誕生の瞬間
「宇宙の創造 人の創造②」
インタビュー 2017.9
八木 今回は宇宙や人における誕生の瞬間についてお話しを聞かせてください。
川口 そうやねぇ、本質に迫る大事な大事な話ですね。ところでその話をする時にやはり僕も宇宙はどうなっているのか、何が起こるのか、宇宙の現象界における諸々の誕生の瞬間はどうなっているのか、それと男女が交わって営みをして次のいのちが宿る時の瞬間がどうなっているのか、と思索するのは挑戦的なんですよね。なんとなく感じているところ観えているところ観えてくることの話であり、姿形あるものではないのですからね。挑戦的にともなるのですね。でもなんとなく観えてくるもの察知していることを言葉に換えるというのは正確に認識するということですよね。挑戦的と言いましたが他者と戦うということではなくてですよ。何度も何度も僕、関心があるからやっていることなんです。何がなんでも知りたい、分かりたい、納得したいのですね。それでいてなかなかね、こうだとは言い切れない、でもその近辺を観続け察知し続け思索し続けていたら、なるほどそうなっているのだなと言うことが観えてくるし、明らかになってくるのですね。こうだと一言で言いきれるものではないので、いくつかの言葉を用いたくなるのですが。
ところで私たち人間をはじめ、現象界に誕生してきたすべての姿形あるものは皆同じ存在に置いたらいいのであって、姿形あるものすべては宇宙の子ですよね。そして姿形あるもの物質を授かっているもの生まれてきたものは必ず死ぬ、と言う絶対の運命があっての限られた生の期間があるのですね。生の期間があるというのは宇宙の子であって宇宙いのちを少し授かっているということですね。いずれのいのちにとっても必要な量だけ授かっていて、人間は人間として一生を全うするのに必要な量としていのちを授かっており、それを時間で言うならば100年前後与えられているのですね。それ以上は必要ない、それ以下だったら足りない、過不足なきです。適量なのです。すごいですね。お米は六ヶ月から七か月、それで過不足なきいのちとして与えられており、その期間に次のいのちを産み創って親は死んでいきます。いのちの量も知力能力も身体そのものも過不足なくです。すべてそうです。地球だってそうです。地球も47億年前に生まれ後何年間生きられるかわかりませんが、過不足なき有限の物質、物体、身体でありいのちなのですよね。宿しているいのちは有限で、太陽だって50億年くらい前に水素とヘリウムを主とした物質のガス体で生まれたと言われていますけれども、その前は存在してなくて、生まれたのはいのちを宿しているゆえだけれども、やがては消滅していく、生きるだけ生きたらそれはそのまま燃焼ですので、だんだんだんだん燃焼していったら滅してしまう、亡くなる、死ぬ、そういう営みであり存在なんですね。
ところで姿形のない宇宙が姿形のあるものを生み続け生かし続け、死なせ続けているわけですが、産む瞬間に何が起こっているのか。宇宙の子の私たちが次のいのちを産む瞬間に何が起こっているのか。それは宇宙の子ゆえに親である宇宙と相似た出来事だと捉えていいと思うのです。姿形のある男女が交わって営みをしている時のことと、姿形のない宇宙の営みが相似ている、そこのところに焦点を合わせてよく観つめきって考えてみるならば、宇宙というのはいのち、大いなるいのち、すべてのものを生み続ける大いなるいのちととらえたらいいと思うのです。宇宙の子の私たちも男性も女性も宇宙いのちを宿している、ゆえに宿しているいのちの営みの中で宇宙と相似て次のいのちを生み創り生かすことができる。もちろん無限のいのちの宇宙とは異なる有限のいのちですから、限られた期間だけですが。
ところで姿形のない宇宙はどうして生むのか、何が起こって生まれるのだろうか、を明らかとするために宇宙を違った視点から観ますと、時空、時間・空間と観ることができます。これは宇宙の働きのことです。宇宙は時空、そのように置き換えられます。さらに宇宙というのは『いのち』と置き換えられます。大いなる『いのち』です。『いのち』というのは時空という働きがあるということです。ところで『いのち』を産むにおいては、すべて陰と陽の営みで起こる、生じる。『いのち』はプラス、マイナス、陰、陽の別なきなのだけれども、同時に陰と陽の異なる働きを有している。それでプラスとマイナス、陰と陽の異なる働きによる営みのなかで起こるわけですね、行動、活動が起きる。現象が生じる。
宇宙の「宇」は「空間」を表してそれは「マイナス・陰」です。「宙」は「時」を表して「プラス・陽」、活動を司るエネルギーを有している。宙なる活動する陽のエネルギーは宇なる陰の空間のところで活動する。人間の新たないのちの誕生においては女性の子宮は宇、空間です。それで陰。男性の生殖器は陽で活動を司るエネルギーを有しているので盛んに活動する。ところで宇宙の子であるゆえに限られたいのちであり働きである運命ですから、次のいのちを産むことのできる期間が定められているわけですよね。寿命は100年前後だし、次のいのちを産み創る働きの有る期間があるのです。その間でしか次のいのちは産み創れないのですね。
ところで、陽の宙でもある動的で積極的な男性が陰の空間で陰の宇のところで静的で受動的な女性の子宮の中で活動の営みをするのは、時が営まれるということですね。時が営まれるというのは時が流れるということです。いのちが営まれるというのは空において時が流れるということと同じですね。営んでいるというのは時の流れが瞬間瞬間に止まることなく時が流れていっているということであって、瞬間瞬間営んでいるのですね。営みができ活動できるのは空間があるからです。時が流れることができるのは空があるからですね。「陰の空」と「陽の時」は自ずから活動する。宇宙においては常に休むことなく止まることなく活動し続けている。常に活動を盛んにしているわけですよね。姿形あるすべてのいのち達しかりです。陰陽夫々の性を有するいのちであるゆえに夫々が陰陽の活動をするのですね。それで私達人間である陽の男性が陰の女性の空なるところでその営みの時を続けているとやがては熱が生まれてくるわけですよね。陰の宇のところで時が営み流れることによって陰の女性の子宮の中で陽の男性が活動続けると熱が生まれてくるわけです。これは結果であり現象ですが、熱が生まれる、光が生まれる、やがては電気が生まれる、磁気が生まれる、いのちの誕生に欠かせない液が生まれる。そしてさらに活動盛んになって受動的な女性のいのちも活動盛んとなり、ついには陰陽別なく一つのいのちとなってそれぞれの性が強く発揮して、やがては夫々の気が盛んにとなって熱は強く高く多くなり、電力、磁力が増して電磁波が流れて変化を起こす。同時にそれぞれの男性女性の内なる性からの心、精神、霊魂、魂魄が大いに働き、やがては絶対界に送られることとなって、感謝の思い深くより湧き出で、男女が思い一つ、願い一つ、心一つ、よろこび一つになって全身全霊で愛し合いきって、ある瞬間に大きな変化が生じて男女共にそれぞれの男性性が女性性が恍惚となって極まる。男性性は極まれば内に宿していた特殊なる能力を発して精液勢いよく発して女性の子宮に送られるわけですね。それだけのエネルギーと働きを持っているゆえに愛し合い交われば湧き上がって発するわけです。そして女性は子宮のところでそれを受け入れて、そしてそこに卵子がある時は夫々から発したものが一つに溶けあい合体するわけです。受精する。新しいいのちが誕生する。子宮の中で。この際、女性も女性性が恍惚状態に極まっているならば男女同時に絶対界に入りきって極まり深い喜びと平和の中での新しいいのちの宿りですね。しあわせのなか異にする男性と女性が別を越え一体となることによって、大きな変化、新たな一つのいのちが宿るのです。新しいいのちも深い深いよろこび、真なる幸福からの誕生ですね。そして宇宙における誕生にはない人間ゆえの情緒があり、人間にしかない喜びがあり、人夫々の幸福感となるものが伴っているのですね。男女にも新しく誕生したいのちにも。
ところで宇宙においてですが、宇の空なるところで陽の時が流れる、営む、時間が休まず止まらず、すごいエネルギーで営み流れて経過しているわけですね。広大無辺なる宇宙で絶大なる営みによってやはり熱が生まれる、光が生まれる、電気が生まれる、磁気が生まれる、電磁波となり動く、走る、あるいはすごい風が生まれる、あるいはいろいろの姿の動きや強いすごいことが生まれ起こる、上下左右無数のうねりが起こる、そうした出来事の中でやがてなんらかの最小の物質、微小の素粒子、姿形のあるものの元となる粒子が生まれる。或いは姿形質量が生まれる前段階の何らかのものが生まれる。例えばダークエネルギー、ダークマターとも名付けられる謎のエネルギー、謎の物質らしきものが生まれる。そしていかなるものといえどもすべて生まれてきたものは刻々刻々、時の流れの中でいのちを宿しているゆえに変化する、あるいはくっつきあう、あるいは分解する、あるいは分かれる、あるいは衝突する、あるいは衝き放す、引き寄せる。いろんな営みの中でくっつきあうものはくっつく、くっつかないものはくっつかないではじいたり、はじきとばしたり、はじきとばされたりがいのち自ずからの営みで自然に生じ起こるのですね。いのち自ずからくっつくものはくっついてだんだんだんだん姿形を質を量を重さを色を香りを働きを性質を現わしてゆく。もちろん小さな物質の最少の素粒子のところにもいのちを宿しているから、くっつきながら離れながら変化して、だんだんだんだん体(たい)を現わし変化してゆく。常にそこにいのちを宿していて、自ずからそれぞれそれぞれの性質と働きによって変化し、新たな体を現わしてゆく。そうしたことから地球が生まれ現れてきた、太陽が生まれ現れてきた、いろいろの星々が生まれ現れてきた。そして夫々の星と星とが群がり一体となっての生命圏が生まれる。地球生命圏、太陽系の生命圏、銀河系の生命圏・・・さらに夫々の生命圏においても繋がり軍団を成すのですね。人類社会においても同じですね。一人一人、夫婦、家族、国家、民族、夫々の如くです。宇宙自然界生命界でそのようなことが起こっているのだと思い考えられます。
ところで、宇宙本体には姿形がない。本体のその宇宙を生んだのは誰なのかということになりますが、本体の宇宙は誰が生んだのでもなく、いつ生まれてきたのかでもなく始めから在る、宇宙は始めから在り終わることなく在り続けているのです。宇宙は不生不滅です。生まれることなく死ぬことなき絶対の存在、永遠不滅の存在なのです。この姿なき永遠の存在で在り続く宇宙が生む営みをやり続けている、変化させる営みをやり続けている、死なせる営みをやり続けている、星を生む、星を変化させる、星を死なせる、あるいは地球生命圏の中でたくさんのいのちを産む、創る、今までなかった生物を生む、創る、死なせてしまう、そういう営みをし続けている変化変化新た新たのこの世界は現象世界です。この現象世界は本体の宇宙が現出させているのですね。そしてなんともすごいことですが現象世界も宇宙なのです。そして宇宙における現象世界は常に大調和であり壊れることなき秩序なのですね。本体の宇宙はそういう営みをし続けていて、始めなく終わりなく在り続く。無くならない。宇宙を時空でとらえるならば、時空は止まらない、無くならない、在り続く。この宇宙を『大いなるいのち』ととらえるならば、在り続く、営み続く、無くならない、いくら営んでもその営みは即ち時空の営みはなくならない。消耗しないのですよね。宇宙本体は無限のエネルギーを有して営み続けるのですね。
この宇宙生命界における無限のエネルギーは宇宙本体のみであって、宇宙が生む現象世界におけるいのちあるすべての姿形を有するものはかならず終わりがある。太陽だって地球だってたくさんのエネルギーを有し発している、けれどもそれは有限でかならず無くなり死ぬ時が来る。でも宇宙は営み続ける、消耗しない、消費しない、営み続けて産み続ける、育て続ける、変化させ続ける、死なせ続ける、それは始めなく終わりなくその営みをし続けて無くならず終わらずです。しかも調和が続き秩序があり続ける、壊れない。それが時空・宇宙なんですね。あるいは陰の性質と陽の性質を持ったいのちが営み続けているのですから、宇宙の中では色んなことが起こっているのですよね。色んなことが起こっているなかで大きなうねりが大きな風が大きな変化が、そして地球生命圏の中ですごい台風があるとか竜巻があるとか、あるいはあるところで勝手に山火事が起きるとか地形が大きく変わるとか、すごい熱を生じるとか、すごい氷河が生じるとか、氷河期が続くとか、海から大地が隆起するとか、大地が海に没するとか色んなことが起きるのですね。宇宙における一つの生命体であり生命圏である地球と同じように宇宙における現象界で相似たもっともっと激しいことが起こり続けている。宇宙は、時空は、いのちは、生む、育てる、変化させる、老いさせる、死なせる、をやり続けている。なれど本体の宇宙を生んだ親はない。宇宙は元より在り続けている存在、絶対の存在、そう捉えたらいいと思うのです。それで初めて疑問が解け謎が解けて明らかとなり納得が入るのですね。
ところで、今日の専門家の人たちは宇宙には始まりがあって終わりがあるととっているのですね。今日の宇宙は360億年前に誕生したと言っているのです。やがて宇宙は死ぬ、壊れると言っているのです。誕生した時は無のエネルギーがインフレーションを起こして大きく大きくなってそのエネルギーがビックバンを起こして爆発して宇宙が誕生した。そしてどんどんどんどん膨らんでいる、宇宙はどんどんどんどん膨張していて、ある時がきたら壊れるってそんなことを推測しているようだけれども。それは宇宙における部分での現象世界の出来事なのですね。もしそうしたことが実際に起こっているならばそれは宇宙本体ではなくて、宇宙におけるある部分での生命圏における生まれる死ぬの営みであり出来事であり、宇宙で生じている現象世界でのことですね。それは宇宙本体ではなくて宇宙で起こっている出来事ですね。果てのない宇宙のところで起こっている出来事です。
果てのない宇宙、姿形のない宇宙、姿形を現していないいのち、姿形のない時空はあり続けている。宇宙は、時空は、姿形がないのですから膨張することも壊れることもない。不生不滅、不増不減で営み続け在り続く無限エネルギーを有する大いなるいのち。そうした宇宙で誕生し今も営みをしている地球であり私たちなのです。宇宙は亡くならないし終わらないし壊れない。現象界における地球や多くの多くのすべてのいのち達私達は亡くなるし終わるし壊れるし死ぬのです。黙して語らぬ永遠不滅なる絶対存在の静寂なる宇宙ですが、激しい宇宙生命界でもあるのですね。地球も太陽も銀河の星々も、すべての生物無生物も死ぬ。変化する。壊れる。それも時空の営みで起こっている激しい活動なのです。宇宙で現れる現象世界は激しいのですね。
ところで人間の男性も女性もそれぞれの働きが与えられているから、大きな働き、時には激しい働きをするのですね。それが宇宙と相似た営みをする中で働きが現れて発して男性の子種である精子が女性の子宮の中に発してそこで卵子と結ばれるのです。新たないのちが生まれるわけです。今までなかったのに。本体の宇宙の創造と宇宙から与えられている人間のいのち、有限のいのちにおける親から子への創造との違いはありますが相似た営みから相似た出来事の中でのことだと観えてくるのです。こちらは有限で宇宙は無限なのですよ。そのところでずっと思い凝らしていることを、今それなりに言葉で観えてくるものを話しました。ああそうなっているのかって。
ところでこんな説を立てている人があるそうです。月はある時、地球から分かれて生まれた星だと。あるいは勿論、ある星が死期に至って分解して散った物質がまたまたいのち宿した一つの星になるとか。陰陽の営みによるのではなくて細胞分裂して新しいいのちが誕生する生物もあるのですね。その時何が起こっているのかも観つめてみたいですね。糸川という星なんかは小さいのだけれど卵型のような蚕の繭のような姿をしていますよね。もちろん中にいのちを宿しているからですが、そういう形をして生まれてきたのですね。生まれ姿形を有し、やがて死ぬ、生まれて死ぬことが果てなき宇宙で無数に起こり続けているのですね。新たに生まれて来る、死んでいく、そういう営みをし続けているこの宇宙生命界における地球の存在、地球におけるそれぞれそれぞれの生命体であり私達人類ですね。
八木 大いなる宇宙はあり続け、その宇宙におけるいのちの誕生についてお話しいただきましたが、この地球も生まれた瞬間があったのですね。
川口 そうですね、あったのですね。47億年前と言われていますが、存在してなかった星であり生命体ですが、ゆえあって生まれてきたのですね。いかなるゆえあってなのか知りたいわけですが、とにかく生まれる条件が備わったゆえに生まれるしかなかったのですね。生まれた当初は生物に欠かせない水も存在しなかった、もちろん生物は存在しなかった。が、やがていのちの営み、すなわち地球における空における時の流れで、ある時に水が誕生してきた。やがて生物の誕生は38億年前頃で、始まりは水中の生物ですね。それはだいたい地球のいのちの営みが9億年くらい経ってからだそうです。そして長い長い時を流して今度は陸上の生物が生まれてきた。そして陸上でもたくさんたくさんの生物が今日までに誕生してきた。もちろんある時までには存在した生物が死滅していった。それからかつてはいなかった生物が誕生して今も生き続けている。今日に繋がる新人類は数十万年くらい前に生まれてきたのですね。猿人は数百万年前くらいに生まれてきたと言われていますね。いずれもかつてはいなかった生物ですよね。ですから人間の親は人間ではないんやね。地球だって同じで、地球を生んだ親は地球ではないのですね。 宇宙本体と本体に現出し生滅を重ね続けている色んないのちたちが一体の営みの中で人といういのちが自然に生まれてきたのですよね。自ずから然らしむる誕生ですよね。目的無く無目的の中で人という生き物も生まれてきたのですね。地球しかり、太陽しかり、現象界におけるすべての生物・無生物しかりです。そしてなんと無目的に生み、無目的に生かし、無目的に死なせるのです。宇宙本体の存在も宇宙に現出するすべての存在、生滅・生死も無目的なのですね、すごいですね。
ところで無目的に生まれ続けているが、すべては完全絶妙。夫々のいのちが全うできるべくの時間も能力も智力も過不足なく与えられているのです。もちろん存在することの場である空間もある。私達はそのような中で今日も親から子へと巡り続けているんやな。人として生きることができるようになっているんやね。でも、いつかはいなくなりますよ。生まれてきたもの姿形のあるものは必ず死に運ばれる定めですものね。一人一人の寿命があって、人類の寿命もある。後どのくらい人類は地球の上に生存しているかわかりませんけれども。この果てのない宇宙に47億年前に生まれてきた地球ですけれども、たくさんのいのちを生み創り死なせてきましたけれど、地球もやがて終わりがあるし地球の上に生まれてきたたくさんのいのちたちも個々の寿命と生物そのものの寿命かあり、やがて終わりがある、そういう定めの中でのこの今なんだと言うところを正確に認識して今を大切に生きないといけないですね。人間の間違った生き方で人類の生存の危機を早めるようなことをしてはいけないしね、早めるようなことをしたら皆苦しみの中で一生を終わってしまうのでしょうね。自然に死滅していく場合はそういう苦しみはないと思うのですよね。自ずから死に運ばれていく。ところが人類の間違った生き方から環境に大きな問題を招いてしまうと人々は苦しみながら末期を迎える、そんなふうに考えられますよね。
八木 宇宙の本質、いのちの本質、果てのない無限の宇宙と有限のいのちである星々や私たちのこと、それらのことを理解しかけがえのない時を大切に生きることができたらいいわけですね。
川口 そうやねぇ。人の道からはずれずに喜びの日々に心豊かな平和の日々に楽しい美しい善き日々に幸せの日々にしていかないといけないなぁ。人としての成長の道を明らかにして成長の日々とし正しい生き方を明らかにして正しく生きないといけないなぁ。もちろん宇宙を知る、いのちを知る、宇宙における人類の位置や分を知る、そして与えられている智力能力を知った上で夫々が我が道を明らかにして、心平和に、豊かに、美しく、正しく生きていかないといけないね。人は悪や醜や偽りについ落ちてしまいますね。ですから、人は人として育たないといけないのですね。人は育つことのできる存在なのです。人間性の成長、人格の形成が必要なのですね。自然界は美そのもの善そのもの真そのものですから、すごいですし、ありがたいですし、うれしいですね。
八木 ほんとうにそうですね。この地球という美しき星に抱かれ日々生かされ生きることの喜びを感じています。そしてお日様もお月様も実にきれいですよね。
川口 本当にきれいやなぁ。
八木 昇る太陽も沈む太陽もうっとりするほどきれいですし、夜空に輝くお月様もなんて美しいのだろうと見上げています。
川口 自然界のものはそれぞれに性質があるのだけれどすべてきれいやなぁ。色も姿形も動きも異なるけれどもすごいですね。そして真やねぇ、偽りではないね。そしてすべてのいのち達が我がいのちを全うしている。ひたすら生きているのですね。たくさんたくさんのいのち達が生かされそして生きているのですが、決して他を生かす為に生きているのではないのです。太陽は地球上の生物を地球上の人々を生かすために光や熱を届けるべく生きているのではないのですね。そしてそれがそのまま生かし合いともなっているのですね。もちろん生かし合いと同時に殺し合いであって常に大調和、大秩序の生命界であり自然界なのですね。
八木 すべてのいのちの営みは自ずから然らしむる営みで、すべてのいのちは無目的に生まれてきたのですね、そして大調和、なんてすごいことでしょう。
川口 完全な生命体として営みをしているし、それでいてそれが無目的であって目的があってのことではないね。すごいよなぁ。今日も太陽が朝東から登って西に沈んでいくけれども、それは目的があってのことではないのです。空間があるのも時間があるのも時が流れるのも営むのも目的があってではないのです。ゆえに自ずから然らしむる『自然界』と命名したのですね。すごいよなぁ。
八木 目的をはるかに超えたところでの自ずからの営みによってこんなにも見事な世界が誕生している、宇宙の創造はすごいですね。
川口 太陽そのものも目的があって営んでいるのではないし、それを生む宇宙も目的があって存在しているのではないのですね。すべては無目的やねぇ、無目的の誕生、存在、営み、無目的の死、無目的の終わりやなぁ。その中で人は幸せの日々に、喜びの日々に、美しい日々にするべく目的を持って生活しないとな。そのためには100年の生の期間ひたすら人間性の成長に励み、人格形成に取り組まないといけないね。誰しもが成長できるんですよ。誰しもが幸福になることができるべくの私達人間なのですね。
八木 はい、そう在りたいと思います。
ところで宇宙本体と宇宙の子である私達は創造するものと創造されるものという相対的な関係であると同時に一体であり多元的にこの世界を織りなしていると感じていますが、いのちの生滅における営みをその視点から観るとどのようになっているのか教えてください。
川口 そうですね、宇宙本体と宇宙の子である私達、あるいは誕生したすべての姿形を有するものとの関係は一体であると同時に個々夫々別々ですね。一体であるというのは対の絶えた絶対の存在、別けようのない一つなる存在。別であるというのは対の有する相対の存在、相対する別々の存在。この一体であると同時に別々というのは一つのことにおける観方からのことと、宇宙における事実であります。一つなる絶対世界と同時に個々別々の無限数なる相対世界でもあります。このことは一つなる宇宙における二面性でもありますね。宇宙本体とも宇宙に誕生したすべてとも一体であると同時に別々。もちろん流れる時、営むいのちの世界ですから、過去・現在・未来の別、過去のすべて、全過去と一体であって終わりなき全未来とも決して切り離すことのできない一体の存在であり営みなのですね。そうした一体の存在であり営みから生じる現象世界であり、そこから生じる私達人類をはじめすべての誕生であり、姿形であり、寿命であり、智力能力であり特性ですね。47億年の時を流し、宇宙で、そして地球で生じる出来事すべてによって、いのち達の寿命も性質も能力も姿形等々、何もかも決まるのですね。そうした世界で人類は少し前にこのような生物として生まれるようになっていて生まれたのです。生まれるしかなかったのですね。生まれるようになると生まれるしかない。死ぬようになると死ぬしかないのですね。人類も滅亡するようになれば滅亡するしかないのです。そうした宇宙自然界・生命界なのですね。すごいですね。
八木 ほんとうにすごいですね。宇宙のしくみが観えてくると人としての生き方においても大きな我が目覚めるような気がいたします。今回もいのちの原点を深く観つめることになりとても楽しく心が弾みました。ありがとうございました。
川口 いやいや僕も楽しかったです。弾みました。ありがとうございました。
お話し 自然農実践家指導者 川口由一さん
2017年9月 インタビュー 文字起こし 八木真由美
文中の写真 Tomoka.K
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