想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

ある日の食卓

2008-08-05 10:11:39 | Weblog
   「学道の人、衣食を貪るなかれ」また
   「齋食(さいじき)などをととのえて食することなかれ」
             道元の弟子、懐奨編「正法眼蔵随聞記」より

   まあ、そうは言っても
   食いたい、着たい、ほどつつしみがたいものはないね。

   だから、うさこも草衣の心を求めてはいるが
   来客に、「ここじゃ十六穀入り玄米かゆ、だけんね」とは
   いいにくいのであった。客というほどのこともなく、また
   もてなしというほどのこともしないが。

   しょうがないので、ちょっと高カロリーのおいなりさん。
   あぶらあげ、煮ます。
   人参、牛蒡、しいたけを細かく切って醤油で煮ます。
   甘く煮たのを酢飯に混ぜて、五目(に足りないけど)いなり。

   残り野菜でみそ汁。これでシメるわけ。
   
   翌日は、朝から土鍋にかゆを炊いて、しそ昆布と梅干しで
   いよいよ質素ヘルシー粗食を供しました。

   肉、肉、肉、それも揚げたやつがいい、できるならトンカツとか。
   と口々に言っていたはずが、
   言いませんでした。

   次にやってきたときも、肉の入らないカレーを作りました。
   ひよこ豆入り茄子のカレーね。
   粉を固めてナン生地をつくってフライパンで焼きました。
   でも、ちょっとご飯も炊いておきました。

   腹いっぱいだったようです。
   ちょっと、量が‥食べ過ぎです。

   肉、とは言いませんでした。
   なんにも言わずに平らげて、平穏な顔をしているのです。

   コーヒーも少し。
   スイーツなし。

   時間がゆっくりと過ぎるので、
   脂っこいものを欲しないのかもしれません。

   あってあたりまえのものを削って、減らしていく、そして本当に
   いるのかいらないのか、わかる。
   意味もわかる。
   贅沢な話です。
   すこしも、草衣ではないし。

   貪るなかれ、という言葉はけっこう耳に痛いものです。



   人は最初から捨てることはできない。
   得て、満足して、意味を味わうことができたら、
   ようやくそこから離れていけるのではないかと思います。
   外側に価値を付けるのではなく、内側に見出そうとし始めて
   やっと削ったり捨てたりする。
   それは別な意味で、選んでいるわけで、まだ捨ててるわけではないから。

   今、流行のエコな暮らしもカラダに優しい食生活も、贅沢なんだろう。
   本当の、とかつけないで言ってもらいたい。贅沢は贅沢の価値だから。
   恵まれた幸福を黙って受取るのがいい。ちょっと遠慮もしたりして。

   トーキョーから森へやってくる客人。
   そこんとこ、よろしくと言いながら、
   差し出された有名パティシエのロゴいり菓子箱に眼を奪れ、動揺するうさこ。
   それは、どーする?
   
   あい、いただきます。
   ありがとうございます。
   亡き父に、父のまた父と母に、父の兄弟姉妹に、
   母の亡き両親(会ったことないが)に、母の亡き兄弟姉妹に、
   知らないけどどこかでつながっている人に、
   ありがとうをこめて、おいしくいただきます。

   昔の人は、己の分を知る。自然を知る。
   よく知ることを厭わなかった。
   生き延びるため、それがあたりまえのことだったと思います。

   
   



   
   

      

  


   
   

   
   



コメント (2)
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