夾竹桃は、夏の陽を思いきり受けとめ、微笑む。
白やピンクの、猛暑にもめげない花だ。 広島で原爆が落ちたとき、翌年の夏まっ先に咲いた花です。
去年、こまつ座の「父と暮せば」を観た。(作・井上ひさし) 舞台は広島。原爆投下の3年後。 ひとり生き残った娘と、彼女の思いがゴーストとなり現れた父のことばが熱く迫る。 はじめて台本も読んだ。
生き残ったことに負い目を感じ、ひっそりと生きている美津江。
『うちはしあわせになってはいけんのじゃ。うちゃ、生きとんのが申し訳のうてならん』 父・竹造を助けられなかったこと、たくさんの友を亡くしたこと。いつも頭から離れない。好きな人にも心を開けない。
竹造はなんとか娘の心をほぐそうと励ます
『人間の悲しかったこと、楽しかったこと、それを伝えるんが おまいの仕事じゃ…』
戦争のむごさは、亡くなった人にも残った者にものしかかる。が、押しつけがましさや、重苦しさを感じさせずにユーモアで 『何か用か、九日十日?』
強調したいところはさりげなく。なのに主題がかえって浮き彫りになっている。広島弁もやわらかく響いて、意味もよくわかった。
岩波ホールで映画もみる。
宮沢りえの美津江。父の言葉は彼女自身の思いだ。
カメラは繊細な表情をとらえ、親友の母が言う 『うちの子じゃのうて、あんたが生きとるんはなんでですか』 で涙があふれた。母の正直な気持ち…
お互いを思いやる父と娘、舞台では感じなかった雨も、萌えるビリジャンも、命のかがやきのようで美しく心に沁みる。
父のせりふが頭のなかをぐるぐるまわっている。
『… それを伝えるんが おまいの仕事じゃ…』
お茶の水のプラタナスを見上げ蝉時雨をぬけると、灼熱がグイと背中を押してきた。
『おとったん、ありがとありました』
こころよい感動をした。