10月7日・水曜 アンコール・トム遺跡観光 バイヨン寺院
この微笑みに 出会ったことはないでしょうか (10月7日 水曜)
アンコール・ワットの造営から遅れること半世紀、 周囲約12㎞の城壁に囲まれた王都が造られた。 これがアンコール・トム(大きな町という意味)。 その中核が 「バイヨン寺院」です。 創建者 ジャヤヴァルマン七世 12世紀末 信仰 仏教
↑ 南大門前で下車。 道の両側にナーガに先導されて 神々と阿修羅像が続いている。 (写真左側) コブラが頭をもたげるように見えるのが ナーガ゛(蛇神)である。 遺跡や欄干にもたくさん見られる。 鱗もついて。 舟でもある。 拡大
四面仏塔が囲んでいる寺院。 観世音菩薩は 中央祠堂と尖塔の頂部にあわせて54面あり、 少しずつ表情をかえて、 優しく見つめているようなのだ。
民族衣装の娘さんたちと 写真はいかがですか (有料)
↑中央テラスを囲んで16の尖塔を配置、 二重の回廊が囲む。上から見ると迷路のよう。 第一回廊、第二回廊とも東西南北それぞれ4面にレリーフ。 漁、狩り、炊事、闘鶏の模様など日常生活の浮き彫り。 将棋や相撲の場面。 見なかったけど、出産シーンもあるそうです。
↑ バイヨン第一回廊の壁面彫刻。 この物語を読み解くには歴史を知らないと。 どれも精緻だ。 綺麗だ だけで終わってしまう。 チャンバ(ベトナム中部にあった国)との戦いの行軍。 短く刈り込んだ髪はクメール人。 (ガイドブックから)
風化意外にも、 略奪されたり、 内戦など戦争による被害で破壊されてきた。 それでも、 はっきりと みごとなレリーフを観賞できた。
無数の穴 盗掘の跡や弾痕など 残っている。 この像は未完成だろうか
美しいデバター像 彫りの深い装飾が囲む (第二層テラス)
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バプーオン ↓ 隠し子という意味をもつ遺跡。 … カンボジアの王妃が息子をタイ軍に殺されるのを怖れこの寺院に隠したという伝説… 3層からなるピラミッド型寺院。かつてはバイヨン寺院より高かった。 両側の池の水が溢れると200mの参道が浮かぶように見えるそうだ。
創建者 ウダヤーディティヤヴァルマン二世 11世紀中頃 ヒンドゥー教(シヴァ派)
バイヨンから北へ向かう。 道に沿って1800mの周壁に囲まれる中にアンコール期王宮があった。 男池、女池、ピミアナカス(天上の宮殿。空中楼閣) 象のテラスなど。 創建 11世紀初頭 ヒンドゥー教
↑王宮跡(ナーガやシンハ(獅子)の像も見える。狛犬似。テラスを支えるガルーダやガジャシンハの像
王宮前の王のテラス。 長くつづく道の奥が勝利の門。 戦いから戻って凱旋する軍が王と謁見した場所である ↓ 王宮正面に面したテラスの外壁に象の彫刻。
カンカン照りだ。 暑いなあ… 汗だくで見て回る。
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タ・プロームに着く頃、 雨が降り出す。 椎茸ぐらいの大きさの蝸牛が鳴いている。 カラカラ… カンカン 細い竹筒が触れあうような だったかな。 かなり大きな音、鳴き声は 鬱蒼とした寺院の森に響いた。
創建時は仏教僧院 後にヒンドゥー教に改宗されたか。
僧侶5000人余
踊子615人が住んでいた
創建者 ジャヤヴァルマン七世
1186年創建 仏教
ガジュマルに押さえつけられる回廊 手をかけなければ 遺跡はどうなるか。
自然の脅威をみせているのだという。 ここでは樹木の除去や 修復などあえてしない。 (資料 地球の歩き方)
東西約1㎞ 南北約700m。 壁は ラテライト(紅土。 赤色の風化土)造り
怪物の足のようで 恐ろしくなった。
重い…
早く退いて…
そんな声が聞こえる。
人類の遺産を 後世に伝える…
濡れた榕樹(ガジュマル)の濃緑が 静かにそよいだ。
昼食後 ホテルに戻って休憩一時間、地球の歩き方・カンボジアの地図を広げる。