心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

ラジオを楽しむ

2007-01-14 14:43:50 | Weblog
 厳しい寒さも幾分和らぎ、晴れ間がのぞく日曜日です。そんな休日の朝、珍しく庭にウグイスがやってきました。と言っても繁殖期ではありませんから、ホーホケキョなんて鳴きません。木々の枝をパッパッと移動しています。サザンカの花の蜜でも舐めているのでしょうか。ピラカンサの赤い実も熟してきましたから、そろそろヒヨドリさんのお出ましかもしれません。
 さて、きょうは、雑誌「サライ」の特集記事”優しくて懐かしいラジオを再び”を題材にお話しをしたいと思います。大正14年にラジオ放送がスタートして今年で82年を迎えるのだそうです。昭和生まれの私も、その恩恵を受けながら今日を迎えた一人です。いくらテレビが普及しても、パソコンが普及しても、ラジオとのお付き合いは続いています。私の場合は、おそらくテレビよりも圧倒的にラジオを聞く機会が多いと思います。それも、意味もなく騒々しい番組は好まず、静かに流れる温かい人の声に安堵感をいだきます。
 私とラジオの出会い、それは昔、居間に置いてあった大きな木箱から流れるラジオ放送でした。小学生になると、何台かあった壊れた真空管ラジオの分解、ゲルマニュウムラジオの製作などをして遊びました。受験世代になると、深夜放送を聞きながら勉強をすることもありました。雑誌サライには、当時パーソナリティーだった野沢那智さん、白石冬美さん、落合恵子さんなど懐かしい方々の写真が掲載されています。その後、海外の短波放送を楽しんだ時期へと続きます。
 そして現在は、NHK「ラジオ深夜便」。アンカーのゆったりとした語りがラジオ世代の心を和ませてくれます。意識して聞くというよりも寝入る前の僅かな時間、放送が流れているといった、そんなお付き合いです。慌しい昼間との落差が、「こころ」の疲れを癒してくれます。そんな時間のなかで、ふと気づきをいただくことがあります。それが明日への糧になることもあります。
 きのう参加した「IT」関連のシンポジウムでは、私たちの生活にとってITがいかに有用であるのかが議論されました。一方で、ITの光と影が話題になりました。双方向のコミュニケーションツールとしてのITが、匿名性であるがゆえに人を傷つける道具にもなることの警鐘です。考えてみればITもラジオも、人間の知恵が生み出したものです。単なる冷たい箱にすぎない装置です。が、その活用如何で、人の「こころ」が癒されもすれば傷つけられもする。使う側の問題なのでしょう。ラジオやパソコンの向こうに、ひとの「こころ」が見える、そんなお付き合いがしたいと思っています。このところあまりにも悲惨な事件が多すぎますから。
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