最近、愛犬ゴンタに背中を掻く癖があって、一部に傷も目立ってきたので、きのう動物病院に連れていきました。獣医さんに診てもらうと、なんと蚤アレルギーだとか。背中の毛を3分の1ほど刈って治療を施し、3種類の薬をいただきました。ついでに5種混合ワクチンと狂犬病予防の注射もしていただきました。飼主以上に治療費のかかる愛犬ゴンタですが、すでに13歳、仕方ありません。背中が無残な姿になりましたので、家内がさっそく散歩用の服を作ってくれました。今朝は、それを着てお散歩に出かけました。
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ところで、きのうは雨の一日でしたので、部屋に籠ってレコードを聴いていました。曲目は「シベリウス交響曲全集」(5枚組)。指揮は、4月14日に85歳で亡くなったイギリスの名指揮者コリン・デイヴィス、演奏はボストン交響楽団です。
シベリウス(1865年ー1957年)はフィンランドを代表する作曲家です。愛国心を鼓舞した交響詩「フィンランディア」や交響曲第2番などが良く知られていますが、デビューしたのは支配国ロシアの弾圧が露骨になっていた1900年の頃、日本の大正時代にあたります。隣国から隣国の言葉を公用語にせよと迫られるとんでもない時代、フィンランドの人々の愛国、独立の機運が高まったのも当然でしょう。そんな時代状況のなかで、シベリウスは作品を発表していきました。
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交響曲第1番を発表した後、国内外から演奏依頼が殺到して多忙を極めたシベリウスは、憂鬱症を患ってしまいました。そこで、アペニン山脈を背にしたイタリア西海岸の保養地ラパロで静養します。私の大好きな交響曲第2番は、そんな時期に手がけられたものです。解説には「北国人のシベリウスが、冬のさなかに、陽ざしの暖かいこのラパロに滞在して、そこで明るい響きの作品を書き始めた」とあります。第一楽章はまさにそんな風景が浮かんできます。また、「秋が終わると、フィンランドはほとんど常闇の国となり、人々は自然から隔離されて、室内でじっとみずからの想いや幻想にふける」とあります。北欧の風土は、日本の雪国とも相通じるものがあります。雪国育ちの私が、シベリウスと付かず離れずの関係にあるもの、そのためでしょうか。
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さて、きょうはもう少し書き続けましょう。私にしては珍しく、今年はNHK大河ドラマ「八重の桜」を欠かさず見ています。この世に生を受けて60有余年。その90年あまり前、日本は封建制から近代国家に生まれ変わろうとしていました。そんなに古い話でもないのです。
当時の時代環境を立体的に見つめてみようと、今年に入って2冊の本に目を通しました。1冊は、古本屋で買った「現代語で読む新島襄」(同志社編集委員会編)です。国禁を犯して函館港から出国しアメリカに渡った新島の、青年期から晩年に至るまでに書いた数々の手紙や手記、日記、写真やスケッチなどが収録されています。2冊目は中公文庫「日本の歴史19:開国と攘夷」です。こちらは600ページもある文庫ですから、読み終わるのにずいぶん日にちがかかりました。
武士の社会にあっても、学ぶ場があり、教える者と教えられる者がいたこと。鎖国とはいえ徐々に海外の文化が流入していたこと。漂流してロシアやアメリカなどの船に助けられ異国で新しい文化に触れた者、欧米に留学した若者が既に存在していたこと。そんな時代に新島襄は2本の刀をもって出国し、1本は乗船代として船長に、もう1本は上海に着いたとき聖書を買うため船長にお金に代えてもらったこと。あとはまったくの無一文で、アメリカ・ボストンの地に降り立ったこと。そのアメリカでは、のちに津田塾大学を設立する、当時7歳の留学生、津田梅子に出会っていること...。江戸末期の日本の若者たちが、進取の精神をもって海外に出かけて行ったことを改めて知ることになりました。その基礎の上に今日の日本が存在するということです。
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先週金曜日の報道ステーションは、出雲大社で、60年ぶりの改修を終えた本殿にご神体(大国主大神)を迎える「本殿遷座祭」が営まれたと報じていました。テレビ画面には、薄暗い境内を白い布で覆われた神輿が神職に伴われて移動している風景が映し出されていました。「おー、おー、おー」という神職の声や鼓、笛の音が、何やら幽玄の世界を思わせました。
これに対する政治学者・姜尚中さんの言葉が心に残りました。キリスト教や仏教がひとつの方向性をもって連続的であるのに対し、経典をもたない神教は、60年ごとに古いものと新しいものが入れ替わる、というよりも古いものと新しいものが時を超えて混在している独自の文化、という主旨のお話しをされていたのが印象的でした。
ひとつの真実かもしれません。ある時点を境に、物事が、時代が、急に様変わりすることなんてあり得ません。古いものと新しいものが交差し、交わりながら、時代は動いていきます。新しいものと古いもの、あるいは右や左やという二項対立的な発想はそろそろ卒業して、新しい時代精神を再構築していく必要がありはしないか。ぼんやり、そんなことを思いました。
きょうは、何やら理屈っぽくなってしまいましたが、近くアメリカに飛び立つ次男君への「はなむけ」の言葉?ということにしておきましょう。まあ、頑張ってきなはれ。