レコード芸術9月号

 暇潰しも兼ねて普段立ち読みだけで買うことはないクラシック音楽専門誌を買ってみました。新幹線でじっくり読みましたが、面白いですね。すごく充実しています。ただ、残念なことに肝心の対象物に目新しい新譜が少ないので準A級~B級盤にそこまで労力を割かなくてもよいのではという感想を持ちましたが、そこはプロの評論家、執筆者なので突っ込まなくてもよいのでしょう。

 驚いた記事、興味深い記事、これは楽しみと思えた新譜情報などがいつくかありました(詳細は雑誌をお買い上げのうえご覧下さい)。

・ムーティは今年4月にミラノスカラ座の音楽監督を辞任していたんですね。知りませんでした。新シーズンのプログラムが紹介されていて多様な指揮者、演目となっていましたが、スカラ座の無形世界遺産であるヴェルディ演奏をどう引き継いでいくのでしょうか。パッとしないシャイーだけではどうにもならないと思います。ダニエレ・ガッティ?パッパーノ?誰かいるんでしょうか。

・2006年6月にメトロポリタン歌劇場が来日するそうです。椿姫、ワルキューレ(ドミンゴ)、ドン・ジョバンニだそうです。溜息が出ます。観たいですがチケット入手困難です。もし可能性があるとすれば、先行予約する3演目購入券でしょうね。18万円とか20万円なんだろうと思います。サラリーマンには無理です。

・ベルリンフィルの首席オーボエ奏者のアルブレヒト・マイヤーのインタビューが載っていました。ベルリンフィルのオーボエといえば私の世代はシュレンベルガーですが、マイヤーもとてもいいです。シューマン小品集が大好きです。オケとラトルの関係は良好で、英語で話してもらってもオケは理解できるが、現在、ラトルは覚えたドイツ語でコミュニケーションしているんだそうです。これからの演奏に期待です。

・新譜の中では、アーノンクール/ウィーンフィルの「ヴェルディ レクイエム」に注目です。同じ組み合わせの「アイーダ」は従来の演奏とは一線を画するものでとても斬新なものでした。アーノンクールが奇才であるのは分かっていますが、バロック音楽、ブルックナーなどはどうしても新譜を追いたいほどではありません。ただ、ヴェルディは注目です。CDでの発売のようですが、暫くしたらDVDが出るんじゃないの?と疑惑の発売ではあります。3~4ヵ月待って、映像が 発売されなければCDを購入しようと思います。

・特集の録音史100年における「エポックメイキング・ディスク50~新時代を拓いた音盤たち」です。この手の評価で共感できないのは、マリア・カラスとポリーニです。評判なのでディスクは結構持っているのですが感覚的に受け付けないので最後までディスクを聴けません(ポリーニのモーツァルト、ドビュシーを除く)。一方で、一度聴いて感動した後、再聴していないディスクがとても多いことに気付きました。これからゆっくりと楽しみたいと思います。

・この雑誌とは別のニュースですが、日本人として初めてバイロイト音楽祭の指揮台に立った大植英次さんは、来年の指揮の予定がキャンセルになったそうですね。「難解な演出であなたの音楽が十分出せるよう作り直すには時間がいる。また戻ってきてと総監督に言われた。いい経験になった」(大植氏)とのことです。先日のNHKのテレビでもオケと歌唱の音のバランスが悪かったとかで現地の新聞の評価もよくなかったと紹介されていたのでちょっと心配していました。日本人によるワーグナー演奏が始めて檜舞台にのぼっただけでも画期的なことです。大植氏は必ず再起してくれるものと信じています。


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プリテンダーズ「ラーニング・トゥ・クロール」


 8月26日に女の子の赤ん坊が生まれました。初めて見た時は我が子とピンときませんでしたが暫くするともう可愛くて仕方のない存在です。3250gと標準サイズですが、なんて小さくて軽くて周りの加護を必要とするか弱い生き物なんだろうというのが実感です。
 独身時代が長いと一人で生活することに慣れてしまい、3人で生活するなんてとても不思議な感じがします。3人での生活の始まりはまだ1~2ヵ月先のことでまだ実感はありませんが今から楽しみです。

 大好きなプリテンダーズの第3作「ラーニング・トゥ・クロール」です。1979年に数々のヒットを飛ばし華麗にデビューを飾ったプリテンダーズですが、その後、ベーシストをドラッグ中毒で解雇、ギタリストがヘロインの大量使用で死亡するという崩壊状態になりました。当時盛んだったチャリティライブの演奏でもとても聞けるような水準でなかったことを覚えています。
 もうダメになったんだなと思っていた1984年に登場したのが、復帰作であり最高傑作でもある「ラーニング・トゥ・クロール」です。リーダーのクリッシー・ハインドが子供を生んだ後、新メンバー2人を迎えた作品で、赤ん坊と再起を期すバンドとが這い這いを覚えるという意味なんでしょうか。
 収録されている「バック・オン・ザ・チェイン・ギャング」、「ミドル・オブ・ザ・ロード」、「ショウ・ミー」などのヒット曲のかっこよさには夢中になりました。叙情的な要素も含まれたミディアム・ロックとでも言えばよいのでしょうか。ロックファンから熱狂的に支持されて、著名ミュージシャンからも尊敬されるクリッシー・ハインドの音楽が確立された作品だと思います。

 「ショウ・ミー」の中の次の一節が好きです。


 Welcome to the human race
 With its wars, disease and brutality
 You with your innocence and grace

 ようこそ人間界へ
 この世界には戦争も病気も残虐行為もある
 でも無邪気で気品のあるあなた

 Welcome to a special place
 and a heart of stone thats cold and gray
 You with your angel face

 ようこそ特別な場所へ
 人の心は石のように冷たくて灰色
 でも天使のような顔をしたあなた

 Welcome here from outer space
 The Milky Way Still in your eyes

 ようこそ 宇宙からこの地へ
 瞳にはまだ銀河がきらめいている


 2004年2月の17年ぶりの来日公演を幸運にも観ることができました。渋谷公会堂に集った中年ロックオヤジの前でクリッシー・ハインド姐御は、相変わらずの粋なロックを聞かせてくれました。かっこよかったです。痺れました。オリジナルメンバーであるドラムのマーティン・チェンバースが復帰して姿を見せてくれたのもうれしかったです。
 赤ん坊にはクリッシー・ハインドほどの激動の人生は希望しませんが力強く生きて欲しいものです。




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スタインベック「エデンの東」(土屋政雄訳)


 今のところ今年ナンバー1の本。ジョン・スタインベックによる「エデンの東」です。なぜ今、「エデンの東」かというと、2002年の生誕100年の再評価の流れの中で、アメリカで影響力のあるブッククラブの選定図書となりベストセラーとなったんだそうです。それもあり、名翻訳家である土屋政雄さんによって新たに翻訳されました。エデンの東の新訳というだけでは手に取らなかったかもしれないのですが、マイケル・オンダーチェの傑作「イギリス人の患者」(映画題は「イングリッシュ・ペイシェント」)で全編詩のような小説を見事に日本語に置き換えた土屋政雄さんによる翻訳ということで購入しました。

 スタインベックの「怒りの葡萄」と「ハツカネズミと人間」は厳しく非情な現実の中で生きる人間の力強さ、優しさを感動的に描いた20世紀の大傑作ですが、「エデンの東」は早川文庫に収録されていたというマイナーさもあってか何故かこれまで読んでいませんでした。また、ジェームズ・ディーン主演の映画も観ていないので、今回、初めて接する物語となりました。

 19世紀後半から20世紀はじめの開拓時代におけるアメリカ西部、トラスク家とハミルトン家の3代にわたる家族のストーリーです。時代の動きに翻弄される人生、定住の地探し、結婚、子供の誕生、父の死、親と子の心の交流、親から子へ引き継がれる血の濃さ、そしてこの本のメインテーマの一つである兄弟間の愛憎が描かれます。
 また、欲望、虚栄心に惚ける利己的な都市での生き方と荒れた大地を耕し家族や近隣と支えあう地道な農村での生き方とを対比させて、現代人が忘れかけている大事なもの、人間の生活の原点を思い出させてくれます。トルストイの「アンナ・カレーニナ」を髣髴とさせるところがあります。
 単なる疑似体験に過ぎませんが、年に幾度か実家に帰り、そこで畑を耕したり、薪割りを出来ることに幸せを感じます。同じ運動でもジョギング、ゴルフ後とは違うビールの美味さ、筋肉痛、満足感が得られます。自然と共に生きること、田舎生活の良さを都会で生まれる我が子に教えることが出来るのかどうか、考えてしまいます。余談でした。

 本を読む楽しみは予備知識のないストーリーを1ページ1ページめくって一喜一憂することにあると思うので、ストーリーの詳細は省略させていただきますが、映画でジェームズ・ディーンが演じた青年期のキャルが登場するのは、全900ページ中の最後の1/3だけですので映画と小説は別のものだろうと想像します。

 人間誰もが犯す罪に打ち勝つのは、予定されていることでも、命令されてやることでもなく、可能なこと、選択できることだというメッセージに感動しました。
 全般的には決して説教臭いお話しではありません。近代化が進む時代の雰囲気を感じさせるシーン、ユーモラスな会話、人間臭いシーン、人間の心の不思議さを感じさせるシーンなど印象的な展開続きで気軽に楽しく読めます。構成力、オリジナリティ、芸術としての完成度からすると「怒りの葡萄」がスタインベックの最高傑作かもしれませんが、スタインベック本人も生涯最高の一冊と気に入っていただけあって、人間の魂の偉大さを生々しく描き切った点では「怒りの葡萄」にも匹敵する作品です。この手の真面目な成長物語は個人的にも大好きです。

 この歳になって、まだこんなに感動できる本に出会えたことに感謝したいと思います。土屋政雄さんにはもっともっと欧米の名著を翻訳していただきたいものです。



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ベーム/ウィーンフィル「モーツァルト交響曲第29番」


 これまでモーツァルトの交響曲を取り上げていないことには深い意味はありません。どの曲も、どの指揮者の演奏もほとんどが素晴らしいので、その時の気分で好きなディスクを聴く、それが自然な付き合い方だからです。ただ聴いて、楽しむ、生きている喜びを感じる。

 ところが、大好きな曲なんだけど、全ての指揮者の演奏がよい訳ではないのが交響曲第29番です。後期の第36番“リンツ”、第38番“プラハ”のような多様なメロディ、展開の楽しさ、第39番、第40番、第41番のような華麗さ、深さはありません。単調な一本調子の音楽といったらいいのでしょうか。ただ、モーツァルトのシンプルなメロディの魅力は言葉では言い表すことは不可能です。ピアノ協奏曲の魅力に近いといえるかもしれません。この単調さ故に、演奏が一様ではなく、テンポ、響きに注文を付けたくなるのかもしれません。失礼ながらヨーロッパ以外のオーケストラがこの曲を演奏するのをイメージできません。

 長らく愛聴してきたのが1972年録音のケルテス指揮ウィーンフィルの演奏です。この世の中にこんな美しい音楽、ふくよかな弦の響きがあるんだと溜息が出ました。この演奏、音に馴染んできたので、その他の指揮者の演奏を聴いても、シャカシャカ急いでこの曲の魅力を台無しにしているように感じました。音も濁っていて小さく聞こえます。

 今でもケルテス盤は素晴らしいと思います。ケルテスのモーツァルトは、レガートで演奏するので他の後期交響曲ではメリハリというか深みに欠ける印象はあります。それ故に瑞々しいモーツァルトになっていてこれが第29番ではぴたっとはまります。

 そこに新たに登場したのが、ベームとウィーンフィルのライブ演奏です。
 海賊盤を取り上げるのは何となく後ろめたい気もするのですが、単なる愛好家の個人的ブログですのでこの世に存在する最も好きなディスクをご紹介したいと思います。
 1973年6月のウィーンでのライブです。ゆったりとしたテンポですが気迫のこもった充実した音楽です。絶妙なバランスで勢いもあり音楽の単調な魅力を損なっていません。テンポが遅い分、モーツァルト音楽の香りが優雅に花開いています。
 それにしても、このウィーンフィルの響きです。とろけるような優しくて美しい音。ライブだけあってそこまで歌うんですかというくらい弦がゆったりと伸び伸びと歌います。弦だけでなく、ファゴットやホルンが伴奏する音楽での絶妙な絡みも格別です。

 このディスクは、秋葉原の石丸電気で見つけたものです。GNPとクレジットがあるのでそういう名称の海賊盤業者でしょうか。このシリーズは石丸電気でしか見たことないものです。このディスクには、第29番の他、第34番、第35番、第36番(いずれも1974年のライブ)が収録されていますがこちらも素晴らしい演奏です。

 なお、ベームとウィーンフィルの第29番は1977年3月の来日時のライブ演奏がTDKから発売されています。こちらは第1楽章ではテンポがさらに遅くなっていて弦の響きは相変わらず魅力的ですが、音が若干途切れがちです。一方で第4楽章ではまだまだ若さを感じさせる高速の演奏になっています(併録のドン・ファンもさすがと思わせる極上の演奏です)。79歳のべームも83歳のべームも素晴らしいと思いますが、1973年盤のほうが若々しい艶があって好きです(1968年録音のベルリンフィルとの正規盤はよくありません)。


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ヴァント/北ドイツ放送響「ブルックナー交響曲第4番」


 家でクラシック音楽を聴いていて、妻から「お願いだからボリュームを下げてくれない」と注意されるのが、ブルックナーです。関心のない人にとっては、金管が練習しているだけのうるさい音楽にしか聞こえないのだと思います。ごもっともです。私もうるさくて仕方ないと思えることがあります。

 クラシック音楽の森に奥深く入っていって最後に見つける巨木の一つがブルックナーの交響曲第8番なんだと思います。オーケストラで語り継がれる伝説の演奏会というと何故かブルックナーの第8番です。私も多くのディスクを聴いてきました。フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、ヨッフム、カラヤン、ジュリーニ、ハイティンク、チェリビダッケ、ブーレーズなど。この曲を名曲だと思っていた時期もあったと思います。しかし、この宇宙的なスケールの曲(?)は私には難解です。どうも良さが分かりません。ただ、いつの日かこの曲を好きになる日が来るんだと思います。コレクションはその時の楽しみです。

 ブルックナーで好んで聴くのは交響曲第4番と第7番です。ブルックナーファンの方にしてみるとメロディアスだけど第8番、第9番と比較すると深みに欠けるのかもしれません。しかし、第4番、第7番で聴けるなだらかで大きなカーブは他の作曲家の音楽からは聞けないものでとても魅力的です。牧歌的な音楽、大きな自然を感じさせる音楽です。

 数ある名盤の中でもお気に入りがヴァント指揮、北ドイツ放送響による交響曲第4番です。ヴァントが死ぬ前年2001年のハンブルクにおけるライブ「ザ・ラスト・レコーディング」というディスクに収められている演奏です。
 ヴァントはご存知のとおり1996年のベルリンフィルとのブルックナー第5番で再評価されました。84歳で世界の桧舞台に登場するというのは人生の不思議さ、人間の偉大さを感じさせてくれます。
 その後発売されたベルリンフィルとの第4番~第9番はどれも凄まじい演奏でした。続きを待ち遠しく感じたものですが、今となっては緻密すぎて聞いていて息が詰まるようです。よい演奏であることは分かるのですが愛聴盤になりません。

 その点、手兵である北ドイツ放送響との演奏は死を前に達観した音楽というのでしょうか、力が抜けてゆったりと大きく呼吸している演奏です。ホルン、トロンボーンなどの金管が全くうるさくなくて優しく響きます。ブルックナーはこうじゃなきゃなあと思います。


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カラヤン/キャスリーン・バトル「ニューイヤーコンサート1987」


 残暑お見舞い申し上げます。お盆休みの田舎の風景写真などを息抜きにアップしたいところですが、事情によりデジカメが貸し出し中なので見送りです。

 大好きなキャスリーン・バトルです。手許にあるキャスリーン・バトルの歌曲CDの録音年次をみると「ザルツブルクリサイタル」が1984年8月、「グレイス」が1995年11月なので、この10年間に一番活躍したんだと思います。
 最近も来日しているようなのでおそらくまだ現役なのでしょうが、表舞台からはすっかり姿を消してしまいました。透明感があって表現力も豊かで、なんといってもチャーミングな歌声を聞かせてくれました。オペラなどでKathleen Battleのクレジットがあるとそれだけで聴いてみたくなったものです。

 それが見かけによらずとんでもない我がままだったらしく所属していたメトロポリタン歌劇場から解雇されてしまいました。読んだところでは、オペラ公演でどんな役だろうと、終演後のカーテンコールで最後の登場を要求したんだそうです。確かにキャスリーン・バトルは上手くて人気もありましたが、それでも準主役級(キャサリーン・バトルはリリック・ソプラノなので小娘、召使などのコミカルな役が多い)が主役よりも後に出るなんてことはありません。温厚なジェームズ・レヴァインですら我慢できなかったのであれば仕方ありません。
 その後、どうなるのかと思っていたら、結局、もう有名歌劇場でのオペラには登場しなくなりました。ソロリサイタルとたまの録音生活です。大バカ者です。才能の無駄遣いに悲しくなります。

 そんな身の程知らずのキャスリーン・バトルですがその魅力には抗し難いものがあります。同世代に活躍した歌手でこれだけうっとりさせる歌唱を聞かせてくれる女性歌手はいませんでした。
 もうじき子供が生まれるのでどんな曲が子守唄にいいんだろうと考えていました。歌謡曲では夏川りみの「童神(わらびがみ)」ですが、クラシック音楽ではなんだろうかと考えるとキャスリーン・バトルが歌う「シューベルト 夜と夢」に思い当たりました。ジェームズ・レヴァインが伴奏するシューベルト歌曲集に入っている1曲ですが、こんなに優しい音楽、歌はそうありません。柔らかい絹の肌触りのような音楽。最弱音の透明感、消え入るような音にも想いが溢れるようにこもっている。レヴァインのピアノも素晴らしいです。キャスリーン・バトルはソロだとレヴァイン伴奏のディスクがなんといってもいいです。

 このシューベルト歌曲集を取り上げるつもりで聴き直してみたのですが、ディスク全体としては若干マイナーな曲が多く、自分でもこれまで夜と夢以外はあまり聴いてこなかったことに気付きました。
 そこで、キャスリーン・バトルのディスクをいろいろと聴き直してみました。感動的な黒人霊歌が入っているコンサートのディスクも捨て難いのですが、辿り着いたのはカラヤン/ウィーンフィルの「ニューイヤーコンサート1987」です。ウィーンフィルのニューイヤーコンサートとしては初めてソリストで登場して「春の声」を歌ったものです。NHKのテレビで見ていて、真っ赤なドレスを着た黒人女性が現れた時にドキドキしたのを覚えています。春の声は聴いたことはありましたが、歌付の曲とはこの時初めて知りました。弦やオーボエやフルートの音よりも人間の声のほうが魅力的であることを知ったのもこの演奏ではなかったかと思います。
 春の声に限らず、コンサート全体もカラヤンによるスケールが大きく絶妙のテンポのゆったりとした音楽です。当時はご多分に漏れず、クライバー=天才、カラヤン=録音技師と教科書で教わっていて賛同していたのですが、カラヤンのほうがいいなんてこともあるんだと感じたのを思い出します。

 クラシック音楽関係で今でも後悔していることが一つあります。1989年2月に真冬のニューヨークにいて、カーネギーホールでカラヤン指揮ウィーンフィルによるシューベルト未完成交響曲とウィンナワルツを演奏するコンサートが行われました。チケットはもちろん売り切れていましたが、当日劇場に行くとダフ屋がいて声をかけてきました。記憶が定かではないのですが、5万円か10万円くらいの値段だったと思います。学生にはとんでもない値段でしたが何故か出せる財布状態にあったことは覚えています。ただ、雰囲気に圧されて止めました。あまりにも場違いだと感じたからです。勇気を奮ってチケットを購入していれば・・・カラヤンとウィーンフィルのウィンナワルツを生で聴けた一生一度のチャンスだったんだと思いますが仕方ありません。

 キャスリーン・バトルを取り上げたのですが、またまたカラヤンの話しになってしまいました。


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ムーティ/ミラノスカラ座「再建50周年特別コンサート」


 さすが熱血漢リッカルド・ムーティです。やってくれます。第2次世界大戦で爆撃を受けて使用不能となり1946年に再建されたミラノスカラ座の再建50周年の記念コンサートの映像です。1996年5月18日に行われ、50年前にトスカニーニが指揮した再建杮落とし公演のプログラムと同じなんだそうです。
 熱いです。クールな現代人の我々にはこのような熱い男が必要です。疲れを知らないのでしょうか。

 昨日の仕事帰りに久しぶりに渋谷の音楽ショップへ寄りました。探していたディスクは見つからなかったのですが、気になる新譜が数枚ありました。
 まず、ラトル/ベルリンフィルのドビュッシーアルバム、牧神や海などです。牧神の冒頭はパユのうっとりするようなフルート独奏で始まりますと手書きの推薦メモにあるとこれは聞き逃せないぞと思うのですが、ベルリンフィルのゴージャスな音だけの演奏には最近要注意なのでまずは様子見です。ラトルは好きで、ベルリンフィル就任後の演奏もいくつか聴きました。高水準でよいと思うのですがまだ指揮者よりもオーケストラの方が雄弁でどうしても聴きたいという演奏にはなっていません。
 もう一枚、パッパーノ指揮/コヴェントガーデンによるトリスタンとイゾルデ、トリスタンはドミンゴです。ドミンゴのワーグナーはローエングリン、ワルキューレでも素晴らしかったのでトリスタンも聴いてみたいなあと思いました。パッパーノはプッチーニなどイタリアものはとてもよく安定しています。一方で、海賊盤で聞いた2001年のバイロイト音楽祭のローエングリンは伝統的な演奏とは異なる明るくて軽いイタリア風のワーグナーでした。オペラを得意としているのでおそらく悪くはないのだと思います。ただ、名盤揃いのトリスタンの中で輸入盤で7千円弱払うのはどうかなあと迷った結果止めておきました(いつか買うとは思うのですが…)。
 購入するディスクはないなあと思っていたところ、タワーレコードの映像コーナーに山積みされていたのがこのミラノスカラ座の記念コンサートの映像です。
 先日のプログで最近ムーティのディスクが少なくて寂しいと書いたばかりだったので飛びつきました。

 ヴェルディを中心にロッシーニ、ボーイトからの選曲です。50年前と同じプログラムとはいえムーティの得意曲ばかりです。「ウィリアム・テル序曲」、「ナブッコ序曲」、「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」、「シチリア島の夕べの祈り序曲」などなど。有名ピースに合唱曲やフレーニ、レイミーのアリアも織り交ぜたプログラムとなっています。

 正直言って、私はそれぞれのオペラの既出のライブ映像の演奏のほうがよりムーティらしさが力強く出ていて好きです。ただ、50周年という節目の一発勝負の記念コンサートだけあって弛緩するところがない高水準の演奏です。ムーティよりも旨くヴェルディを演奏できる指揮者は現在いません。トップクラスのスカラ座のオーケストラ・合唱団も映像で見る限り音楽学校の生徒のように言われたとおり淡々とやってますという感じなのですが、ここでしか聞けないヴェルディ、イタリアものの絶妙の音楽を聞かせてくれます。これが最近映像慣れしてきたベルリンフィル、ウィーンフィルとは違うところです。見た目素人っぽいですが地元はさすがに違います。

 有名曲集、有名歌手も3~4人出演するという映像は結構ありますが、それとは一線を画する緊迫感ある演奏です。円熟味の増したスケールの大きい演奏ともいえます。
 若手の発掘がうまいムーティにしては当時既に旬ではなくなっているフレーニを起用しているのはどうかなというのと、映像が高画像ではないのでその点はマイナスですが、イタリアオペラ好きの方、ムーティ好きの方であれば絶対に楽しめる映像だと思います。

(明日から夏休みに入り帰省します。暑中お見舞い申し上げます。)


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チョン・ミュンフン/パリ・バスティーユ管「ベルリオーズ 幻想交響曲」


 コンサートでよく取り上げられる曲にベルリオーズの「幻想交響曲」があります。私の数少ないコンサート暦でも3回も聴いています。パリ管弦楽団、新交響楽団、もう一つ名前は忘れましたが知人がいたアマチュアオーケストラです。

 魅力的な旋律、5楽章にわたる劇的な展開、素人にも分かり易い楽想、弦、木管、金管が単独パートでも絡み合うパートでも印象的なメロディを奏で、そして圧倒的なフィナーレを迎えます。聴いていても、おそらく演奏していても楽しい音楽です。クラシック音楽好きで幻想交響曲が好きではない人はいないと思います。ただ、ドボルザークの新世界交響曲、チャイコフスキーの交響曲第5番同様に聴き飽きたからもういいよという方はいるかもしれません。

 実演で聴いた中ではプロだから当然ですが、サントリーホールで聴いたパリ管弦楽団がよかったです(S席19,000円)。当時首席指揮者だったビシュコフとのものです。パリ管弦楽団で特に印象に残っているのは、その特徴的な音です。言葉では言い表わしにくいのですが、弦の音に透明感があって軽くて空間にふわっと出て消えていくような不思議な響きでした。それに冴え冴えとした木管、地響きする重量感のある金管。他の欧米のオーケストラと明らかに異なります。これはフランスのオーケストラの特徴なんだそうです。
 本拠地であるパリのサルプレイエルでもモーツァルトのピアノ協奏曲(ルプー)とブルックナーの第9番を聴きましたが(2階席1,500円)、同じような透明感を感じました。感じたというのは、サルプレイエルは音が響かないことで知られるコンサートホールでよく聞き取れなかったからです。ただ響きが悪いとは聞いていましたがそれ程ではありませんでした。

 脱線ついでに音の悪いホールについてです。何度改良工事をしても響かないことで悪名高いニューヨークフィルの本拠地であるエイブリーフィッシャーホール。ここの音の悪さは半端ではないです。15年以上前、クルト・マズア指揮でリストのピアノ協奏曲(レオンスカヤ)とブラームスの第1番を聴きましたが、舞台で演奏している音が客席に届きません。遠くのほうで鳴っている感じ。日本の非音楽系ホールでもここまで響かないホールはないのではないでしょうか。本拠地をカーネギーホール(こちらは響きすぎるくらいですが)に移す動きがあるのは当然です。バーンスタインはよく我慢できたと思います。

 幻想交響曲はどのディスクも水準が高くて楽しく聞けます。その中でもミュンシュ指揮パリ管盤がバランスのよい演奏で名演とされてきましたが、アジアが誇る名指揮者チョン・ミュンフンが振ったパリ・バスティーユ管盤も素晴らしい出来です。第1楽章の展開部における畳み掛けるような高速かつ滑らかなリズム処理は、この聴き慣れた音楽に新しい生命を吹き込んでいます。フランスのオーケストラの弦の透明感はなかなか録音にはとらえられませんが、ここでは弦の艶やかな音色が聞かれます。全般的にこれまで聴いたことのないフレッシュで流れるような演奏でこの曲の魅力を再認識させてくれます。
 チョン・ミュンフンは、棒さばきが強引すぎると批判されることがあるようですが、強引すぎてもオーケストラが理解、共感してくれるのであればこのような稀有の演奏を生み出すことができます(その後の解任劇は楽団幹部と金銭面で折り合わなかったからだと読みました)。

 以前はカラヤンの後継者などと言われていたビシュコフもチョン・ミュンフンも最近ディスクの発売が少なくて寂しい限りです(ムーティですら御無沙汰なのでクラシック不況は深刻なのかもしれません)。チョン・ミュンフンによるウィーンフィルとのドボルザークシリーズの続きやドイツ系の有名曲の新譜を聴きたいです。
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ウィーン楽友協会合唱団「モーツァルト アヴェ・ヴェルム・コルプス」


 本日8月9日は長崎原爆の日です。写真にある被爆したマリア像が浦上天主堂で公開されて報道されています。長崎に投下された原爆は本来福岡県小倉市の小倉飛行場に投下される予定でしたが当日曇っていたために長崎に変更されました。私の母親は小倉飛行場のすぐ側に住んでいたのであの日天候がよければ母は今いませんし、私もいません。
 その後、私は長崎で生まれて妻は広島で生まれました。2人とも無宗教ですが結婚式を先日亡くなったヨハネ・パウロ2世が来日の際に礼拝をあげたカトリック教会で行ったというご縁があります。
 式の前にいろいろとアドバイスしていただいたカトリック教会のヘルパーのMさんご夫婦から結婚式でいただいたしおりの文言です。結婚式の際にも読み上げました。原爆・戦争でお亡くなりになった方のご冥福をお祈り申し上げます。


平和を求める祈り

わたしをあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を 疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を 絶望のあるところに希望を
闇に光を 悲しみのあるところに喜びを
もたらすものとしてください
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを わたしが求めますように
わたしたちは 与えるから受け ゆるすからゆるされ
自分を捨てて死に 永遠のいのちをいただくのですから


 ご推薦するディスクは、カラヤン指揮/ウィーンフィル他の「教皇ヨハネ・パウロ2世により挙行された壮厳ミサ」(1985年)です。ミサ曲ハ長調<戴冠ミサ>もキャサリーン・バトルはじめソリストが素晴らしくいいのですが、大好きなのはディスク21の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」です。カラヤンではなくフロシャウアー指揮でウィーン楽友協会合唱団が歌っている2分50秒程度の短い曲です。ムーティ指揮/ベルリンフィルの「モーツァルト レクイエム」に併録されている演奏もとてもいいのですが、こちらは実際のミサでの演奏なのでパイプオルガン、コーラスの響きが厳かでとても感動的です。


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シノーポリ「マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ」


 実際に劇場で観たオペラの中で演奏内容とは別の意味で印象に残っているのが、イタリアのボローニャ歌劇場による「マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ」と「プッチーニ ジャンニ・スキッキ」のダブル公演です。東京渋谷のオーチャードホールでしたが、皇太子と雅子さんも観る天覧オペラでした。

 おそらく平日の夕刻、仕事の後に会場に向かったのですが、入口にテレビカメラ4~5台と報道陣に歌劇場の関係者と思われる外国人が何人か立っていました。照明がまぶしいくらいに煌々と光っていたので、これは皇室関係者に違いないとピンときました。野次馬根性で少し待っていたところ、車が到着し、皇太子と雅子さんが出てきました。照明のせいもあると思いますが、本当に光り輝いて見えました。私は皇室ニュースのファンではありませんが、別世界の人のようで(まさにそうなのですが)、うっとりと見とれるというのはこういうことだなあと思いました。

 その後、開演直前、2人が脇から入場して、貴賓席周囲の取り巻きが立ち上がり、併せて、オーケストラも立ち上がりますが、その他の観客が座ったままなので、オーケストラのメンバーが客席を見て、「え!起立しなくていいの?」という顔をしていたのが印象的です。休憩後の後半の開始時にはもうオーケストラは立ち上がりませんでした。

 肝心のオペラも素晴らしかったです。「カヴァレリア・ルスティカーナ」では、ホセ・クーラとワルトラウト・マイヤーの伸びやかで輝きのある歌唱が聴けましたし、無名の指揮者でしたが、イタリア訛りというかローカルな節回し、間の取り方が音楽によく合っていました。
 珍しい「ジャンニ・スキッキ」は、観るのはもちろん、初めて全曲を聴きましたが、名バリトンのファン・ポンスのコミカルな演技も相俟って楽しめました。フェッラリーニが歌う「わたしのお父さん」が流れたときは、ああ、この音楽はこのオペラの挿入曲だったんだと納得です。

 シノーポリ指揮/フィルハーモニア管弦楽団の「カヴァレリア・ルスティカーナ」を聴くとあの日の光り輝いていた皇太子と雅子さんを思い出します。事情はよく知りませんが早く元気になってもらいたいものです。

 この美しいメロディに溢れたオペラには意外とディスクが少ないのが不思議です。カラヤン盤、セラフィン盤も往年の名歌手を揃えてよいのですが、シノーポリ盤がドミンゴ、バルツァと歌手も揃っていて比較的新しい録音なのでお薦めです。以前はテノールなら何といってもパバロッティがいいと思っていましたが、最近はノーブルで艶のある声のドミンゴのほうを好みます。まだ現役で頑張っているのはすごいです。

 ストーリーはというと、男と女、恋愛、結婚、浮気、嫉妬、決闘、死がシシリア島を舞台に繰り広げられます。マリオ・プーゾ原作の「ザ・シシリアン」といいシシリア島には燃え上がる恋、決闘、復讐のストーリーがよく似合います。
 美しいメロディ、話しも分かりやすく、演奏時間も短めなのでCD1枚に収まります。そういう意味ではオペラの入門編としても最適の音楽ではないかと思います。



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ティーレマン/ウィーンフィル「ワーグナー トリスタンとイゾルデ」


 7月25日に開幕したバイロイト音楽祭で日本人として初めて指揮台に立った大植英次氏。初日の「トリスタンとイゾルデ」で大成功だったという第一報、本当にうれしかったです。「終演後のカーテンコールで、思わず舞台にひざまずいてキスした大植さんは、「自分でも信じられないほど柔らかい音色が出せた。最後はうっとりして別世界にいるようだった」と、興奮気味に話した。」と報じられているので快演だったのでしょう。今後の詳細のレポートが楽しみです。

 今年のバイロイトではタンホイザーを振っているドイツ期待の星、クリスティアン・ティーレマン。私がご推薦するまでもないもはや大物ですがこちらも凄いです。
 デビュー盤からしてドイツ・グラモフォン、オケこそフィルハーモア管弦楽団でしたがいきなりベートーヴェンの第5番、第7番。これぞドイツ音楽だぞっというゆったりしたテンポ、濃い表情づけの巨匠風の音楽。さっぱりした無表情の音楽が多い中で久しぶりにキターーという感想を持ちました。
 その後いろんな演奏を聴き、ますます期待は膨らみます。現在、ラトルやゲルギエフよりも新譜が楽しみな指揮者です。

 ティーレマンのワーグナーでは海賊盤ですが、2001年のバイロイト音楽祭でのパルジファルを聴きました。ここでも堂々とした立派な音楽を響かせていますが、そもそもパルジファルは大物がバイロイト音楽祭で演奏したディスクが沢山残っているのでそれと比較して抜きん出ている水準とまでは思いませんでした。

 しかし、この2003年のウィーン国立歌劇場でのライブは素晴らしい演奏です。歌手陣は過去と比較すると並びこそすれ上回ることは少なく新盤には不利があります。それでもこの演奏は過去の名盤に匹敵する素晴らしいものだと思います。粒が揃った透明感のある弱音、厚みがあってうねる弦、スケールが大きくて音楽を聴く喜びを感じます。指揮者との息が合った時のウィーンフィルはベルリンフィルを超える凄まじい音を出します。
 先日、レヴァインのDVDを取り上げた際、トリスタンは映像がないとと書きましたが、これは音だけでも十分満足できます(このブログには矛盾しているところが沢山ありますがお許し下さい)。

 ネットで検索するとこのディスクは結構、賛否両論なので驚きました。名演というコメントがある一方で全然ダメというコメントも多いです。私は楽譜を読めない素人リスナー、感覚で聴くので、この演奏が全くダメだと聴き取れる耳を持っていません(これは皮肉ではありません)。私には美しい極上の名演にしか聞こえませんがリスナーによって評価はまちまちでいいのだと思います。芸術をどう感じるかは知識の多少はあっても最終的には主観です。正解なんてありません。

 暑い中で何か納涼のディスクを一枚聴きたいなと思ったときに、シベリウスではなく、このティーレマンのトリスタンを取り出しました。清涼感溢れる耳に暑苦しくない音楽、今の私にはこのディスクです。


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辛酸なめ子「ヨコモレ通信」


 こんなに暑いと軽い読み物が読みたくなります。
 「ヨコモレ通信」は、週刊文春に連載されていた辛酸なめ子による東京の話題スポットのルポ・エッセイです。「セレブの現場、いただきます。」と帯にあります。辛酸なめ子は、「爆笑問題のバク天」でコメンテイターをやっていたのを見たことがありましたが、本業は漫画家、エッセイストなんだそうです。

 「東京都庁展望台のバー」、「自由が丘スイーツフォレスト」、「人体の不思議展」、「タワーマンションのモデルルーム」、「芥川賞・直木賞授賞式」、「よしもとおもしろ水族館」、「ホテルニューオータニでのヨガ体験」など話題のプレイスポット、普通の人は行かないマイナーな催し物、金持ち向けのショップ、老人に大人気のヒット商品などを斜に構えた視点から面白おかしく紹介します。

 我々が普段テレビや雑誌で目にする話題のスポットは、だいたいお金が絡んでいるので何だかんだで悪くは紹介されません。一方的なステレオタイプの情報しか伝わってこないのですが、このエッセイでは華やかなスポットの裏側や哀しい実態が暴かれます。百聞は一見に如かずです。

 それにしても最近はこういう話題のスポットには行かなくなりました。どうせつまらないんだろうと決めてかかるからですが、時間がかからない、お金もそんなにかからないという手頃な施設が少ないのも事実です。そこで、結局、テレビで見たりこういう本で読んで行った気分になっておしまいということが多くなってしまいます。

 いずれにしても辛酸なめ子のエッセイは初めて読みましたが面白かったです。いくつか著書を読んでみたくなりました。


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モーリス・ベジャール/ジョルジュ・ドン「二十世紀バレエ団の芸術」


 新婚旅行でパリに行った際、念願のパリ・オペラ座(旧オペラ座ガルニエ宮)でバレエを観ました。モーリス・ベジャール振付の「コンクール」という新作で「Completely Sold Out」と垂れ幕がかかっていましたが、当日窓口に行くとどこかの席は空いていそうです。どこかというのは窓口の女性がフランス語しか喋らないので全く理解できないからです。
 フランス人はプライドが高いので英語が使えても絶対に喋らないと聞いていましたが、私の経験では、街中ではほとんどの方は英語が片言も分からないので本当に使えない、理解できないことが多いのだと思います。悪気はないです。一方で、劇場などの窓口では伝聞は本当だと思います。フランス語が全く聞き取れないので(第2外国語はフランス語でしたが…)、こちらが英語を使い始めると露骨に嫌な顔をします。そうは言ってもこちらもチケットがほしいので粘ると結局、ボディランゲージの末、どこかの席を売ってくれます。分かるくせに意地悪しやがってと内心怒りつつ、仕方ないので困りきったお願い顔を作ります。

 入場すると、券は桟敷席というのでしょうかボックス席でした。係員が古くて大きな鍵を使って開けて、入れてくれました。ステージから見て、一番右の一階のボックスです。固定席ではなく、椅子が前に3席、後ろに3席置いてあります。我々は後ろの席でした。どおりで安かったんだと思いつつ、生まれて始めてのボックス席に興奮しました。有名なシャガールの天井画や平間席の豪華な赤色のソファのような席を眺めたりしました。ロビーも金ピカで溜息がでるような作りになっています。
 そんな位置の悪い席に座っていては、当然、舞台が見えないので、立ち上がって、舞台から遠い端にいって覗き込むように舞台を眺めます。前の席の人も席を詰めてくれて見易い位置を開けてくれます。バレエのコンクールにおける審査員や挑戦者たちの様子をコミカルに描いたようなバレエでした。ただ、我々は結婚式の疲れと時差ぼけとでほとんど寝ていたのでもう席はどこでもよかったです。パリ・オペラ座でモーリス・ベジャールのバレエを観たという思い出作りです。

 モーリス・ベジャールのバレエなら、何といってもこのジョルジュ・ドンが踊る「ボレロ」です。「愛と哀しみのボレロ」というヨーロッパ映画でもジョルジュ・ドン自身が、ソ連からの亡命ダンサー役で踊っていたので見たことがある方もいらっしゃると思います。

 クラシック音楽同様に、モダン(現代物)はバレエでも浸透していないというか、決定的な演出物がないので出し物の中心にはなりにくいところがあります。今でもまず観るべきは「白鳥の湖」です。見せ場の多さがずば抜けています。その他の演目となるとソリストなどお好みでというところでしょうか。そんな中でこのモーリス・ベジャールによる「ボレロ」はモダンであるのにもはや古典になりつつある傑作です。

 不思議な振付のバレエです。思春期に何か衝動を抑えられなくて無意識にとってしまう体の動きといったらいいのでしょうか。実際には、ここで表現されている様々な抽象的な踊り、振り付けに古典や心理学に基づく公式の説明があるのかもしれませんが、見た人が自由に感じることができる芸術になっていると思います。
 このディスクにはボレロの他、「アダージェット」、「愛が私に語るもの」というマーラーの音楽に振付けたモダンバレエが収録されています。ボレロほど完成度は高くありませんが、ジョルジュ・ドンという天才カリスマダンサーの凄さを堪能できる一枚になっています。

 このモーリス・ベジャール振付による「ボレロ」は、現在、東京バレエ団と一部のソリストにしか許可されていない演目になっていて、この前新聞にシルヴィ・ギエムによる最後の公演があるという宣伝が載っていました。現存する最高の天才ダンサーであるシルヴィ・ギエムは実演ではまだ見たことがないので女性版のボレロも観てみたいなあと思いました(…申し込んでみたところ完売してました。残念。)


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グレン・グールド「バッハ ゴルドベルク変奏曲 1955&1981」


 クラシック音楽のディスクを買い始めた時期が好運にもレコードからCDへの移行期だったので、レコード購入の損失(?)は20~30枚で済みました。とはいえ、私のプアな装置での数少ない経験でも音はレコードの方がよかったです。特に音の広がりや突き抜け感がよくて、気に入ったレコードをCDで購入して聴き直すとあれっ?こんな響きの悪い音楽だったっけと驚いたものです。
 今となっては比較しようがないのですがおそらくCDの方が音はよくなったのだと思いますが、技術が進歩してもCDからの買い替えは金銭的にもう無理なので、現行の枠内での進歩をお願いしたいです。

 そんなレコードでもCDでも両方持っていたディスク(初期のお気に入り)に、ベームのブルックナー第4番、ブレンデル/アバドのブラームスピアノ協奏曲第1番、バックハウス/ベームのブラームスピアノ協奏曲第2番、それに今回ご紹介する名盤中の名盤、グレン・グールドによる「バッハ ゴルドベルク変奏曲(1981年録音盤)」がありました。

 バッハのゴルドベルク変奏曲は、不眠症の男爵のために作曲された音楽で、愛すべき楽曲だけど名曲とまではいえない音楽とされていたものです。

 それに命を吹き込んで蘇生させたのがカナダ出身の変人ピアニストであるグレン・グールドです。お約束の保守的な奏法が期待されるバロック音楽を即興的で自由なタッチで描き切ったのがグールドのデビュー盤である1955年の録音です。今聞いてもとても刺激的な演奏ですので、当時のクラシック界のショックが容易に想像できます。

 それから20年以上経ち、死の直前に再録音したのが、1981年の録音です。こちらはインテンポでスピードも遅く(他の奏者と比べると早いですが)、瞑想的な美しい音楽、それでも輪郭がはっきりしていて魅力的な演奏です。
 1955年盤、1981年盤ともにとても子守唄にはならない刺激的な音楽で、BGM程度のつもりで気軽に聴き始めても結局、ずぅーと耳が音楽に集中してしまいます。ベートーヴェンやモーツァルトのピアノソナタと並んで、屈指の名曲であることを実感させてくれる名演です。

 両盤が最高のスタッフによりリマスターされたこのディスクが今となってはお得だと思います。
 特に1981年盤は以前発売されていたデジタル録音の音源ではなく同時に残していたアナログ録音の方を音源にリマスターしたものなんだそうです。当時未熟な最新技術よりも成熟した旧技術で録った音のほうがよかったとか。原盤のディスクの名称である「A State of Wonder」というのは「驚きの状態」、つまりこの録音状態のことを意味しているのでしょうか(すいません英語苦手で)。
 実際に聴いてみて正直言って音の違いははっきりとは分からないのですが(以前のディスクは押入れの奥に移されていて発見不可能、比較できません)、相変わらず粒の揃ったピアノ音の素晴らしい演奏が極上の録音で残されていることに感謝したいと思います。何度聴いても魅力的な演奏。単純な順位付けは出来ませんが、このディスクは録音で残っている全ての演奏の中で間違いなくトップ10、トップ5に入り、第1位の有力候補なんだと思います。
 1955年盤の方はリマスターで明らかに音がクリアーでくっきりした音に生まれ変わっています。改めて1981年盤と聴き比べると以前は別物と思っていた演奏に多くの共通点があることに気付きます。それでも、20代の若いグールドによる即興的な演奏は閃きに溢れた素晴らしい演奏です。グールドの1981年盤に対抗馬があるとすれば他の奏者の録音ではなく、この1955年盤なんだと思います。

 いつものことですが、ゴルドベルク変奏曲を聴くと、その他のグールドの演奏をまた聴きたくなります。今年の夏もグールドのバッハ、ハイドン、モーツァルト、ブラームスなどに酔いしれたいと思います。


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デュラン・デュラン「セヴン・アンド・ザ・ラッグド・タイガー」


 若い頃を80年代に過ごしたので、たまに無性に80年代のロック、ポップスが聴きたくなります。誰が何といおうと私にとっては80年代の音楽が全ての時代を通じて最高の音楽です。60年代のビートルズ、70年代のレッド・ツエッペリン、90年代のニルヴァーナなどの時代を象徴する大物の時代ではないですが、80年代に登場した音楽の全てが素晴らしいと思います。メロディ、アレンジ、ボーカル、ギター、ドラムの音などなど全てが80年代で絶頂期を迎えた後、衰退の一途を辿っています、と贔屓倒しておきたいと思います。

 FENのケイシー・ケーサムのアメリカントップ40、小林克也のベストヒットUSAなどで常にヒット音楽をチェックしました。80年代の音楽で、毎週のトップ20に入った音楽で聴いていない音楽はおそらくないと思います。

 誇張なしに80年代の音楽は全てがよいのですが、たまに聴かないと禁断症状が表れる特別クラスとなると、一つはワム、ジョージ・マイケルです。ノー天気でシンプルなファッションと振る舞い、だけど曲作り、歌唱は天才、このギャップには本当に痺れました。本日のブログで取り上げるCDもジョージ・マイケルの「フェイス」にしようか迷いました。

 ただ、その後のジョージ・マイケルは才能を無駄遣いしています。ストーンズやAC/DCなど長くヒットを飛ばし続けるミュージシャンに共通しているのはよいプロデューサーを選ぶということです。必ず自分達に合った売れっ子プロデューサー、エンジニアを起用します。これは他人の才能への信頼というか謙虚さの表れだと思います。ところが、失敗するミュージシャンは自分でプロデュースをやりだします。大物も1~2回はこの過ちを犯します。ただ、だいたい興行的に失敗するので本来の謙虚さを思い出して方向修正します。ところが大失敗作を作ってもまた同じ過ちを続ける大バカ者がたまにいます。代表例がジョージ・マイケルです。神が与えた才能をワンパターンのアレンジや他人の歌のカラオケで無駄遣いしてほしくないです。何か行事があるとホモ友達のエルトン・ジョンと報道陣の前に顔を出しますがそんな芸能人生活を送ることで満足しないでほしいです。

 前置き(大好きなジョージ・マイケルへの怒り)が長くなりましたが、もう一つ禁断症状が起こるのがデュラン・デュランです。「セヴン・アンド・ザ・ラッグド・タイガー」は世界中で大ヒットした第3作目です。当時のミュージシャンが力を入れて作り出したミュージッククリップを含めて何度も耳にして、何度もテレビで見ました。最近聴くのはベスト盤「ディケイド」の方が多いですが、中核をなしているのはこのセブンタイガーからのものです。ディケイドには14曲入っていますが、1曲目から10曲目まで、つまり、「プラネット・アース」、「ガールズ・オン・フィルム」、「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」、「リオ」、「セイヴ・ア・プレイヤー」、「プリーズ・テル・ミー・ナウ」、「ユニオン・オブ・ザ・スネイク」、「ザ・リフレックス」、「ワイルド・ボーイズ」、「007/美しき獲物たち」にもう言葉はいらないです(「ニュー・ムーン・オン・ザ・マンデイ」が入っていないのが残念ですが)。これだけの音楽を作ったミュージシャンがどれだけいたでしょうか。
 最近、活動を再開したようですが機会があればライブを観てみたいです。

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