五感には感覚・聴覚・視覚、さらに味覚・匂覚などがありますが、
今日は『感覚』について思うことを少し書いてみようと思います。
衣服を選ぶ時に、感覚派のワタシはまずは肌ざわりや着心地が一番なんです。
天然素材が心地よくて、次に色やデザインに目がゆき、最後に店員さんの説明をきくことになります。
どんなにデザインがよくても、素晴らしい説明を受けても、肌ざわりが満たされないと結局は袖を通さなくなりますので、
自分のタイプを知っておくことが大切かなと思っています。
ところで、書物との出会いにも感覚を使っていることがあります。
今から10年ほど前のことですが、古典医学書『傷寒論』との出会いは極めて感覚的だったことを覚えています。
手にする前からその書物に想いを馳せると、多次元的な感覚が胸のあたりにひろがります。
すばらしいということは直感でわかっていましたが、手にした時は言葉がでないほどの嬉しさで、なにかがぴったりと納まる感じ・・・・。
とうとう出会えたのだという感動に包まれながらも、すぐにはページを開くことができないのでした。
2000年前に集大成された書物の、真の医学になりゆくまでの気の遠くなるような歴史を、
今にとどけてくれた人々の想いも、何もかも、学ぶ前にそこに触れたい、感じとりたいという気持ちでいたのでしょう。
尊いものに触れるときの厳かな気持ちがそうさせたのかもしれません。
表紙に触れたり、重みを感じたり、胸に抱いて、時には香りを・・・。
一週間ほどでしょうか・・・、肌身はなさず、仕事中も家事をする時も、夜はもちろん枕元に置いて休みます。
今から思えば典型的な感覚派の行動ですね~。
本は視覚的に目で読むもの、言葉は聴覚的要素ととらえられますが、
まず一番に、触覚と匂覚をこんなに使っていたとは・・・。(笑)
思う存分感じて初めてページを開いた時には、いよいよ壮大な物語が始まる・・と思いました。
不思議なことに、書物を開きいのちの世界に意識を合わせていると、微かに墨のような香りが漂ってきたり、先人のあたたかなまなざし
に見守られていることを感じます。