心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

本醸造「熊楠」に酔う

2010-04-18 09:51:21 | 愛犬ゴンタ

 4月も3週目の日曜日を迎えました。桜花も散ったはずなのに、このところ急に寒さが舞い戻ったようで身体に応えます。でも、きょうは朝から快晴、愛犬ゴンタと近くの里山を散歩しました。木々が芽吹き、その生命力にこちらまで元気をいただいたような、そんな爽快な気分になりました。きょうは午後、園芸店でも覗いてみることにしましょう。

 さて、職場の私宛に送られてくる和歌山県の広報誌「和(なごみ)」最新号の特集記事は「時代が彼にあこがれる“知の巨人・南方熊楠」でした。カラー刷りの表紙には、暗闇に幻想的に光るキノコ(シイノトモシビタケ)の写真が載っています。1900年、英国から帰国したあと、粘菌類やキノコの採取のために熊野の森に籠った熊楠は、こんな幻想的なキノコの生態に惹かれたのでしょうか。それとも深い原生林の中で人生のなんたるかを考えたのでしょうか。

 見慣れた熊楠の史料を眺めながらページをめくっていくと、「和歌山県城下の老舗酒蔵に熊楠のルーツを探る」という頁がありました。そう言えば、熊楠の実家は酒造業でした。冊子には、父・弥兵衛が明治17年に創業した酒蔵会社「世界一統」(当時は南方酒造と言っていました)のことが紹介されていました。その2代目が、熊楠の弟、常楠です。そのお店が今も健在だったとは知りませんでした。なんと大吟醸、本醸造の「熊楠」なる清酒まで販売されているではありませんか。さっそくインターネットで注文させていただきました。掲載した写真が、数日前に届いた本醸造「熊楠」です。パッケージもなかなか洒落ていて、熊楠の略歴やら採取した菌類、キノコの熊楠自筆のスケッチが印刷されています。う~ん、今年は絶対に和歌山にでかけなければなりません。久しぶりに白浜の温泉にも浸かりたい。

 話は変わりますが、先週、京都の帰り道に、牧山桂子著「次郎と正子~娘が語る素顔の白洲家」(新潮文庫)を手にしました。自由奔放に生きたお二人の素顔を娘の桂子さんの視点から眺めたもので、さすがに母親譲りというのか心地よい文体が仕事の疲れを癒してくれました。お二人とも、激動の時代に何某かの拘りをもって生きてきたという意味で、なんとなく南方熊楠にも似たところがあります。そんなお二人の人となりを、娘という近しい方の視点で紹介されていて、まさにお二人の「素顔」に迫るものでした。
 昨夜は本醸造「熊楠」をいただきながら読み終えました。戦後の、私が生を受けた前後の時代風景、次郎さんの晩年の仕草が私の父の姿と何やらだぶって見えてきて、なぜだろうと思い両者の年齢を照らし合わせてみました。すると、なんと私の父母とお二人が、ほぼ同じ世代であることに気づきました。次郎さんより2歳年下、亡くなった年も2年の差。考えてみれば私の長男が80歳にも迫ろうとしているのですから。私は、無意識のうちに、私の両親が生きてきた時代と重ね合わせて読んでいたことになります。ひょっとして、昭和の初期、銀座を闊歩していた父親とすれ違っていたことだってあったかもしれない、正子さんが一時期出店されていた着物の店「こうげい」に母親が顔を出していたのかもしれない。そんな根も葉もないことを思ったものです。戦時中の混乱期に家族を実家に疎開させて、企業戦士を貫いた父。疎開後に田舎で末っ子として誕生した私。生涯、父親と身近で一緒に暮らすことのなかった60年を振り返ってみると、考えるところ大です。
 次郎さんは遺言状に「葬式無用、戒名不用」と記されたとあります。仰々しいお葬儀よりも、身近な近親者による弔いの方が、私にも向いているような、まだまだ先の自分の行く末を思いながら、深い眠りにつきました。

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