シェリング「バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」


 私がご推薦するまでもないバッハの傑作、シェリングによる名演奏。この世に存在する最も純粋な音楽。随分前から取り上げようと思っていたのですが、何を書いていいのか分かりませんでした。別に何も書かなくていいんだということでようやく気持ちの整理がついたのですが、折角なので、TDKから発売された1976年4月の来日ライブ盤との比較について。

 テンポやビブラートのかけ方などに若干の違いはあるのですが基本的な演奏スタイルは同じです。ノンビブラートでさっぱりした味わいがライブ盤にはあります。ライブなのにこんな高水準の演奏を維持できることに驚きます。

 まず聴くべきは落ち着きがありノーブルな1968年のスタジオ録音盤です。静かで深い感動があります。これに感動された方なら来日ライブ盤も満足いただける演奏です。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「真昼の決闘」


 暇潰しに本屋に入ったところ、往年の名作映画DVDが500円均一で売られていました。映画はとんとご無沙汰というか、観たいのですが最近は優先順位が低くて諦めモードです。TSUTAYAのカードもおそらく期限が切れていると思います。

 普段は素通りするところですが、連休続きの解放感か、500円という安さに引かれたのかいろいろと手に取って見てみました。結局、「市民ケーン」(1941年)、「素晴らしき哉、人生」(1946年)、「自転車泥棒」(1948年)、「真昼の決闘」(1952年)の4本を購入しました、2000円。真昼の決闘だけは観たことがあります。

 早速、「真夏の決闘」を観ました。ゲーリー・クーパーの正義感、老体に鞭打って町の協力を得られない中で一人で闘う様は覚えていましたが、汽車が到着するまでの1時間20分をリアルタイムで描いて緊迫感を出していること、極限まで無駄(セリフ)を省いて動き、表情に語らせる手法などは今回気付きました(ラストの素っ気なさは最高)。いずれにしてもとても面白かったです。西部劇の単純さは分かり易くていいです。
 84分です。最近の映画は2時間を超えるので途中で必ず眠くなります。昔のように90分程度で創ってもらえればもっと劇場に足を運ぶのですが。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

パタネ/ミラノ・スカラ座「ヴェルディ リゴレット」


 クラシック音楽ファンで海賊盤を含めたディスクをコレクションするのが好きな方であれば、お好みのライブ爆演があると思います。
 ゲルギエフのヴェルディレクイエムのように正規盤で聴かされると“それはいくらなんでもやりすぎだよ”と食って掛かりたい演奏でも、ライブの海賊盤となると凄い!と思えるから不思議です。

 以前はよく海賊盤を探しに渋谷の音楽ショップに通ったものですが、最近はあまり海賊盤を見なくなりました。クライバー、チェリビダッケなどのライブ演奏が正規盤で出だしたこと、何らかの規制が強化された(?)、ショップが自粛している(?)ことが理由でしょうか。

 私が大好きな爆演は海賊盤ではありませんが、新潮オペラブックという以前発売されていた企画盤でのヴェルディのリゴレット、1970年4月6日のミラノ・スカラ座でのパタネ指揮の演奏です。オペラではヴェルディ、モーツァルト、ワーグナーと大好きな曲が沢山ありますが、強いて一番好きな曲を挙げるとなると今のところリゴレットでしょうか。

 この演奏の面白さは解説書にも「歌手たちのあまりの白熱の名演ぶりに、観客も頭に血が上って、アリアなどが終わらないうちに拍手や歓声を飛ばしている(それに対して「シー、シー」と制している様子も聴こえる)」とありますが、現地ではオペラはこういう風に聴かれてるんだという発見があります。
 最大の当たり役であるリゴレットを歌っているカプチッリもアリアの最後を伸ばーーーします。これは歌手がノッた時に臨機応変にやっていることなのか、指揮者の指示なのかよく分かりませんが興奮させられます。気合の入った歌が続き、えっ、そんなところでブラボー入るのという驚きもありますが、パタネというメジャーではないけど優秀な地元指揮者の時には観客が自然な感情を遠慮なく表しているのでしょうか。

 因みにリゴレットはこのディスク以外ではムーティのスタジオ録音盤が何といってもいいです。その後すぐに再発売されたスカラ座ライブ盤や世評高いカラス盤、ジュリーニ盤は好みではありません。

 このシリーズを企画した永竹由幸さんは、元商社マンの愛好家から転じて、クラシック関係の事業、評論、大学講師などをされている方で私の大好きな執筆者の一人です。ヨーロッパでの劇場経験豊富でそれを何ともいえない自然な表現で伝えてくれます。永竹さんの解説書が欲しくて同シリーズのワーグナー指環も買いました(演奏のマゼールのバイロイト盤はいまいちですが)。永竹さんがいなければこのライブ演奏も日の目をみなかった訳でありこの慧眼に感謝したいと思います。

 高いお金を払っても日本ではこのような爆演が実際に聴かれることは稀です。正規盤でも海賊盤でも構いませんが凄演を疑似体験できる機会があるとうれしいです。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

シノーポリ/ドレスデン・シュターツカペレ「ヴェーベルン管弦楽曲集」


 新幹線の中で「吉田秀和全集23」をじっくりと読みました。朝日新聞やレコード芸術での連載をまとめた今のところ氏の最後の著書です。随分前から最近新聞に吉田氏のコラムが載らなくなったなあと思っていたのですが、夫人を亡くされてから休止していたんですね。
 吉田氏の著書では新潮文庫の「世界の指揮者」をフルトヴェングラーやクレンペラーなど往年の名指揮者にのめり込む度にその章を読み返していました。実際に演奏会を体験した者にしか分からない印象、指揮者の生の姿の描写にまずは羨ましさを覚えましたが、他では読めない説得力がありました。特にべームやマゼールなどどう捉えてよいか分からない指揮者の章が面白かったことを覚えています。
 朝日新聞連載のコラムも以前は、「~かしら」という上品な言い回しや新人や日本人奏者に対する「~という人」という表現に違和感を感じていたのですが、いつからか氏の自由で爽やかな文章に魅了されるようになりました。

 取り上げられているディスク、コンサートに魅力的なものが少ないのは世の趨勢でありいたし方ありませんが、音楽だけに捉われない(それでも一流はクラシック音楽に関する文章ですが)円熟の吉田節に溢れています。老いてなお若々しいというと褒めすぎでしょうか。

 内容は必ずしも推薦盤紹介ものではありませんが、この手の著書の出来がよいかどうかはやはり読んで実際にそのディスクを買いたくなるかどうかだと思います。
 今回無性に聴きたくなったのは、ヴェーベルンです。2~3回取り上げられていて、「あの長い辛い夏の間-何度くり返しきいたことか。強い緊張を胚んだ静けさの中で、ごく少しの音から聞こえてくる清らかなメッセージ。」と書かれると聴かざるを得ません。

 私が聴いたことがあるヨーロッパ系の現代音楽でメロディを覚えているのはグールドの「新ウィーン学派のピアノ曲」とベルクのオペラ「ヴォツエック」くらいだと思います。グレの歌、浄夜、トゥーランガリア交響曲など現代音楽のディスクは複数枚持っているので聴いたことはあると思うのですがどういう音楽かは覚えていません。ヴェーベルンは間違いなく聴いたことはありません。

 とてもいいです。吉田氏の文章に洗脳されたのもあると思いますが、爽やかで脳に染み入る癒しの音楽というのでしょうか。予想外に聴き易い音楽です。難しい音楽技法については不知ですが、今の私には意味の分からない現代音楽というよりロマンティックで内容のある音楽に聞こえます。何がどういいのか上手く言い表すことが出来ないのでこれ以上については現時点では省略させていただきます。

 吉田氏が推薦している3枚、カラヤン盤、ブーレーズ盤、シノーポリ盤に、夏風の中でが入っているベルティーニのディスクを聴きました。
 シノーポリ盤がよく聞こえます。「夏風の中で」、「パッサカリア」、「管弦楽のための6つの小品」、「管弦楽のための5つの小品」、「交響曲」、「協奏曲」、「変奏曲」と有名曲が収められています。ブーレーズ盤は玄人向けなのでしょうか演奏が客観的で素人には曲の魅力がすぐには伝わってこない、カラヤン盤は若干表現がゴージャスすぎるのと「夏風の中で」が入っていない点で若干問題があるように思えました。
 ヴェーベルンを知り新しい発見、感動がありました。もう少し現代音楽の世界を体験してみたいと思いました。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ゲルギエフ/キーロフオペラ「ムゾルグスキー ボリス・ゴドゥノフ」


 ムゾルグスキーによる傑作オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」です。このオペラの魅力は何といってもバス、男性の低音の歌声です。一般的にオペラは主人公のテノールとソプラノによるアリアを聞かせどころとしますが、このオペラは主人公をはじめ、バスが歌う時間が長くて独特の暗さ、力強さを持っています。ロシアを舞台にした陰謀、野心、苦悩ありの暗くて重い政治ドラマによく合っています。
 民衆のコーラスの宗教的ともいえる真摯で力強い歌声の絡みも絶品です。私にとってこの曲はバッハにも似た癒しの音楽、気持ちをクールダウンさせてくれる音楽です。
 このオペラの難点はコーラスが登場しない中間部分が若干冗長なことです(改訂版)。内容は分かっても直接言葉を聞き取れない我々には辛い時間帯もあります。この曲を聴くのは上質のバス歌手を揃えた優秀なディスクに限ります。

 「ボリス・ゴドゥノフ」は私が初めて劇場で観たオペラです。NHKホールでのアバド指揮/ウィーン国立歌劇場、映画監督のタルコフスキーが演出した公演でした。宣伝文句に「アバドの伝家の宝刀」などと書かれていたものです。音響がよくなくて音楽ははっきりとは聞き取れなかったのですが、大きな鐘が左右に揺れたり、暗殺した皇太子の亡霊(白い服を着た子役)が出てきたりと、演出、舞台の面白さのほうをよく覚えています。

 そのアバドとベルリンフィルによる演奏会形式のライブディスクを長らく聴いていたのですが、ゲルギエフ/キーロフオペラ盤を聴いてぶったまげました。音楽の深さが違います。同じ曲とは聞こえないです。さすが地元の演奏は一味違うということでしょうか。アバドは単なるメロディ、ゲルギエフは内容も含めて深く掘り下げてある音楽です。
 以前は国民楽派(?)というのでしょうか、土俗的な曲はカラヤンやクーベリックなどが味のある演奏を聴かせてくれましたが、最近はチャイコフスキーを演奏できる指揮者といえばゲルギエフくらいしか思い出せません。オーストリア、ドイツ、イタリアだけでなく、ロシア、東欧ものの担い手の登場を期待したいです。チョン・ミュンフンはチャイコフスキーは振らないのでしょうか。

 なお、このディスクには原典版(1869年版)と改訂版(1872年版)とが収録されています。原典版にはオペラのお約束であるソプラノのアリアがなかったので、新たにソプラノ役を作って彼女がメインで登場する幕を増補したのと、ラストシーンを手厚くしたのが改訂版です。私はこの増補部分は魅力的な箇所もあるのですがどうしても必要だとは思わないのでぎゅっと締まっている原典版のほうが好きです。
 いずれにしても2つの版を録音するとはさすがにタフなゲルギエフです。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ジョン・レノン「ダブル・ファンタジー」


 ジョン・レノンの遺作です。傑作にして問題(困惑)作。何が問題かは聴いていない人には勿論分かりませんが、聴いたことのある人には説明する必要はありません。全17曲のうち半分を占めるオノ・ヨーコの歌です。

 特に2曲目、冒頭の名曲「スターティング・オーヴァー」の次に、オノ・ヨーコの「キス・キス・キス」が流れ出します。「あなた、抱いてよ、ねー、抱いて、キス・キス・キス・キス・ミー・ラブ、抱いて」という奇声で始まり、後半は、悶えて、「もっと、もっと、おおー、あなたー、アー、アー、アー」という喘ぎ声になり、オノ・ヨーコが盛り上がり、そして果てます。とても聞いていられません。4曲目も「あ、ぁーん、あ、ぁーん」で始まりますし、その他、松田聖子ばりのぶりっ子ソングなどなど。酷いものです。
 このジョン・レノンの復活作を多くのファンはどういう気持ちで聴いたのでしょうか。ボリュームを下げたり、スキップせずに聴き通せた方がどのくらいいたのでしょうか。

 しかし、このディスクにはジョン・レノンによる名曲である「ビューティフル・ボーイ」や「ウーマン」や「ウォッチング・ザ・ホイールズ」なども含まれており捨てがたい魅力があります。このディスクを一体どう捉えていいのか分かりません。
 多くの方がそうしたであろう対策、私もベスト盤を聴くことで長らく代用してきましたが、やはりオリジナルディスクの良さもあります。1曲毎にスキップしたりせずにうまくこのディスクと付き合う方法をいまだに探しています。

 名曲「スターティング・オーバー」です。日産のTVコマーシャルでも使われていますが、本当にいい歌詞ですね。

Our life together is so precious together
We have grown, we have grown
Although our love is still special
Let's take a chance and fly away somewhere alone

It's been too long since we took the time
No-one's to blame, I know time flies so quickly
But when I see you darling
It's like we both are falling in love again
It'll be just like starting over, starting over

Everyday we used to make it love
Why can't we be making love nice and easy
It's time to spread our wings and fly
Don't let another day go by my love
It'll be just like starting over, starting over

Why don't we take off alone
Take a trip somewhere far, far away
We'll be together all alone again
Like we used to in the early days
Well, well, well darling

It's been too long since we took the time
No-one's to blame, I know time flies so quickly
But when I see you darling
It's like we both are falling in love again
It'll be just like starting over, starting over

Our life together is so precious together
We have grown, we have grown
Although our love is still special
Let's take a chance and fly away somewhere

Starting over


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

トスカニーニ/NBC交響楽団「ロッシーニ序曲集」


 ワーグナーの熱狂的ファンがワグネリアンなら、ロッシーニ派はロッシーニアンなんだそうです。
 私のようなBGMとしてクラシック音楽を楽しむ人間はそこまで熱狂的にはなれませんが、ワーグナー、ロッシーニをそこまで惚れ込む人達がいることは理解できます。

 ロッシーニの音楽の旋律の楽しさ、躍動感にはモーツアルトとは違う愉悦感があります。モーツアルトのオペラは序曲も魅力的なのですがお楽しみは本編にぎっしり詰まっています。一方で、ロッシーニは序曲がオイシイです。時間の関係で残念ながらロッシーニのオペラを聴き通すことは稀ですが、そのエッセンスを序曲集で堪能することができます。通常、序曲集なんて初心者が聞くものかもしれませんが、私はロッシーニではこちらがメインです。
 
 選曲はディクスにより若干異なるのですが、外せないのは「セビリヤの理髪師」、「シンデレラ」、「どろぼうかささぎ」、その他「ウイリアム・テル」、「アルジェのイタリア女」、「コリントの包囲」などが入っています。どれも似たようなメロディ、似たような展開ではありますがなんともいえない単純なメロディを聴く喜びがあります。

 トスカニーニ指揮NBC交響楽団による演奏です。トスカニーニは、ローマ3部作は格別ですが、ヴェルディ、ベートーヴェンなどはあまりにも音が角張っていてそんなに好みではないです。しかしロッシーニの序曲ではうまく嵌っています。ただ、録音がモノなので通常であればパスなのですが、対抗馬のアバド、シャイーが私には物足りないです。ロッシーニの序曲では歌うことよりもインテンポでリズムをしっかり刻んで勢いを伝える演奏のほうを好みます。
 その点、新世紀の決定盤待ちの音楽でもあります。今のところ候補が見当たりませんが。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

シノーポリ/フィルハーモニア管「マーラー交響曲第3番」


 マーラーを聴くとその夜、悪夢を見ます。特にストレスが強い状況の時に聴くとかなりの高確率です。これは私だけのことでしょうか。どういう悪夢か内容は特に決まっていないのですが、ああやってしまった系、追い込まれて絶体絶命系などうなされて目が覚めるような夢です。
 マーラーを聴くと悪夢を見るという関連に気付いたのは4~5年前のことだったと思います。マーラーの本質はユダヤ人にしか理解できないのではと漠然と感じていたので、マーラーの曲が日本人である自分の深層心理にも影響を与えているんだと勝手に理解して妙に嬉しくなったのを覚えています。

 マーラーでは始めは劇的な第1番、第2番、第5番、大地の歌、第9番をよく聴きました。その後、第6番そして今回取り上げる第3番をよく聴くようになったのだと思います。

 マーラーの交響曲第3番は、大自然、地球、宇宙から天国まで時空を超えた壮大なスケールで描かれています。演奏者のスケールでは多人数を要する第8番が大規模な曲となるのでしょうが、楽想のスケールの大きさでは第3番が屈指の楽曲だと思います。複雑な楽想ですが、おどろおどろしい重さ(これがマーラーの良さでもありますが)はなく、第1番に似た爽やかさがあります。100分近くと長いですが楽しく聴き通すことができます。
 サロネン盤のライナーノーツに、第3番は第2番同様に、ソリストと合唱団を必要とするが、100分近い曲の中で合唱団は4分しか登場しないからプロの演奏家にお金を払って開催するコンサートとしてはあまりにも勿体ない。これまで第2番ほど演奏されなかったのは、曲の人気よりもこの興行師泣かせの構成にあると書いてあり成る程と思いました。

 好きなディスクはシノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団、アルトはハンナ・シュヴァルツによる演奏です。
 ただ、6~7種類しか聴いていないので、絶対のお薦めというものではありません。あくまで好みのディスクです。マーラー演奏ならほとんどよいバーンスタイン盤も他の名盤のような説得力はないように思えます。
 どこまで抉るか、どこからがやり過ぎとなるのかは個人の感覚、好みですが、全体的にシノーポリの演奏はとてもマーラー第3番の作風に合っていると思います。第5番ともどもシノーポリのマーラー演奏の中では好きなディスクです。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

バーンスタイン「バーバー 弦楽のためのアダージョ」


 9月11日が近づくと同時多発テロの第一報が入ってきた時、どこにいて何をしていたかが話題に上ります。
 私は出張で島根県の松江にいて飲み会の後、ホテルで寝ていました。10時頃部屋の電話で起こされ、先輩から「ニューヨークが大変なことになっているぞ。テレビをつけろ」と言われました。情報が錯綜していて、乗っ取られた航空機がまだ10機程度アメリカ上空を飛んでいるという報道がされていて、もしかしたら世界が終わりになるのではないかという恐怖を感じたのを覚えています。

 この惨劇の後にアメリカの作曲家バーバーの弦楽のためのアダージョが頻繁に演奏、ラジオから流されたそうです。ボレロのように悲痛なメロディを繰り返す心が洗われるような音楽です。バーバー本人は葬儀の際によく使われるようになったことを快く思っていなかったようですが、確かに葬式や悲劇に相応しい音楽に聞こえます。

 映画「プラトゥーン」の挿入歌にもなったので日本でも広く知られるようになったようですが私にはこの曲は何といっても「学徒援護会」でのBGMです。
 学徒援護会というのは西武新宿線の下落合にあった学生に日雇いの仕事を紹介する職安のような場所で、学生時代、お金が無くなるとよく通っていました。仕事内容、条件が書いてある紙が壁にずらっと貼ってあり、希望の仕事を申し込みます。応募者多数の場合は抽選となり、抽選結果が陳腐なランプで表示され、洩れたら条件の悪い仕事を選び直します。日雇い中心なので展示会の設営、後片付けや引越し手伝いなどに加えて工場でのラインに入る仕事もあったと思います。確か出来れば8千円/日以上の仕事を希望していて、洩れたら6千5百円/日、それでもダメな場合は5千5百円/日のアルバイトをしていました。
 そこで流れていたのが弦楽のためのアダージョです。学徒援護会に行くのはお金がなくて気分が落ち込んでいる時ですから、その時に聞かされた音楽を耳にすると以前は当時のことを思い出して気が滅入ったものです。最近、ようやく純粋に音楽として楽しめるようになりました。

 バーンスタイン指揮ロサンゼルスフィルによる演奏です。1983年のライブ演奏でバーンスタインのうなり声も入っています。バーンスタインお得意のゆったりとしたテンポで思い入れたっぷり、音楽に浸り溺れているような演奏です。有名なベートーヴェンの弦楽四重奏曲の弦楽合奏版などと印象が似ていて、もうベートーヴェン、バーバーの音楽ではなくて、バーンスタインの音楽じゃないかと思わせるところもありますが、それを超越した音楽への没頭に惹きつけられます。特に中盤以降の盛り上がりは聴いていて息もできないような時間が止まるのではないかと思わせるような緊張感と迫力があります。

 この録音も当初どのディスクで発売されたのか分からないのですが、私が聴いているのは「クラシック・イン・アメリカ」というアメリカの現代曲を集めた企画盤です。「ラプソディ・イン・ブルー」、「パリのアメリカ人」、「ウエスト・サイド・ストーリー」の他、コープランドの「アパラチアの春」、アイブズの「セントラルパーク・イン・ザ・ダーク」、「アンアンサード・クエッション」などの佳曲も含まれています。ヨーロッパの現代音楽は苦手ですが、アメリカの現代音楽(現代しかない?)は音楽の流れが自然でいいですね。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

リヒテル「ドビュッシー 版画」


 精神的に疲れていると骨格のがっちりした音楽、厚みのある音楽では満腹感があります。音楽など聴かずに読書したり、軽く運動するのがよいのでしょうがぼぉーとしたい時のBGMとして適しているのがドビュッシーのピアノ音楽です。

 版画は、「塔」、「グラナダの夕暮れ」、「雨の庭」の3曲からなる15分程度の小曲集です。前奏曲集と似た印象ですが、より叙情的、瞑想的なところがあるので癒しの音楽なんでしょうか。

 リヒテルによるライブ演奏です。瑞々しいタッチから描き出される音楽は表題どおり絵のイメージがふわっと広がるようです。強奏でも決してうるさくありません。ドビュッシー演奏は靄がかかっていてもクリアすぎても違和感がありますがリヒテルは最高の美音でこの世界を見事に描写しています。
 リヒテルによる版画を聴いたきっかけは、村上春樹のエッセイか何かで力が抜けるようなリラックス効果がある(?)と勧めてあったので探したものだと思います。リヒテルはこの曲を得意にしていたようでご紹介する1962年のローマでのライブ演奏の他に1977年のザルツブルグ音楽祭のライブがあります。おそらくもっとあるのだと思います。

 リヒテルは晩年の来日コンサートがパッとしなかったようで日本ではあまり評価されていないようですが、1958年のソフィアでの展覧会の絵、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番などでの力強さ、ド迫力は他のピアニストからは決して聴かれないものです。一方で、バッハの平均律やドビューシーでの繊細な美音は同じピアニストとは思えません。

 このライブ録音が当初どういうディスクで発売されたのかは分かりませんが、私が聴いているのは「イン・メモリアル1959-65」という企画ディスクに収められているものです。版画の他に、バッハ、ハイドン、ショパン、シューベルトなどがライブを中心に収録されていますが、全盛期のリヒテルの叙情的な面を満喫することができます。特にこのディスクの大半を占める1962年11月のローマでのライブ演奏が素晴らしいです。バッハ平均律、ショパン幻想ポロネーズは既出盤も傑作揃いですがここでの演奏も絶品です。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

バレンボイム/ロンドンフィル「ブラームス ドイツ・レクイエム」


 あまりにも美しい音楽、美しいコーラス。これほど声楽(特にコーラス)とオーケストラとが一体となっている美しい音楽もそうないのではないでしょうか。
 ブラームスの曲は全て素晴らしいです。交響曲、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、ピアノ曲などなど。真面目なロマンティストの作り出す音楽はクラシック音楽ファンであれば誰もが愛するのでしょう。ドイツ・レクイエムも格別です。
 声楽曲、レクイエムは数多ありますが、祈りの気持ちをここまで自然に音楽に昇華させた音楽はこの曲以外にないように思います。伝統的なラテン語、ミサの礼文ではなくブラームスが聖書のドイツ語訳から好きな文言を選んでそれに音楽を付けた曲なんだそうです。確かに他のレクイエムとは形式、雰囲気が違います。

 曲がよいので、はっきり言ってどの演奏も素晴らしいです。気持ちよく聴けます。カラヤン、クレンペラー、クーベリック、バレンボイム、ハイティンク、ブロムシュテット、ヘレヴェッヘなど。購入したディスクの中に転居の際に不燃物として紐に括られることになるディスクはありません。オーケストラの良し悪しもこの曲ではあまり気になりません。録音で聴く限りコーラスもあまり違いはないように思います。どの指揮者も全力投球したのでしょうか。
 印象の違いはスピードの違いだと思います。第1楽章9分56秒のクレンペラーから12分24秒のバレンボイム新盤まで。
 その中でどれがよいか。よく分かりません。どれも良いのと抜きん出ているディスクはないように思います。そこで現在の私のお好み盤です。
 バレンボイムの旧盤、ロンドンフィルハーモニックとの演奏です。バリトンはフィッシャー・ディースカウ、ソプラノはマティス。テンポは遅いのですが、たっぷりと歌って真摯な音楽が伝わってきます。迫力のコーラス、地響きするティンパニ、エレガントなオーボエ。シカゴSOとの新盤も同じ傾向でよいのですが、若干遅すぎてナヨナヨするところがあるように思います。

 いずれにしても本当に美しくて素晴らしい楽曲です。残念ながらまだ実演で聴いたことがないので是非一度体験したいと思っています。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )