「六旬館」(六ヶ所村)

 

 4月は長芋とゴボウだらけだった道の駅の農産物コーナーのラインナップが少しずつ入れ替わっています。ホウレンソウ、大根などどこにでも売っているような一般的な野菜が増えているのですが、5月になって山菜が増えてきました。

 六ヶ所村に4月オープンした「六旬館」は他の道の駅と比べると値段少し高めでまだ商品の入荷も安定していないのですが、山菜の品揃えがイイです。といっても、これまで山菜なんて意識して食べたことはなく、天ぷらも面倒でそこまでするつもりはなかったのですが、いくつかは手軽に食べられることが分かってきました。

 まず山菜の王様(らしい)「ミズ」です。きれいな緑色の茎のやつです。生を買って薄皮をむいて茹でてみましたが、水煮してあるものが楽でいいです。煮物、炒め物などいろいろと調理できるようですが、好きな調味料(私はポン酢)でシンプルにいただくのがいいです。クセがないので爽やかでシャキシャキ超うまいです。

 セリは鍋に入れて(最高の野菜系アクセント)、ミョウガタケは生で、ワラビ(水煮)はポン酢でいただきます。相場は分かりませんが値段もミズ(200円)、ミョウガタケ(150円)、ワラビ(130円)、セリ(100円)と安いです。






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「大勝軒」(日吉)

 
 

 横浜滞在の締めは日吉大勝軒です。標準が2玉でつけ麺だと食べられるのですが中華麺だと私にはキツいので1玉にして50円返してもらいます。

 見た目は普通のしょうゆ味の中華そばなのですが、表面に濃厚なアブラが張られているので、何ともいえないクセになる味わいがあります。美味しかった。他のお客さんはボウルのような大皿に食らいついています。1玉の私は食べ終わり先に退出しました。





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「重慶飯店 別館」(横浜中華街)

 
 
 
 

 知人との会食、彼の希望で横浜中華街です。

 休日はすさまじい混雑ですが、平日夜は閑古鳥が鳴く廃れゆく中華街。良心的な老舗はなくなり食べ放題店が増えました。それでも、シュウマイならここ、餡かけチャーハンならここ、中華風カレーならここなどと単品の光る店はあるのですが、夜のコース料理となると選択肢がなく困ります。

 以前の印象のよかった四川料理の「重慶飯店」もやっぱり古かったです。店内にマンネリの空気が漂います。それでもチャーハン、麻婆豆腐などは水準以上と思えました。




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「やきとり相模屋」(横須賀)

 
 

 昨日に引き続き相模屋です。3本で移動のつもりが、周りの人達が真剣な目付きでバクバク食べるのをみると私もつられて手を伸ばしてしまいます。止まりません。今日のお隣りは若い外人さん、前はランドセルの女の子です。8本640円でした。

 で、本日のメインは横浜駅西口の「たまがった」で、スープはとろりと濃厚で美味しかったのですが・・・以前ほどの感激はありませんでした。味は変わらないと思うのですが、私の食欲の変化(老化)の影響だと思います。





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「やきとり相模屋」(横須賀)

 

 今日は焼き鳥と決めていて、横浜周辺なので「鳥伊勢」です。伊勢佐木町の本店が残念ながら月曜休みだったので関内店の予定でした。横須賀中央駅から電車で移動する前に百均で買い物を済ませて、ふらっと遠回りをしたところ、小路に人だかりが・・・焼き鳥屋の店頭持ち帰りコーナーでした。

 いえ、そうではありません。皆さん、そこで好きな串を取って食べています。お金を払わずに、串を入れているので後払いのようです。学生の集団、若者、家族連れ、お母さん、おばあさんなど老若男女に、場所がら外人さんもいます。

 一本80円です。美味そうだけど今日は鳥伊勢であの大ぶりの焼き鳥とスープの予定だったので・・・そこらを一周して気持ちを整理し、やっぱりここでいただくことにしました。

 ボンボチ、バラ、ひなどり、うまい。つくね、タン、うまい。もう一度、ボンボチ、バラ・・・。結局11本、880円でした。このコーナーに3~4人のスタッフがついていて、メインのおばあちゃんがどんどん焼いていきます。串が火の回りを回転する焼き機を使っているのですが、鶏肉とタレがいいので全然気になりません。焼いてタレをくぐらせた串が山のように盛られるのですが、皆が手を伸ばすのと持ち帰りの大量購入も入るのであっという間に山は崩れていきます。気持ちのいい回転率のよさです。

 こういう店のある街の幸せです。店頭でお酒は飲まないでとの張り紙があり、飲酒しながらまでは出来ないのですが、うまいし、安いし、最高です。





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「やまちゃん」(お台場たこ焼きミュージアム)

 
 
 

 今日は家族でシルク・ド・ソレイユの「キュリオス」を観劇しました。楽しめましたが、もう少しアクロバティックというかサーカスっぽい方がよかったかも。以前観た別の日本公演のことは忘れていましたが、前回もこういうやつだったことを思い出しました。ラスベガスで観た「オー」や「ミスティア」と比較するとどうしても圧倒感が違うよなあと感じてしまいます。

 食事は大阪USJ場外にある「大阪たこ焼きミュージアム」の姉妹施設にしました。たこ焼き店のラインナップもほぼ同じです。

 笑ってしまうくらい施設全体・店員さんに元気がなく不安になりましたが(オープン当初の大阪出身/関西弁スタッフはほぼいなくなったのでは)、絶対王者の「やまちゃん」はお台場でもうまい。外カリ中トロ、ヤケドしそうなくらい熱々なのは大阪たこ焼きの王道です。たこ焼き16個と明石焼き8個をペロリです。

 追加は再やまちゃんが手堅いのですが、いつものように味を変えて「十八番」と今回は「芋蛸」にしました。十八番は天かすの食感がよかったです。会津屋もくくるも美味しいのは分かっているのですが、いろんな場所、機会に食べるチャンスはあるのでパスします。

 いつも思うことですが、やまちゃん一択で大満足、問題ありません。次回はそうしようと思います。





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犬養道子「アメリカン・アメリカ」

 


 1948年9月のある夕べ、由緒あるこのユニオン・パシフィック特急の2等個室に、(何しろ4晩5日かけて行く大横断だから、1等も2等も個室寝室。特等はサロンつき2室。共同のシャワーから床屋設備まである列車)ひとりの日本人女子留学生が乗り込んでいた。持っているのは善意のアメリカ人友人の買ってくれたニューヨーク・ロスアンゼルス間片道切符1枚。東京マッカーサー司令部の判の入る占領下のパスポート。明らかに大戦のずっと前に購入したものとわかる流行おくれの小さなスーツケース。着ているものも物資乏しい敗戦の国で苦労してととのえたと一見わかる服。古い毛布を細工して縫った半コート。

 乗りこむとすぐ、彼女は列車付黒人ボーイを呼んでベッドをつくってもらった。「まだ陽は高いよ、ミス(お嬢さん)」とボーイは言った。ボーイが出て行くのを待ちかねて彼女はベッドにもぐりこんだ。熱があった。咳ははげしかった。からだは痛かった。挫折した留学の夢。砕かれた青春の夢。心の痛みはからだの痛みを上まわり、これから行くべきカリフォルニアの結核病院のことすら彼女に忘れさせた。

 列車がニューヨーク州西端の深く壮麗な渓谷にさしかかるころ、食堂車のベルが鳴った。が、彼女は食堂に行かなかった。あまりに苦しかったからでもあるが財布の中味が悲しくなるほど乏しかった(当時、奨学金学生に給与される小遣いは月10ドル。占領下の祖国からの送金は不可能であった)からでもある。翌日のひる、ノンストップだった列車はデトロイトに着いた。車体を洗い点検する2時間の停車時間に、他の乗客は自動車王フォードゆかりの町に行ってひるをすませた。しかしここでも彼女は食事をぬいた。さすがに空腹にたえかねて、彼女があのボーイを呼びトマトサンドイッチ(これは一番安くて、当時10セントであった)とオレンジジュース(当時3セント)をとりよせたのはその午後だった。翌日。オクラホマの大草原。疾駆する馬上のカウボーイの一群がはるかに見えた。彼女はもう一度ボーイを呼んでトマトサンドイッチとジュースをたのんだ。
「ミス。なぜ食堂に行かないのかね。食堂にも安いものはあるよ」
「気持ちがわるい。」
「病気かね、ミス。そうだ、病気だよ、あんた。どこまで行くね」
「モンロビア。モンロビアの病院・・・」

 モンロビアは、終点ロスアンゼルスから、超特急のスピードでなら半時間ばかりの手前にある、1日に鈍行列車の客10人がいても今日はみいりがいいと駅長のよろこぶような小さな駅であった。が、その町は常夏清澄のカリフォルニアの中でもぬきん出て、空気のよい谷間にあったから、名だたる結核サナトリウムが10近くもひしめいて建てられていたのである。
「ふむ」
と黒人のボーイは呟いて姿を消した。

 まもなく白人の車掌と一緒に戻って来た。
白人は娘に聞いた、「モンロビアに行きなさるって?ロスからどうやって?」
「バスで」
 と留学生は言った、「バスは1日に何本出るかしら・・・この汽車がロスに着いたあと、すぐバスがあるといいんだけれど」
「バスは多かあないね」
 と白人は言った。それきりだった。白人も黒人も行ってしまった。女子留学生も、それきり、この小会話のことは忘れてしまった、思い当たったのは、いよいよ明日の朝は終点ロスアンゼルスに到着すると言う夕方であった。紅と紫に燃えたつ美しくもおそろしいグランド・キャニヨンを渡りおえたとき、車内アナウンスがあったのだ。留学生は吐き気と咳になやまされながら、このときもぐったりとベッドに横になって聞いていた。アナウンスはこんなことを言いはじめた。

「車内の皆さまに申し上げます。列車は明朝終点に着きます。が、終点ロスアンゼルスの手前、時間にして30分の地点、モンロビアに-ご承知のとおり当列車はふつうなら終点までノンストップですが-1分間、停車いたします・・・」

 へえ、停車するの、そんなこと知らなかった、と留学生はぼんやり考えた。それならそれとあの車掌、言ってくれたらよかったのに。が、次のアナウンスを耳にしたとき、彼女はびっくりして吐き気も忘れて起き上がった。

「・・・車内の皆さま、この列車には、病気で、モンロビアの病院に行く日本人留学生が乗っております。大へん苦しいらしいのです。ロスアンゼルスからバスでモンロビアに行くのは、彼女にとって大へんなことなのです。で、乗務員一同は昨日ワシントンの鉄道省本部に電報を打ち、彼女のための臨時停車の許可を乞いました。返事はただいま着きました。『停車せよ』と。『モンロビア駅長への連絡及び留学生のための担架手配は本省がすでに行った』と・・・ですから皆さま、明日の第一の停車駅はロスアンゼルスではありません。終点到着が数分おくれることもどうぞ御了承ください・・・」

 いつか留学生は泣いていた。感動のあまりに泣いていた。
「ああ、デモクラシイとはこう言うものであったのか、コモン・マンの伝統とはこう言うものであったのか・・・これなら敗けても仕方なかった、敗けるのは当然だった・・・」と思いつつ、いつまでも彼女は涙をふいた。

 翌朝。
 閑散と小さなモンロビア駅には、駅長と、赤十字のしるしの上衣を着た人と、担架とが出ていた。
 ふり向けば、あのボーイ、あの車掌、そして窓と言う窓には押しあいへしあいのぞく顔、顔。
「早くよくなるんだよ」「神のおめぐみを・・・」
「必ずよくなるから安心しなさい」
「元気でね」「勇気を忘れずにね」
 中の何十人かは手をさしのべて、もう動き出した列車からホームへ名刺などを投げた。
「うちの番地だよ、困ることや不自由なことがあったらすぐしらせなさい」
「私に電話して頂戴・・・」
「たずねて行くよ・・・さようなら」
 10ドル札を投げてくれた人もいた。

 留学生は、抱くようにして担架にのせてくれた駅長の大きな手を握りしめてまた泣いた。

 以来3ヶ年、千日の余。どこの馬の骨とも知れぬ、曾ての敵国の留学生は、サナトリウム中で一ばん、訪問見舞客の多い「幸な病人」であった。たった1日の休日である日曜日をさいて、丸3ヶ年、毎週欠かさず、見舞うと言うことは尋常ではない。その、尋常には出来ぬことを、アメリカのコモン・マンの数人はやり通したのであった。

「あの列車の一乗客より」の名で、クリスマスに、イースターに、いくつのプレゼントが贈られたことか、籍をおいた東部のカレジの「学生一同」からの毎月の小包みのおかげで、留学生はいつも新しいパジャマを着け、歯ブラシ石鹸のたぐいを買う必要を全く持たなかった。無名で医療費も送られて来た。

 -留学生は私である。

 そう、私があの大病にもかかわらず生きていま在るのは、アメリカのコモン・マンのおかげである。

 命を助けられ、「発病の外国人学生は即刻帰国のこと」の法律を、それこそ身を以てはねつけて「薬も食物もまだ乏しい日本にこの病人を帰すことは出来ぬ」とがんばってくれた主治医以下おびただしい人々によって3ヶ年の療養をさせてもらった感謝のしるしに、アメリカの貧しいコモン・マンの子女の奨学金の一部にもと、私もまた無名で(すなわちコモン・マンの伝統にしたがって)ここ数年、新学年の季節にわずかの金を東部のカレジとサナトリウムに送りつづけている・・・


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 先日亡くなった犬養道子さんの『アメリカン・アメリカ』から導入の印象的なエピソードです。犬養さんの本は、学生時代に読んだ『人間の大地』とこの本が印象に残っています。会社のとある研修で講師の方がこの部分を読み上げたのを聴いて感動しました。よく覚えていないのですが、その先生からもらったのか、自分で買ったのかの本です。
 残りの限られた時間の中でもう読まないだろう本は思い入れの強いモノも割り切ってブックオフに売っているのですが、この本は手放せずにまだ持っていました。





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「餃子の王将」(蒲田)

 
 
 

 久しぶりに餃子の王将。初めて蒲田店に入りましたが、昼過ぎの時間でも多くの先輩方がビールを飲んでいていい感じです。ビール2杯と餃子2人前。最高気温9°Cの雨降る青森から25°Cを超える首都圏へ。汗ばむような陽気にビールがうまい。

 日吉ではHUBで生ビールです。





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「湖遊館(道の駅おがわら)」

 
 

 青森県は長芋、ごぼうの生産量で日本一、三八上北は県のなかでも特に主力の生産地です。私は長芋が大好きで摺った芋をいれたみそ汁が大好物です。長芋は摺った生でも鍋の締めとかでもいろいろと使えるので常備しているのですが、どこで購入したらいいか最近ようやく分かってきました。どの道の駅にも地元の農家さんのものが置かれていて安くていいのですが、小川原湖の西岸にある「湖遊館(道の駅おがわら)」がいいです。

 妻から、お世話になっている方に贈りたいので青森特産を送ってほしいと言われています。私は長芋を勧めたのですが妻はごぼうがいいというのでごぼうを送りました。





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上北温泉郷

 
 

 青森県の天気予報の地域区分は3つ、6つ、20近くといろいろです。NHKの天気予報はまず3つの区分から始まり、津軽(青森、弘前など中西部)、下北(おそらくむつ市より北)、三八上北(さんぱちかみきた/八戸、三沢、小川原、六ケ所など南部、東部)です。

 このうち三八上北は温泉天国で、至る所に公営の温泉(銭湯)があります。多くの入場料は200円前後と安く、また泉質もヌメっとした肌触りとこれぞ温泉という感じで最高です。更には、朝5時とか5時半からやっているのも朝の早い私には助かります。

 三沢、六ケ所もいいのですが、東北町の公営温泉(町のHPでは10か所)がいいです。上北温泉郷と呼ばれていることを最近知りました。

 今のところ「東北温泉」と「玉勝温泉」が特にいいです。東北温泉は300円とこのエリアでは高いのですが、黒いお湯のモール温泉で泉質よく、脱衣所・洗い場も広くゆったりしています。玉勝温泉は210円、薄い緑色のお湯、泉質、脱衣所、洗い場も同じようにいいです。

 まだ行っていない温泉も多いですが、今知っている温泉だけでも十分な感じもあります。朝風呂、昼風呂、温泉が日常になりました。上北郡東北町は温泉郷です。






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「天王つつじまつり」(七戸町)

 
 

 七戸町の天王神社のつつじが満開になったとの新聞記事を読んで行ってきました。見慣れた赤紫色のつつじではなく、オレンジ系の色彩です。雨が降ってきたので若干鈍く写っています。神社に限らず町の至る所でつつじが花開いていました。






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下北半島

 

 下北半島の日帰りドライブです。一人でいくのは寂しく、むなしいのですが、夏休みに家族と母親が来る予定なのでその下見です。





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菜の花畑(横浜町)

 

 この時期の名物、横浜町の菜の花畑です。





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尻屋崎と寒立馬

 
 

 極寒にも耐える太い脚をもつ寒立馬(かんだちめ)が自然放牧されている尻屋崎。寒立馬はこのエリアのゲート入り口と灯台の周辺にいました。






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恐山

 
 
 
 
 

 恐山(おそれざん)です。おどろおどろしいイメージから行かなくてもいいかと思っていましたが、行ってよかったです。

 近づくとすごい硫黄臭です。三途の川を渡る橋があることは知っていたので車を降りて撮影。その先はもう別世界です。

 あの世があるとすれば、もうこんな感じです。部分的にどうこうではなく、全体があの世で、よくもこんなに自然造形されたなと驚きです。順路にしたがって進んでいきます。ゴツゴツした岩場の地獄と至る所に花の代わりに供えられた風車。死者への弔いの場なので、悲しい場所であることは間違いないのですが、恐ろしいエリアを通り抜けた後の極楽浜での幸福感、静寂さは何ともいえないです。

 日本の景勝地はなんだかんだ似通っていますが、ここ恐山は他では見られない景観、眺めが広がります。これはすごいです。私ランキング、今のところ青森ナンバー1。日本の中でも有数の景勝地だと思います。





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