想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

立ち直りかた

2008-12-30 13:10:54 | Weblog
   転ぶ、また転ぶ、今日は何度転んだことか。
   そう、そんなころび癖というのがあります。
   うさこも成長期に、なったことがあります。
   高校に入ったばかりの頃、膝小僧を傷だらけにしてました。

   身体の成長と気持ちのバランスが合わなくて足がもつれる。

   もう一つ、焦って転ぶのが成長期でなく停滞期、人生の。
   その違いは、転んだあとの立ち直りかた。

   若い頃、転んだらすぐに起きます。
   なんでもなかったような顔をして。
   痛くない顔をして、すばやく。

   年を重ねて、転んだとき、みっともないのと痛いのとが
   同時にあって、同時にありすぎると収集がつかないので
   立ち上がるのもスローになります。

   立ち直れないこともあります。
   はいつくばって、ならいいですが、這いもせず倒れたまま‥の人も。

   でも、転んだだけです。
   起きるべきです。
   起きて、また歩くべきなのです。
   歩けば、また転ぶかもしれないが、それでも
   起きて、また歩くべきなのです。
   何度でも。

   べきという言い方は嫌いですが、あえて
   歩くべきなのだ、そうこの際はいわねばなりません。
   そうでなければ、生きている意味がなくなるから。
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犬といっしょである

2008-12-30 01:50:37 | Weblog

   犬と暮らして十年ちょっと、だいぶ犬の気持ちがわかるようになった。
   犬はわたしの気持ちをどのくらいわかっているか、ときどき考える。

   ソファの上、ベッドの上、じゅうたんの上に、犬がねそべっている。
   その上からおおいかぶさって、ねえ、ねえ、と聞いてみたりする。

   ぐーぐーというイビキがぐぃーに変わり、ちょっと苦しそうなので
   やめるけど、やめたとたん、シッポをばんばんと振る。
   あんた、寝てたんじゃないの? またシッポがばんと揺れて、
   ぐーぐーと寝息が高まる。
   やっぱり寝てるじゃない?

   触っているのが好き、触られているのが好き、なのね。
   いっしょにいるってことなんだろうな、と思う。

   明け方、ふいに目が覚めて、犬がわたしの鼻先に鼻先をくっつけて
   いることがある。
   わたしの寝息を感じている。
   生きている、と知って、ちょっと離れて自分の居場所に戻る。
   そっと目を開けてみてみると、ふつうの顔して寝そべっている。
   その目がわたしへ向けられたとき、目が合って、
   わたしは自分の男といるような、自分の兄弟といるような、
   あるいは父といるような、そんな錯覚におちいる。

   離れがたく、そばにいる。
   電車に乗れないので、犬は留守番する。
   あるいは車のときも、留守番する。
   そんな日は、わたしは何回も後ろを振り返り、そのたびに
   ああ、今日は留守番だった、と思い直す。
   いつも離れがたく、彼はそばにいる。

   愛するということにおいて、人も犬も同じ事である。
   わたしに愛される人は、犬といっしょかよ、と言うだろうが。
   はいそうです、いっしょです、1番がふたつあります。

   愛するということにおいて、人も犬も人も同じことである。
   いずれにしても、安らかな寝息をたてて
   離ればなれでも、まだ会うことがなくとも、
   生きていて、ゆっくりと眠ったり背伸びをしたりしていて
   ほしい。そういうふうに暮らしていてほしい。
   そう願うのは、同じことである。

 
   
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