーロッパ室内管の音が最高です。愉悦感溢れるとはモーツァルトの曲、演奏によく使われる言葉ですが、まさに愉悦感、生きていて良かった、なんと表現していいか分からない幸福感を感じる音楽です。録音も素晴らしい。
6番、15番、27番の3曲を収録しています。調性については長調が明るめで短調が暗め程度の知識しか持ち合わせていないのですが、同じ変ロ長調の3曲を集めてあるんだそうです。明るめの曲が多いのは分かりますがそれ以上の違いは残念ながら分かりません。
6番、15番はあまり記憶に残っていない曲ですが、このディスクの演奏は素晴らしいです。エマールのピアノは、バレンボイムやギーゼキングのように粒が揃った硬質なタッチではなくて、自然な、普通の、普通だけどオーケストラの音ととてもマッチしている響きがあります。それにヨーロッパ室内管の素晴らしい音楽によるサポート、絡み。弦のしなやかさと木管の響きは世界トップレベルにあるオーケストラだと思いますが、指揮者により結構響きの印象が違うことがあります。この演奏ではヨーロッパ室内管のよい面が引き出されていると思います。メンバーのエマールの音楽性への共感が強いのではないかと想像します。
27番はバックハウス/べーム/ウィーンフィル盤の印象が強すぎるのでどうしてもイマイチ感はどのディスクでもあるのですが、いいほうだと思います。
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新交響楽団「第191回演奏会」
今日は池袋の東京芸術劇場に新交響楽団の定期演奏会を聴きに行ってきました。大好きなアマチュアオーケストラです。
曲目は「シベリウス 交響詩“ポヒョラの娘”」、「シベリウス ヴァイオリン協奏曲」、「ドヴォルザーク 交響曲第9番“新世界より”」、指揮は渡邉康雄氏です。
「シベリウス 交響詩“ポヒョラの娘”」は初めて聴いた曲でもあり、特に印象には残りませんでした。
あれっと思ったのは「シベリウス ヴァイオリン協奏曲」です。独奏者はウクライナ出身のアナスタシア・チェボタリョーワ。1994年のチャイコフスキーコンクールで最高位を得たんだそうです。
実演では初めて聴きましたが、さっぱりとした若干早めのヴァイオリンです。この曲にはムターとチョン・キョンファの情感溢れる魂の叫びのような濃厚な演奏があります。この二人の演奏しか聴いたことがないので、このさっぱりとした演奏は意外でした。それと音がそんなに大きくなくか細い感じです。
だからでしょうか、オーケストラが音を控えようとしているのか、なんかぎこちない絡みです。結局、最後まで不一致感は続きました。変な意味でこんな音楽だったっけと首を傾げながら聴いていました。
休憩後のメインは「ドヴォルザーク 交響曲第9番“新世界より”」。たまにはメジャー曲を実演で聞きたいです。
渡邉氏の指揮は若干早めの音楽運び。オーケストラは前曲の不一致感を引きずっているのか、珍しく金管が合わなかったり、音程が少し外れます。
これまで新交響楽団の演奏は常にレベルが高く、弦の響きが艶、繊細さに欠けるのはアマチュア特有とはいえ機能的にはプロに近いとすら思っていたのですが、今回は初めてアマチュアオーケストラであることを意識しました。よく分かりませんが、指揮姿を見た印象では、常連の飯守氏や小泉氏と比較すると指揮者の統率が悪いような気がしました。
アンコールは、ドヴォルザークのスラブ舞曲、7番でした(何番かは分からなかったのですが退場する時に知りました)。ようやく油がのってきて勢いのある音楽の途中・・・グラグラ、ミシミシ・・・地震です。私は3階席で聴いていたので余計に揺れたのかもしれません。結構怖かったです。前に掴まりながら、もしかしたら演奏を中止するかと思いましたが、舞台では演奏が続いています。下のほうの揺れはそれ程でもなかったのかもしれません。いずれにしても無事でよかったです。
なんか辛口のコメントばかりになりましたが、水準の高い新交響楽団だからこその違和感について印象を述べさせていただきました。正直言って今回は満足したとまでは言えませんが、十分楽しめました。
次回は来年1月、ショスタコーヴィッチの交響曲第8番だそうです。超重量級の音楽、響き、機能に自信がなければ決して取り上げることの出来ない曲です。大いに期待したいと思います。
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「ダニー・ケイとニューヨークフィルの夕べ」
コメディが大好きです。映画ならジム・キャリーの「ライアーライアー」、マイク・マイヤーズの「オースティン・パワーズ デラックス」。日本のコメディアンであれば最近は東京デラックスが好きです(最近出たライブDVDはイマイチでしたが)。
クラシック音楽系なら勿論、ダニー・ケイとニューヨークフィルのライブです。抱腹絶倒といえば陳腐ですが、本当に笑えます。クラシック特有の形式ばっているところを面白おかしく誇張、突いて笑わせてくれます。クラシック音楽はモトがえらく真面目なものなので、様々なシーン、有名人などを対象にしたコメディはギャップが大きくて笑えます。ただ、決してバカにしているような笑いの取り方ではなく、クラシック音楽を愛しているダニー・ケイが愛情溢れるギャグを飛ばしているので不快感は全くありません。奏者のニューヨークフィルのメンバーも本当に楽しんでいます。
コメディを言葉にするのは野暮なので数々のギャグシーンの説明は止めておきます。ただただ可笑しくて笑えます。クラシック音楽が好きで良かったという幸せな時間を過ごせます。
特に前半が秀逸です。もう50回以上観たかもしれません。何度見ても笑えます。使われている音楽も「どろぼうかささぎ」、「くるみ割り人形」、「こうもり」、「アイーダ」などポピュラーな曲が多く楽しめます。
ダニー・ケイは、谷啓が名前をもじって芸名にした元のコメディアンくらいの知識しかなく、この映像以外の映画などは観たことがありません。
おそらくコメディ映画に主演していた全盛期ではなく、晩年に近いのではないかと思いますが、パワー全開、ギャグ全開です。
こんな楽しい映像ですが現在は製造中止になっているのかもしれません。早くDVDにしてもらいたいと思います。
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クレーメル「バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」
先日、最も愛聴してきたディスクとしてシェリング盤を取り上げたバッハの無伴奏、クレーメルによる新盤です。
クレーメルのヴァイオリンの音は刃物のように切り刻む音で基本的に好きではありません。始めに強めのアクセントを置くキンキンした演奏は頭が痛くなります。特にバッハの無伴奏は煩くない演奏が好きなので、世評高い旧盤は聴いていません。
ところが、音楽ショップでこの新盤をちょっと試聴したところ、なんだこの演奏はという驚きがありました。店内を一周して暫く考えた後、やっぱり聴いてみたいという気持ちがあったので購入しました。クレーメルのディスクを購入するのはピアソラのディスク以来だと思いますが、その前は何だったか覚えていません。
冒頭のソナタ第1番のアダージョからしてこれまで聞いたことがないような演奏です。ヴァイオリンの奏法の呼称を知りませんが、溜息をつくような大きく弧を描く演奏、ヴィブラートを抑えてさっと弾いてすっと消えるような演奏など通常、この曲で聴き慣れた響きとは異なる音楽が聴かれます。ところが決して作りモノ臭さがなく、必然であるような納得感、説得力があります。
続くフーガも同じ傾向ですが、クレーメルの地というか刻む音色が出てきて、聴いていて、ある程度の緊張を強いられます。
その後も聴き慣れない演奏とクレーメルだなあと思える演奏とが続いていきます。有名なシャコンヌも含めてシェリング盤で聴かれるバッハの例えようのない純粋さ、地平線の先までずっと拡がっていくような空間感とは異なる演奏です。こういうバッハもあるんだという驚きに考えさせられます。ただ、決して文学的な胡散臭さはなく、音楽的な真摯で多面的な演奏です。
このディスクが愛聴盤になるかどうか現時点ではよく分かりません。オーソドックスな演奏でもない、古楽器風の響きを特徴とした演奏でもない、クレーメルによる興味深い演奏です。もう何度か聴きましたが魅力的なディスクだと思います。
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むさし(広島市)
広島に2年間住みましたが、広島を訪れて食べるべきもの、美味しいものは、お好み焼きではありません。意外かもしれませんが、おむすびです。フツーに家庭で食べる、なんの衒いもないおむすびです。それがとてつもなく美味しい。
お米の名産地でもない広島のおむすび(おにぎり)がどうしてこんなに美味しいのか経緯はよく分かりません。新潟の魚沼コシを使っていますという高級惣菜店のおにぎりもコンビニのおにぎりも食堂で出されるおにぎりも、家庭でお母さんが作ってくれるおむすび、お弁当箱に入っているおむすびとは違うことはお分かりと思います。一方で広島の店で出されるおにぎりは普通の家庭で作られているおむすびです。
何故、広島の店で出されるおにぎりが家庭の普通のおにぎりで、その他のおにぎりは家庭で出されるおにぎりとは違うのか。保存の問題なのか、食感の好みの問題なのかよく分かりませんが、広島では、老舗というのは憚られる庶民派の「むさし」が作る美味しいおむすびがスタンダードとなって全体を底上げしているのかもしれません。
広島に行く機会があり、帰りの新幹線用にお弁当が必要であれば、是非、広島駅1階にある「むさし 新幹線店」のおむすびを試していただきたいと思います。写真の妻も大好きな定番「銀むす」(420円)でも、のりを巻いた俵型むすびでも、いろんなバリエーションもあります。全国区ではありませんが、間違いなく日本一のおむすび、日本一のお弁当を味わうことができます(勿論、お母さんが作ってくれるおむすび、お弁当を除いてのことです)。
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グールド「ブラームス 間奏曲集」
ジャケットの良さでディスクを選ぶのなら、私はグールドの「ブラームス 間奏曲集」です。アップした写真は全体的に暗くて薄いのですが、実際はもっと濃いセピア色でグールドの顔は薄いオレンジ色くらいです。
このジャケット写真にぴったりの瞑想的で諦観に溢れた何とも雰囲気のよい音楽、演奏です。聴衆など眼中になく、グールドがただ自分のために自室で演奏しているようです。
力強く美しい4つの交響曲や協奏曲と異なり、ピアノ音楽ではブラームスの地が生々しく表現されているのか、かなり暗い音楽も含まれています。従って、このディスクを誰にも推薦できる名盤というのは憚られるのですが、1曲目の冒頭を聴くだけでもこのディスクを聴く価値はあると思います。
今回、改めて聴き直してみましたが、以前は好みではなかった後半の構造がはっきりしない音楽、無機質で現代音楽にも通じるところのあるような音楽、演奏に聴き入ってしまいました。
こういう再発見も楽しいです。このディスクをLPで購入して初めて聴いてからもう15年以上が経ちます。
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ギレリス「ベートーヴェン ピアノソナタ第30番&第31番」
ピアノのディスクの中でグールドのゴルドベルク変奏曲と並んで特に愛聴してきたギレリスによるベートーヴェンの後期ピアノソナタです。
たまにですが、私がクラシック音楽ファンだと分かると何かお薦め曲はないかと訊いてくる人がいます。まあほとんどの場合は社交辞令なので適当に答えておくのですが、本気で何か聞きたいんだなと分かるとどういう系統の音楽をイメージしているのか訊ねます。よく分からないけどピアノとかオーケストラとかでお薦めをという話しになるのでベートーヴェンのピアノソナタとモーツァルトの交響曲のディスクを数枚貸して差し上げることになります。
ベートーヴェンは中期の傑作を集めているディスク2枚に、このギレリスによるディスク。その結果、感激した方からこのディスクは本当に凄いねと言われることもあります。前置きが長くなりましたが、私にとってこのディスクは愛聴盤であるとともに自信を持って初心者の方にもお薦めできるディスクです。好みを超越して人の心を揺り動かす力があると思います。
ベートーヴェンのピアノソナタ全32曲は名曲揃いですが、昔の巨匠のオーソドックスな演奏を好みます。バックハウス、グルダ、アラウ、ゼルキンであればどれも感動的で間違いはありません。
ただ、30番と31番はギレリス盤がいいです。死の前のラストレコーディングとなったもので、抜け切った諦観による純粋な音楽といったらいいのでしょうか、厳かな響きが聞かれます。
ラストレコーディング、最後の演奏会というとバックハウスのシューマン、カラヤンのブルックナー、リパッティのショパンなどを思い出します。晩年精度が落ちてきた演奏が最後の最後に芸術家の意地でしょうか、純粋な芸術として結実しています。
その中でもギレリスのベートーヴェンは特別で、私にとってこの世に存在する最も素晴らしいディスクの一枚です。
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